「今の時代、自分のすきなものだけ作ってられる人がどこにおる」
今は店をたたんでいる和菓子職人だった旦那(主人公のおじいちゃん)に言う樹木希林さん(主人公のおばちゃん)のセリフ。
希林さん自身て、どうだったのかな。スクリーン上ではなく現実の世界で。
今でこそ仕事を選べる大女優さんだと思うが、これまでの人生をふりかえった時、きっと苦労したこともあっただろうし、意に沿わない仕事だってずいぶんやってきただろう。
あくまでも推測だけど、そうでなかったら、こんな自然にこの台詞が出ないし、深みは現れないのではないかと思うのだ。
「ピンク色のかるかんなんか作れっか」という橋爪功さんしかり。
「周ちゃん(橋爪さんの役)の気持ちわかるよ」と言う原田芳雄さんしかり。
このレベルの役者さんでさえ、自分のやりたいことだけを100%満たした人生を送ってきたわけではないと言うだろうし、それは今でさえ同じと言うかもしれない。
功成り名を遂げた役者さんでさえそうだとしたら、普通に娑婆を生きる一般人が、好きなことだけで生きていけるはずがない。
自分の好きなことをやりたいことを見つけて、それを職業にするために学部を選び、大学を選べという脳天気な進路指導は、世間を知らないか見えてない学校の先生のたわごとだ。
それでも男は、矜持を守り、夢を捨てきれず、意地を通そうとする。
橋爪功演じるおじいちゃんは、昔ながらのやり方でしか「かるかん」を作らないし、オダギリジョー演じる父親はバイトしながらバンド活動をつづけている。
男が追い求めるものは時に、家族をも犠牲にしたときに立ち現れる「世界」なのかもしれない。
しかし、リアリストである女性に、その思いは伝わらない。
女性は基本二種類だ。
「世界」を追い求める人を愛せないリアリストと、「世界」を追い求める人しか愛せないリアリスト。
現実から目をそらして夢を追い続ける父に嫌気がさして離婚した主人公の母親は、前者だった。
別れたあと、兄ちゃんは鹿児島の母の実家へ、小学校4年の弟は、ギター弾きの父親と博多に住むことになる。
ある日お兄ちゃんは、全線開業する九州新幹線の上りと下りがはじめてすれちがう瞬間、ものすごいパワーが生まれて奇跡が起きるという噂を耳にする。
なんか、あったよね、こういうの。小学校のとき。
都市伝説なんかもそうだと思うけど、突然どこかからわいてきて、けっこう本気でみんなが信じてしまうような噂。
いや、信じてはいなかったか。
小学生ともなれば、もちろん信じてはいないのだけど、もしかしたらって考えてしまい、本気で夢想できる時代。
おれだって、昔ぜったいUFO見てるし。4年のとき、飼育小屋のとこで。
お兄ちゃんはその奇跡を起こすべく計画を立てる。
仲間とお金をつくり、弟に連絡して、熊本県の川内市ですれちがう瞬間に遭遇しようとする。
桜島の大噴火という奇跡が起こり、九州では暮らせなくなった家族4人が再び大阪にもどるというのが、お兄ちゃんの計画だった。
家族が離れて暮らすことも、火山灰の降る街で暮らすことも、すべて納得できない航一(なまえ思い出した)の願う一大奇跡だ。
弟の龍之介は、もちまえの明るさで、父との二人暮らしを乗り越えていて、いつも遊んでるのが3人の女の子という、うらやましさだ(本気でうらやましく思ったおれってなんなんだろ。
兄からの電話をうける龍之介をバックアップし、自分たちもそれぞれ奇跡をかなえようと出かけることになる。
それぞれの思いをもつ7人の少年少女たちの出会い。
綿密に計画を立てているようで、どこに泊まるのかさえ考えてない子供らしい無鉄砲な旅。
積み重ねられていく一つ一つのシーンから、恥ずかしくなるくらいの懐かしさやいとおしさを感じられた。
すれ違い目撃前夜、たまたま泊めてもらうことができた民家の縁側で、背中合わせになって身長を比べ合う兄弟のシーンは、今年の白眉だった。こうやって書いてて泣きそうになるくらいに。
子ども達のたくらみを、それと気づきながらやさしく見守る大人たちに支えられて、子ども達はあぶなっかしい旅を終え、それぞれに世界の現実に近づき、それを受け入れようとしていく。
これを成長というのだろう。
一つ思ったのは、役の上で子ども達を見守る大人たちの目線が、現実とも重なって感じたのだ。
きっと撮影現場では、一生懸命に演じる子どもたちを、あたたかく見守る大人がいただろう。
つまり役者の卵を見守る、名優達の目線という形で。
きみたちもがんばれば、おれたちのような役者になれるよ。
きっと辛い思いもたくさんするけど、こっちだってまだまだ途上のつもりだけど、こっちにきてみなよ、的な。
龍之介の友達で恵という女の子がいて、この子は女優を目指している。
昔女優を目指して夢破れ、今はスナックを経営する母親役の夏川結衣が娘に言う台詞。
「本気? あんたなんか、女優になれんたい。ほんとに本気? 人をけ落としていくあつかましさがないとなれんよ。あんたみたいに人のいい子には」
こんな台詞にも、なぜか現実の夏川結衣さんが重なってしまうのだ。
そういう目でみると、他のシーンにも何重かのメタ性がかいま見えるような気がする。
まあ、でもすべてのシーンがここまで愛おしい作品て、ほんとに奇跡的だと思った。
是枝監督、いっこ下だけど、もう押しも押されぬ大監督でしょ。
先々週ぐらいの週刊文春の映画評ではあんまり星がついてなかったけど、あの人たち映画評論やめた方がいいかもしれない。
ちょっと理屈をこねた洋画だとけっこういい点つけるんだよなあ。植民地根性の抜けない人たちだ。
さて、是枝監督のいっこ上で、今日50歳になりました。
実感がわきませんが。
まさか50になった時点で、こんなに中身に成長がない自分は予想できなかった。
でも、60歳にもなった国会議員が、復興大臣という立場で東北に出かけ、おまえら自身でしっかりやれなんて言っているのを知ると、そんな人に比べたらよほど自分は成熟してると思うし、十分かなとも思う。
すべての奇跡に感謝したい。