水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

7月24日

2011年07月24日 | 日々のあれこれ

 ~ トーマス・エジソンは「成功とは99%の汗と1%の才能だ」と言ったそうですが、僕は98%の運と1%の汗と1%の才能だと思います。僕より才能のある人はいっぱいいますし、僕より努力している人もいっぱいいるけれど、たまたま僕がこういう仕事を続けられているのは、98%の運に支えられているからです。(『秋本康の仕事学』) ~

 秋本康氏は、謙虚さを装っているのではなく、本気で98%は運だと思っていると思う。
 ただ、氏の言う「1%の汗と1%の才能」の「1%」の量が、人によってまったく違う。
 秋本氏の「1%」と任意の誰かの「1%」を比較したら、50と100とかのちがいではなく、たぶん1と1億ぐらい違うこともあるはずだ。
 ていうか、我々一般人は、気をつけないと努力の方向性がまちがっていることがあるから、マイナスの場合があるのだ。すると運がどれだけあっても成功ラインを超えなくなる。
 でも、98%が運というのも一面は真理かもしれないと思う。
 だって正しい努力をしててもしてなくても、人生そのものが予期しないタイミングで幕を閉じさせられることがあるのを、数ヶ月前にまざまざと実感させられたから。
 震災ではなくてもそういう出来事はあるのだ。
 たまたま身近にそういう例がないと忘れているけど、ときどき唖然とさせられる時がある。
 運の前に人間はあまりにも無力で、悲しむ力さえわいてこない。
 自分に与えられた人生がたまたま長らえていて、たまたまどこで途切れるのかわからないなら、やはりへんにかっこつけず好きに生きていたいと思う

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アイアムナンバー4

2011年07月24日 | 演奏会・映画など

 昨日、なんとなくぼおっとしてしまい、映画館のシートにただぐだっと座りたいだけが理由で南古谷ウニクスにいき、ぜひ観たいと思っていたわけでもない「アイアムナンバー4」を観たら、けっこう楽しかった。
 故郷の星を追われ地球にやってきた若者と、それを見つけて殺そうとする別の星人との戦いというストーリーが一本ある。
 ただ、なんでそういう状況になっているのかは説明もされないし、敵側が主人公を殺すメリットが今ひとつわからない。
 だいたい、主人公は異星人なんだけど、ふつうに地球のイケメンの白人なのだ。
 地球人の身体を借りたとかいうのではなく。
 で、英語で会話する。
 敵側の異星人は、地球人ではないような風貌でつくってはいるが、たんに地球の悪い人の造形。
 「スーパーエイト」のエイリアンの姿かたちをみたときも思ったけど、アメリカ人は異物を想像し創造する力を根本的にもたない人たちなのだろうと思う。
 というようなことは一例で、つっこみどころは満載の映画だったけど、おもしろかったのはなぜか。
 異星人同士の戦いとは別に、主人公の青年がハイスクールに通っているうちに起きる学園模様が描かれるのだが、「コクリコ坂」の描いた1960年代の日本の高校生象と真逆のようでありながら、どこか相通ずるものも感じられたからだ。
 出会いと別れ。困難と成長。
 好きになった人が、実は血がつながっているかもしれないという試練。
 好きになってしまったけど、自分は異星人という試練。
 なんともならないと思えば思うほど好きな気持ちは大きくなってしまう。
 さらに、別種の困難が自分をとりかこみ、もがき苦しむうちに、そこから逃げなければ何らかの光は見えてくるというメッセージ。
 けっきょく、なんでもいいのではないか。
 映画やドラマの設定は。
 いや、現実の人生においても。
 野球でも吹奏楽でも、冷静に考えたなら、なんでそんなにやらなければばらないのということをみんなやっている。
 みんな、むりむりに困難を設定して、それを乗り越えようとして泣いたり笑ったり叫んだり哀しんだり感動したりしている。
 なんで? ときかれたなら、いろいろ理屈は言えるけど、それが人間だと言うしかないのではないか。
 あと、物語かな。
 素材はなんでもいいし、たぶん結果も実はさして問題ではなく、そこに何か物語がちょっとでも生まれれば生きていけるんじゃないかという気がする。

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