現代文の講習がはじまった。今日はわりとじっくりめに、東大の古い過去問で、評論文読解の基本を確認する。
昼すぎに学校を出て新宿に向かい、14時半の回で「こっぱみじん」を鑑賞。
いい映画を観ると、すぐ生徒諸君にも観てもらいたいなあ、人権教育の映画としてこんなにいいものは他にないと思うのだが、つまり人権教育にもなりうるテーマを扱った良い作品を観たときに感動しやすいタイプということなのかもしれない。
その昔の「おくりびと」しかり、先日の「チョコレートゲーム」しかり。
「チョコレートゲーム」つながりゆえか、「こっぱみじん」にもゲイ役が登場する。
主人公の楓、その兄、幼馴染みの宅ちゃん。3人は、幼い頃いつも一緒に遊んでいた。
それぞれ大人になり、街を出て医者として働いていたの宅ちゃんが6年ぶりにその街にもどってくる。
楓の兄は、恋人に手伝ってもらいながら小さなイタリアンの店を始めたばかりだ。
楓は幼い頃から宅ちゃんに憧れていて、中学生のときに告白し「妹のようなもんだからな」と断られたこともある。
何年かぶりに会う宅ちゃんに対する自分の気持ちが、前と変わっていないどころか、大人になった今、むしろより強い恋愛感情に近づいていることを意識しはじめる楓だったが、その宅ちゃんが好きなのが、実は自分の兄であることがわかってしまう。
この設定だけで、ひりひりしてきませんか。
さらに、恋人と上手くいっていて結婚間近だと思っていた兄だったが、その恋人のお腹にいる赤ちゃんが、兄の子供ではないことが明らかになる。
人間関係とそれぞれの複雑な思いが大体整理されていくと、中盤以降に描かれるいくつかの告白シーンがあまりにせつなくて。
宅ちゃんがお兄ちゃんに「すっと好きだったんだ、ごめん」と言うところ。
お兄ちゃんが恋人のゆうきちゃんに「出て行くな、おれが父親になる」と言うところ。
楓ちゃんが「宅ちゃんのこと、好き」と告げることころ。
楓の兄に気持ちを告げたあと、宅ちゃんは二人の前に姿を現さない。
兄が宅ちゃんのアパートを尋ねて語る。
「おまえさ、自分がゲイだっていうくらいで、落ち込んだりしてんじゃねえよ。おれなんか、彼女にふたまたかけられてて、しかも違う相手の赤ちゃんみごもってて … 」
「おれ、親や世間にばれて恥ずかしい思いをしてもしかたないって思ってたけど、お前にきもいって思われるのだけはつらかった」と泣く宅ちゃん。
泣けた。
ゲイの人が、まったくノンケの友達を好きになってしまったら、やはり辛いだろうなと、観ながら思った。
自分を好きになってもらえる可能性がきわめて低いという事実はどうしようもないから。
でも、よくよく考えてみると、ふつうに男女間においてもあることだ。
一般人とアイドルとか、本校ではちょっと想像しにくいけど教師と生徒でもそうだし、倫理的に認められない関係においても。
むしろ、自分が好きになった人が自分を好きになる確率というのは、数学的には相当低いのがふつうではないか。
楓ちゃんも「自分の好きな人が、たまたま向こうもこっちを好きになるなんて奇跡だよ」と言う。
美容師を目指す楓ちゃんが、アパートの一室で宅ちゃんの髪を切りながら。
「そうだね」と宅ちゃんが答える。
お兄ちゃんへの思い、宅ちゃんへの思いが、それぞれ叶うことはないと思いながら、その思いを共有し分かち合える存在としてお互いを感じていられる瞬間の幸せを描いたこのシーンで、映画は唐突に終わる。
文学賞でいえば川端康成文学賞を思わずあげたくなるような、今年観た邦画でベストかなと思える作品だった。
もうちょっと多くの映画館でやってもいいんじゃないかな。
明日から部活だし、秋は忙しいので、今年の邦画ベストを発表してしまおう。
1「こっぱみじん」、2「ぼくたちの家族」、3「2つ目の窓」、4「スイートプールサイド」、5「女子ーず」。