「土曜授業をなくさないと市庁舎を破壊する!」
教育委員会に脅迫状を送った小学校の先生が捕まったという、ステキなニュースがあった。
脅迫状には「土曜日まで働かされて疲れがとれない、日曜日に寝こんでしまう」とも書かれていたというではないか。
自分のことばかりか、過酷な勤務を強いられる教員みんなを助けたいと思いやる気持ちにあふれている。
彼をしてそこまで義憤にからしめたものものは何か。
そんな脅迫状を送ったら捕まるのは間違いないのに。
最初、「ある小学生が」かと一瞬思ったけど、「小学校教諭が」だったから、たんにバカだなあでは済ませられないのではないだろうか。
かりに、その教諭の人格だけに問題を収斂させるなら、そういう方を採用している自治体の選考方法に問題が「あったのではないかとか、そこまで追い込んだ職場の問題はなかったのかとか、そんな問題になると思うな。
そっか、脅迫状方式は、やはり失敗するか … 。
諏訪哲治先生の新刊にこんな一節があった。
~ 教育の目的には「人格の完成」などという実現不可能なものが多い。(諏訪哲治『「プロ教師」の流儀 キレイごとぬきの教育入門』中央公論新社) ~
ほんとにそのとおりだ。
「教育は、人格の完成を目指し … 」は「教育基本法」の第一条で、採用試験受験から何十年も経った今も、さすがに覚えている条文だけど、何十年も教員やってきて、それは無理であることに気づいた。
大体自分が完成してない。
でもね、完成しない生き物のことを人間て言うのさ。