数年前、いやもっと前かな、代ゼミさんの、教員研修ではなく普通の春期講習に参加したことがある。
さすがに窓口で申し込みすると「何、このおっさん?」という顔されるだろうから、電話と銀行振り込みとかで申し込みをし、当日は老けた浪人生の体で、代ゼミ本部校での講義を受けにいった。
有名な先生だ。一昔前なら、その先生の授業を申し込むために前の晩から並ぶ生徒がいた … というレベルで有名な方。
なので、それなりに広い教室の前数列に数人しかいない状態であることに、当日は驚いた。
ガイダンス的な春期講習で、二日で終わる講座だったとは言え、まさかこんなにがらがらだなんてと。
もっとずっと昔、「やべ実はおれ古典なんて教えられねえよ、予備校でも行こうか」と危機感を感じて参加した土屋博映先生の春期講習は、けっこう満員だったはずだ。
「ここ10年ぐらい、実は生徒数の減少には歯止めがきかなくなっていた」という最近の新聞記事を読み、そうだったのかと思う。
もうひとつ言えば、今の代ゼミ本部校とかいってみるとわかるけど、そのあまりにも立派な設備に、経営は大丈夫なの? と他人事ながら心配したこともある。
「八吾郎出世(妾馬)」という落語で、殿様のお屋敷に呼ばれた八っつぁんが、敷地内に入ったこう言う。
「たいそうなお屋敷に住んでやがんねえ。店賃は、大丈夫なのかい?」と。
そんな感じ。
大丈夫じゃなかったんだろうね。
「講師の代ゼミ、生徒の駿台、なんとかの河合」などと一時言われたこともあるが、その有名講師が売りの一つになってたことも問題点だったのかもしれない。
代ゼミで学ぼうとする生徒は、やはり誰それ先生の授業を受けたいという意識が、他校より強いだろう。
しかし、みんなのそういう希望を叶えることはできないし、コースによっては知らない先生ばかりになることもあるだろう。すべての先生が参考書を書いてらっしゃるような方ばかりではない。
対照的なのは河合塾さんだ。参考書や問題集をとっても、「誰それの古文」みたいに冠つきの代ゼミのとは異なり、「なんとか演習 河合塾国語科編著」みたくなっている。
有名な先生はいないかもしれないが、河合塾というシステムのなかで、どの生徒にも同じような指導がしてもらえるだろうと受験生は感じるにちがいない。
ていうか、予備校さんの心配をしてる場合じゃなかった。
本校もさいわい今は定員を超える生徒さんにきてもらってるが、明日は我が身だ。
教員一人一人の力量も大事だけど、どういうシステムで運営していくべきなのかを学校自体が意識してないと。 ただ、そうなるとやはり、高所に立った目線で学校と娑婆を観ることのできる存在は必要だ。