水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

アレッサンドロ・ザナルディ

2016年09月23日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「アレッサンドロ・ザナルディ」


 リオパラリンピックの自転車ロードレースは、オリンピックパークの南西に位置するポンタル地区海岸沿いのなだらかなコースで開催された。
  9月15日、元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディ選手が、男子「ロードレース(H5・ハンドサイクルで最も障害が重い)」個人で銀メダルを獲得する。前日の「タイムトライアル」の金メダルに続き、今大会二つ目のメダルである。
 ちょうど15年前の9月15日は、ザナルディ選手が生死の境をさまよっていた日であった。

 

 レーシングドライバーだったザナルディは、1991年、初めてF1に出場を果たす。
 4年間参戦した後、活躍の場をアメリカに移し、「CART」(現在のインディカー)で二度チャンピオンの座につく。イタリア人初の快挙であり、アメリカ人レーサーをしのぐ人気を博していた。
 そして2001年、ドイツのラウジッツで開催されたCART第16戦。
 ザナルディはトップを走っていたが、バランスを崩したところに、後続車が横から時速300kmで突っ込んだ。炎に包まれた車から救出されたザナルディは、一命をとりとめはしたものの、両足切断の大事故となった。ザナルディのレーサー人生は終わったと誰もが思った衝撃的な事故だった。
 しかしザナルディは、2年後に復帰する。
 両足の操作が不要の、ハンドドライブ仕様のツーリングカーで「WTCC(世界ツーリングカー選手権)」に参戦したのだ。
 2005年には、事故が起きたドイツでのレースで初優勝を成し遂げ、世界中のモータースポーツファンに感動を与えた。
 2009年に引退してからは、ロンドン・パラリンピックへの出場を目指して自転車(ハンドサイクリング)の選手へと転向した。
 2012年、ロンドン・パラリンピックではイギリスの「ブランズハッチ」サーキットを使って開催された大会で「タイムトライアル」「ロードレース」2種目での金メダルを獲得した。
 ブランズハッチは、F1ヨーロッパグランプリも開催された名門サーキットだ。もちろん、ザナルディ選手もレース経験がある。レース後、彼はこう語った。


 ~ 「(21年前、ブランズハッチで)ポールポジションを取ったが、決勝では2位に終わった。このコースでは2位や3位は取ったことがあったけれど、表彰台の一番上に立ったことはなかったんだ。でも今日、それを成し遂げることができた。 … エンジンがあったときは、ここがこんなに起伏に富んでいるとは気づかなかったよ。」 ~

 

 ドライバー生命が失われたあと、すぐに立ち直って新しい人生に向かっていった … わけではないだろう。
 「不屈の精神力で」と、われわれは簡単にまとめがちだが、両足切断の後の苦しみや葛藤がどれほどのものであったか。
 彼の言葉を聞くと、われわれが簡単に「挫折」などと口にするのはおこがましいと思える。

コメント
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