学年だより「アレッサンドロ・ザナルディ(2)」
ロンドンからさらに四年の月日を経て迎えた今回のリオパラリンピック。
ザナルディは49歳になった。
9月14日、「タイムトライアル」では、見事に金メダルを獲得し二連覇を果たした。
翌15日、「ロードレース」でも2大会連続の金メダルを狙ったが、最後のスプリントで南アフリカのエレンスト・ヴァン・ダイク選手に惜しくも競り負けての2位となった。
ザナルディは、レース後すぐにダイク選手に近寄って祝福する。そして、こう語った。
~ 「私は全力を振り絞ったよ。コースの性質か、私の年齢か、睡眠不足が響いたのかは分からない ―― でも、2位になれて本当に幸せだ」 ~
インタビューでは、当然ながら15年前の事故についても質問を受けた。
~ 「15年前の今日、私は生まれ変わったんだ。なに、捨てたものじゃないよ――その記念日に銀メ ダルが手に入った。これ以上は望めないな。家に帰って、妻と子どもがキスをしてくれればそ れでいい」 ~
予想もしなかったこと、思うようにならないこと、つらいこと、やりきれないこと、自分ではどうしようもないこと、人生はなんでも起こりうる。「それが人生」とも言えるだろう。
大事なのは、自分がそれをどう受け止めるかだ。
先々号で「大学は食べ放題の店だ」と書いた。
そのことに気づかない人が多い、とも。
勉強し放題、部活し放題状態にある今のみなさんは、実はすでに「食べ放題」の店にいる。
それに気づくかどうか。気づいたとして、元がとれるほど食べまくれるかどうか。
合格体験談を語ってくれた先輩達が、いま現在、大学生活の豊かさを享受できているのは、その下地としての高校生活の過ごし方と連動していることは間違いない。
逆の例もある。高校時代を漫然と過ごし、それでも入れる大学は今はいくらでもあるので、なんとなく進学し、それでいて講義がつまらない、サークルが盛り上がらない、就職の指導をしてもらえない … と不満を感じながらすごすような場合だ。
それだと、大学の学費はあまりにも高くつく。
ありきたりな言葉だが、与えられた状況をどう受け止めるかで、その後の人生は変わる。
想像を絶する大怪我さえ神様の贈り物と受け止めるザナルディには、失ったもの以上の別の何かが与えられた。そういう意味では、考え方一つで人生を変えることができたのだ。
~ 「僕は人生からたくさんの物を得てきた。幸運の女神が次々にいろんなものを与えてくれる。本 当に感謝するばかりだ。」 ~
人生は、「生き放題」なのではないだろうか。