本業は大丈夫なのかと心配する人がいるくらいテレビにも出まくっていらっしゃる林修先生。
ていうか、本業を知らない人もいるんじゃないかな。
林先生の暮らしぶりを追うドキュメントを前に見たことがある。
根本的に頭がいいうえに、働きまくっているから、われわれ文人が想像もできないレベルの仕事量をこなしている姿がそこにあった。
そもそも次元が違いすぎた。ただ、生き方、仕事術、食べ物の本まで出されているにもかかわらず、参考書や問題集は書かれていない。
どんな授業をされるにだろうと興味がある。教員に成り立てのころ、一生徒として代ゼミや駿台に通ったことがあるが、さすがは今それはしにくい。
昨年末「モーニング」に連載されている「ドラゴン桜2」に、林先生は登場した。
林修先生の推薦で私立龍山高校にやってきたのは、太宰府修先生。
口癖は「つかれた……、うまれてすいません」。
その太宰府先生が、先週号ではあつい現代文の授業をしていた。
文章は、構造でできている。
その構造は、「同等関係」「対比関係」「因果関係」の3つに分類できる!……
東進ハイスクールでの林先生の授業が垣間見られる。
「同等」「対比」「因果」の三つ。
駿台の霜栄先生は「同値」と「対値」という。
出口汪先生は「A=A’」「A ←→ B」という。
もとをたどれば、数十年前に駿台の藤田修一先生が言われた「現代文の記号的解釈」ではないだろうか。
自分は「相似」「対比」「因果」と教えている。
現代文の授業で教えていることをふりかえってみるなら、こことここは「=」、これとこれが「 ←→ 」という説明ばかりだ。
教えることがこんなに少ない科目って他にあるだろうか。
「傍線部はどういうことか?」という問いには、傍線部と同じ内容を別の言い方で答えるだけだ。
言い換えているだけであって、何の発見も洞察もいらない。
こんなに頭を使わなくていい科目って他にあるだろうか。
太宰府先生は、「言い換え」がすべてだ、他の科目でも同じだ、と強調する。
国語力とは「言い換える力」。
ということは、言い換えるための言葉を持たねばならない。
そういう意味では「語彙力」でもある。
話がわかりやすい人は、言い換え力がある。
国語力がないと、1も100も、aもXも、りんごもゴリラも、「やべ」「かわいい」ぐらいにしか言い換えられない。
技術がないと、目の前にある四分音符を、同じ強さで同じニュアンスでしか表現できないのと、本質は同じかもしれない。
勉強すれば東大に受かる程度の言い換え力は身につく。才能はいらない。
ただし、指原莉乃さんクラスの国語力になると、努力だけでは身につかない。自分には無理だと思う。