学年だより「運命」
松岡修三氏は、「運命は変えられる」という。
~ 「運命で人の未来は決まっているから、努力しても無駄」という考え方の人もいるようです。
でも僕は、「宿命」は変えられないけれど「運命」は変えられる、と思っています。
宿命というのは、辞書的に言えば「前世から定まっている運命」のこと。文字のイメージからしても、「自分が生まれる前から棲みついちゃってるな」という感じがします。たとえば、僕が松岡家の次男として生まれたことは宿命。僕らが人間として生まれてきたことも宿命です。これは、どう頑張っても変えられない。
一方、運命は、「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐってくる幸福や不幸」のことですが、「めぐりあわせ、将来のなりゆき」という意味もあります。文字のイメージからすると、「ものごとの運びようによって、変わってくるんじゃないか?」という気がします。必ずしも絶対的なものではなく、自分の受け止め方や行動でコントロールできるものだと思うんです。 ~
日本の、埼玉県の、○○市のとある家庭に、平成3年か4年に男子として生まれたという事実は、がんばっても変えることはできない。
松岡氏の言う「宿命」に該当する。
川越東に入学したことはどうか。結果としてそうなっただけという感覚で入学した人もいるかもしれないが、やはり自らの意志で選び取ったものだ。
そこでたまたま○○という部活と出会う、○○くんと出会うというようなことは偶然にも思えるが、自分が選び取った環境の中で生まれた関係であるのだから、偶然という名の運命だ。
~ 運命というのは、どういう学校へ行き、どんな人と出会い、どんな経験や仕事をするか、そのなかで自分のどういう才能を伸ばしていくかによって、大きく変わると思います。
チャンスはどこにあるかわかりません。とらえ方によって、それがチャンスになるかどうかも違ってきます。ウィンブルドンのセンターコートに立てるのは強い選手ですが、見方を変えれば、その対戦相手となる〝強い選手と当たっちゃった選手″だって入れるのですから。
運命がどこでどう変わるかは、すべて自分自身の気持ちや行動しだい。だから、「努力しても無駄」なんで思わないでください。
宿命は変えられないものとして受け入れる。そのなかで努力して〝いい運命″をつくりあげでいこう! (松岡修三『弱さをさらけだす勇気』講談社) ~
模擬試験や定期考査の成績、試合で勝つこと負けること、思いを寄せる子に声をかけることかけられないこと……。
「結果は結果として受け止めて」という言い方をするが、たまたまそうなったのではない。
あくまでも自分の意志で行動して得たものだ。
うまくいったことも、いかなかったことも、自分の意志の積み重ねの結果としてそこにある。