言い換え力(4)
4 「変化」の相似表現
評論文は、前近代から近代への変化に関わる問題意識が前提として書かれる。
なんらかの社会的変化、価値観の変化に基づいた内容が論じられることになる。
「何」が、「どう」変わったのか、という内容は、多くの主題に関わる内容である。
「 ~ 化」「 ~ という変化」「 ~ への推移」「 ~ と変わってきた」「 ~ ようになった」「 ~ しがちである」といった表現に、注意して読んでいくとよい。
「変化」も、さまざまな形に言い換えられている。
(例1)
・「である」価値から「する」価値へという、価値基準の歴史的な〈 変革 〉
・近代日本のダイナミックな〈 「躍進」 〉
・「する」価値への〈 転換 〉
・「である」社会のモラルによってセメント〈 化 〉
(丸山真男「『である』ことと『する』こと」)
(例2)
・聴き手の聴取態度を根本的に〈 変質 〉させた。
・散漫で表面的な環境体験へと形を〈 変える 〉。
・音楽を一つの環境として持ち歩くことができる〈 ようになった 〉。
・局所的な刺激断片の集合体〈 と化した 〉。
(渡辺裕「聴衆の『ポストモダン』?」)
繰り返すが、相似表現とは言い換え表現である。
それは、具体から抽象への各レベルをいったりきたりする。
文章のそれぞれの部分(それは単語であったり、文であったり、段落であったりする)が、「何」を具体化した部分か、「何」を抽象化した部分かを見分けることが大切である。
そして、「何」が、どの〈具体―抽象〉レベルで、繰り返し、つまり言い換えられながら説明されているのかを見つけていくのである。
繰り返し述べられるその「何」が、テーマである。
その結果、たとえば「この文章は、抽象→具体→具体→抽象という論理の流れである」というように全体を把握することができる。