水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

言い換え力(5)

2019年01月25日 | 国語のお勉強

言い換え力(5)

5 全体構造の把握

 「序論・本論・結論」「起・承・転・結」といった文章構成法が広く知られている。
 社会人になってから、このような構成法にならって文章を書いた経験のある人がどれくらいいるだろう。
 学術論文を書くような方を除けば、そんな悠長に文章を書いていられる人は、まずいない。
 学校現場では、「総合学習」の時間に、「報告文を書く」といった作業は多く行われている。
 そこでは、「序論・本論・結論」、「起・承・転・結」で書きなさいという指導も行われるのではないだろうか。
 しかし、その学習は将来役に立つ知識にはならない。実社会では使えないからだ。
 誰もが情報発信を行い得る時代に、だからこそ発信型国語能力が求められているこの時代に、「起承転結」という古典的な構成法を教えていてもしょうがないのである。
 「実用的な文章」の学習に比重がうつっていく今後はなおさら、「序論・本論・結論」「起承転結」といった文章構成の知識は、「過去の遺物」扱いにしていいのではないか。

 仕事に必要な文章において必要なのは「まず結論を述べる」といった方法である。
 目にした人がつい読んでしまう文章にするために「転」から入るという方法もある。
 中島らもは言う。


 ~ 「起承転結というセオリーはもう古い。……というのは、起承転結でいえば、「転」だけを見せるものだ。残りの「起承結」は、受け手の想像力にゆだめるのである。そうすれば何十回見ても飽きのこないコマーシャルがつくれる。同じことが、会社などの報告書にもいえる。うだうだ言わずにまず、「結果」を書く。次に「それまでのプロセス」を書く。その後に、「今後の展望」を書く。同じことがエッセイにも言える。 (中島らも『砂をつかんで立ち上がれ』集英社) ~


 評論文では、意表をついた具体例や比喩から書き始められているものがある。
 論理的には相当飛躍のある一文から書き始められる評論もある。
 これらは「転」から入った評論だと言える。
 小・中学校教科書の説明文教材の多くは、「序論・本論・結論」「起承転結」の整った形で書かれているようだが、それは書き下ろし教材であるからだ。
 現実社会においては、こういった構成の文章に出会うことはほとんどない。
 高校の教科書に載っていたり、大学入試で出題されたりする文章は、全体の一部である。
 「序」や「起」はほとんどない。
 いきなり「本」または「転」、またはその変形だ。
 具体例や比喩は、筆者の主張が形を変えているものだ。
 言いたいことを具体的にねちっこく積み重ねている部分なのか、抽象化・一般化してぐっとまとめて書いてある部分なのか。つまりどのレベルで言い換えてあるのかを読み解く作業が、読解ということになる。

コメント
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