水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

宿題

2010年01月14日 | 日々のあれこれ
 宿題を集める時期は、机まわりがとんでもないことになる。
 ちゃんと予想を立てて仕事をすればいいことはわかっているが、気がつくと、○組と○組の漢文のプリントを重ね、そのとなりに○組の現代文の問題集を積み上げ、授業で使うプリントをまた大量に印刷してしまい、混ざるといけないと思って仮に椅子に置いて、いったん別のことをパソコンコーナーでやっていたら、まったく別種の書類や郵送物が漢文のプリントの上におかれてしまい、3年生に頼まれた添削のプリントが山の下の方にあることに気づき、それを無理やり取りだそうとりだそうとしたら、山が崩れ何がなんだかわからなくなった。
 宿題の処理は教室でやってしまうのがベストなのはわかっているのだ。
 授業の最初に回収して、作業が行われている間に目を通してチェックし、授業の終わりに返却する。
 向山先生の教えはよおくわかっているが、わかっていてもできない。
 だいたい提出の仕方がいろいろなのがだめなんだと生徒にもあたりたくなる。
 名前を書いてなかったり、半分に折って出してと二回言っても通じなかったり、答え合わせしてないのを指摘すると、「え、丸つけもするんですか?」と聞く。書いてあるじゃねえか。
 机回りが地獄と化すのは、本やらCDやらを整理できてないことにもある。
 買って読んでない本、聞いてないCDの山。
 処理できてないのに、またアマゾンで数冊注文してしまい、手元に届くととりあえず安心して積み上げてしまう。
 おそらく何の本があるのかさえわかってないから、えいやっと確認しないでブックオフにもっていったとしても、何の問題もたぶんないのであろう。
 しょうがないので、いったん小講堂に本を2箱避難した。
 箱に詰めながら、ぱらぱらと速読で読めてしまった本があった。
 『筆談ホステス』(期待したほどではない)、島田紳助『自己プロデュース力』(名作! あらためて紹介したい、生徒さんにも薦めたい)、『ポンピュンラン』(う~っ、走りたい)。
 白石一文『ほかならぬ人へ』をぱらぱらっとめくってたらつい読みこんでしまい、いい作品だなあ、白石さんのなかではインパクトがないので、直木賞は無理だな、でもこういうけれんの少ない方がおれは好きだなと思ったり。
 一昨日は、佐々木譲『廃墟に乞う』を半分くらい読み、う~ん、上手だけど直木賞はとらないな、今までにとっておかしくない作品がいくらでもあったのに、と思ったのだ。
 なので久しぶりに直木賞は該当作なしかもねと思っていたのだが、ついさっき確認したら、この2作品が選ばれたという。
 直木賞なんて … という人もいるけど、おめでたいじゃないですか。
 どんな形であれ、好きな仕事ができたうえに、他人から評価されるなんて幸せがほかにあるだろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ

2010年01月13日 | 日々のあれこれ
 定演への動きが本格化してきた。
 よその学校さんから見れば、まだそんな段階なの? かもしれないが、あせって楽器がうまくならないのでは本末転倒になる。
 演奏以外のいろんな企画も楽しくやりたいが、演奏技術を身につけるという一点だけはきちっとやっていかないといけない。
 放課後、演奏会企画のメンバーと、2部のお芝居や3部の曲の構成を話し合った。
 やりたいこと、やりたい曲はたくさんある。
 どうまとめていくか、間に合うかどうか、心配だけど、そのスリルが毎年楽しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オフ日

2010年01月12日 | 日々のあれこれ
 昨日のオフ日は、学校で3学期の予習をし、指揮法の講習会に出かけた。
 指揮法教程に基づいて練習曲の1番から教えてもらうという経験を今になってはじめてしている。
 過去に指揮を習ったことがないではないが、それはコンクール前にふりつけをならいに行くという性質のものだったので、基本から教えてもらうのは初めてだ。
 そんなんでよく指揮台に立ってきたなと思われる方もいるかもしれないが、日本の学校教育の部活動は、基本的に素人が素人を教えるという構造で成り立っているものだと開き直って言うしかない。
 だから専門的な知識をもっている人がたまたまある学校の指導につくと、突然その学校のその部が強くなり、その先生が異動になればまたもとにもどっていく。
 ただし専門的知識の有無とは、その部活動を経験してきたかどうかだけではかれるものでもない。
 中高大とその競技をやってきて、それなりに結果を残してきた人であっても、顧問になって必ず成功するとはかぎらない。
 その競技の経験はないものの、自分で勉強して知識を身につけ、大指導者になられる方もいる。
 その差がどこでうまれるかといえば、コミュニケーション力につきる(んじゃないかなあ)。
 いくら立派な選手経験があっても、自分がやってきた練習法のみを金科玉条とし、それについてこれないのは生徒が悪い、自分のやり方に問題はないとしか考えられない人は、やはり部員からそっぽを向かれる。
 経験がなくても、指導者として学んでいこう、よその学校の練習を見に行こう、話を聞いていかしていこうという姿勢がある人は、たぶん部員にも伝わる(はずだと思い、なんとかそれを目指そうとしている)。
 埼玉県の吹奏楽指導者を思いうかべてみると、多くの先生が豊かな経験をもち、さらに勉強もし、そしていろんな方と情報を共有しながら取り組んでいる。
 人とあうのを厭うことは、人としての成長につながらないというのは、どの世界でも同じなのだろう。
 前回の講習に続いて、まず図形をきちんと描きましょうと習った。
 基本をまず身につけてその先にいろんなものがあるのだと。
 いつも生徒さんに教えていることが、自分ではできてないのだと反省する。
 講習を終えてから、東京フィルの演奏会に渋谷のオーチャードホールへ。
 実はオーチャードホールも初体験なのだが、ものすごく立派なホールなのに、なぜこんなに響かないのか耳を疑った。
 一階後方だった座席のせいもあるのだろうが、芸術劇場やすみだトリフォリーにくらべたら、音響的にはものすごく劣るように感じた。
 「アルヴァマー」「三つのジャポニスム」などものすごく魅力的なプログラムだっただけにちょっと残念だった。
 もう一つだけ言わせていただくと、ちょっと全体に商売商売しすぎてたんじゃないかな。「なにわオーケストラル」みたいな吹奏楽へのあふれる喜びが不足ぎみに感じたのは、うますぎるからだろうか。主観にすぎないだろうけど。
 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューイヤーコンサート

2010年01月10日 | 日々のあれこれ
 南古谷ニューイヤーコンサートは、毎年東邦音大のグランツザールで催される。
 客席数はたしか600弱だったとはずだが、ほどよい大きさでひびきもすばらしい。
 「のだめ」のロケでつかわれただけのことはある。
 だから毎年気持ちよく演奏できる。
 さいたま市文化センターレベルの箱だと、正直荷が重い。
 3月に1300の川越市民会館でしっかりひびかせられるようになり、そして夏には2000席にわれわれの音を届けたい。
 今日は、こまかいミスはあったけど、全体としては来年に向けての第一歩となる演奏ができた。
 応援におこしいただいたみなさま、寒いなかありがとうございました。

 演奏後、片付け、集合を終えたあと、ダウンロードしてくれた来年の課題曲を聴く。
 なんか今年はめずらしく(ていうと生意気だけど)びみょーな曲がないような気がする。
 まず3からやってみたいなあ。

 解散後、わりとすぐにみんな帰っていったが、「のだめ」を観に行った子が多数いるらしい。
 いいなあ。本番おわってみんなで映画観に行くなんて。
 もう観たけど、一人だったし。
 それにしても、ほんとうに前編後編のつくりだった。
 それぞれが独立してまとまっているということはないから、丸々二本分の料金がかかる。
 「沈まぬ太陽」に比べたら、ええ商売しとるのお。
 マンガを実写化した作品で、これほど各キャラに役者さんがうまくはまったものはないのではないか。
 上野樹里はもとより、ターニャ役のベッキーとか、孫RUIの山田優、そして清良の水川あさみちゃん。
 倍の料金を払うのだから、後編では清良をもっと出してもらわねば納得できん。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すいかとめて

2010年01月09日 | 国語のお勉強(古文)
 「べし」の意味の覚え方は「すいかとめて」で教えている。
 す(推量)・い(意志)・か(可能)・と(当然)・め(命令)・て(適当)の6種をおぼえなさいと。
 この覚え方は全国的にオーソドックスで他にはないのかなと思っていたが、最近になって他のパターンを知った。
 娘の学校では「べしっとかいすぎとめてんか」とおぼえるという。
 さらに昨日聞いたのは「てめいすぎとかよ」というものだ。
 これだと「ぎ(義務)」とか「よ(予定)」も入り、なかなかすぐれものだ。
 ただし埼玉県は杉戸町(市?)を知らないと、何それ?ということになる。
 ためしにネットで検索してみたら、やはりベースは「すいかとめて」だけど、他にもいろいろあることを知った。
 みんないろいろ工夫しているのだ。
 ただし、「べし」の意味の骨格は「当然」である。
 「む」のちょっと強いものみたく理解されがちだけど、「とにかく未確定だ、先の話だ」という「む」と、「もうそのことがおこるのは当然だ、今にもおきる」というニュアンスの「べし」とは異なる。
 なので、接続の仕方も異なる。
 「む」は「ず」や「まし」の仲間で、「まだ」おこってないグループで未然形接続。
 「べし」は「らむ」「なり(推定)」の仲間で「今」を表すグループ。なので、終止形接続をする。
 「すでに」を表す「き」「けり」「けむ」は連用形接続。
 接続の仕方も、意味との関連を意識すると多少はおぼえやすいかもしれない。
 まあ、接続はおぼえなくてもいいけどね。
 いつも声に出して読んでさえいれば、何形接続なんてのは自然に覚える。
 「り」は「さみしいり」とか言い、さ(サ変)み(未然形)し(四段)い(已然形)に接続する「り」とかいちおうは教える。
 でも本来は、たとえば「咲きあり」を短く「咲けり」と言った結果、「り」が助動詞に見えるようになったものだ。
 だから「咲けり」の「咲け」は已然形でも命令形でもない。
 「り」が何形接続なんですか、なんて言うこと自体がナンセンスだ。
 なんかよくわかんないけど「り」の上には「e音」があると感じられればいい。
 
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「如」の用法

2010年01月08日 | 国語のお勉強(漢文)
 「如」には、「ごとし」「しく」「もし」などいろいろな読み方があり、つまりいろいろな意味があるとされるが、根本の意味は一つである(と断言しようとし、念のため『字統』も繙いて確認した)。
 「~にしたがう」、「~にみちびかれる」という原義から「~のようだ」となった語だ。
 英語の第二文型「S・V・C」の「V」と考えればいいと思う。

 「不動・如・山」(動かざること山のごとし)は、「不動」=「山」になる。

 「~に如かず」の「不如」は、この否定文。
 「百聞・不如・一見」は「百聞」と「一見」は「=ではない」ということを表している。
 イコールではなく一見の方がいいよね、という気持ちなので、「如(し)かず」と訓読したもので、本質はSVCのVだ。

 「如(も)し~」も実は同じだ。
 たとえば、「不入虎穴、不得虎子(虎穴に入らずんば、虎子を得ず)」という複文は、前後の関係から「~ならば」とつなげて解釈する。
 条件→結論の構造である。
 英語の「no~、no~」と同じで、「no music no life」を「音楽がなければ人生はない」と訳すようなもの。
 「音楽のない人生なんて考えられない」くらいには訳したいけど。
 文頭に「如」がある場合、省略されているAがBと同じである「ならば」、結果としてこう言えるとつながっていく文なので、「如(も)し~ば、」とよんでいくことにしたのだ。

 昔の人はえらいので、いかに訓読すれば伝わりやすいかをひたすら考えてくだすった。
 その結果ひとつの文字に複数の訓読みができることにもなった。
 それを、「なんで読み方がいくつもあるんだよ、おぼえられねえよ」と文句を言うのはあまりに頭が悪すぎる。
 本質は何だろう、それはどういうこと? という頭の使い方をしてみるのが大事ではないかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日から3学期

2010年01月07日 | 日々のあれこれ
 ドッグ前と合宿のおかげで二晩禁酒できた。
 無事合宿も終わり、明日から3学期。
 やるべきことは山ほどあるが、やれることから粛々とやっていくしかない。
 何をやってもまったく後悔しないなんていうことはない。
 もし後悔しないとしたら、たいしてやってこなかっただけのことで、こだわってやればやっただけ、成し遂げられなかった部分への後悔がうまれるのは当然だ。
 やらなくて後悔もできないような取り組み方だけはすまいと思う、何事も。
 おお、やっと新年らしく前向きになってきた。
 前向きになれた自分を祝福し、今夜はほどよく呑もう。
 
 3学期最初の「進路だより」に、「いろいろ考える前にやろうぜ」的な文章を載せ、3学期にやる教科書教材をコピーしたので、ほぼ3学期準備は終わった。


~ 深く穴を掘れ、穴の直径は自然に拡がる ~ 矢頭宣男氏(「やずや」創業者)の言葉
 
 文系・理系の選択を、自分のなりたい職業から決めてはいけません。
 昨年の説明会でも話しましたが、現時点でのみなさんの知識でイメージできる職業が、みなさんの大学卒業時に存在しているかどうかの保障はありません。
 また現時点での、みなさんの自分自身の認識(自分で自分のことをどう思っているか)が、まだ漠然としたものでしかありません。
 どんな人間か、どんな適性があるかはっきりしない状態のまま、将来やりたい職業を決めてしまい、それに向かってすすんでいくのは実は危険なことです。
 文系に進んでも理系に進んでも、とにかく一生懸命勉強して、少しでも難しい大学に入って、そこで自分の選んだ学問を徹底的に取り組んでみる。
 するとそのときはじめて、自分のやりたいことが見えてくることもあります。
 もちろんその時点で見えなくてもかまいません。
 一生懸命就職活動をして、たとえばある会社に入ったとしたら、そこで徹底的に与えられた仕事にとりくんでみる。
 するとそのときはじめて自分のやりたいことが見えてくるかもしれません。
 自分のやりたいことなど、それぐらいになって始めてわかればいいのです。
 今それを探すのは時間のむだです。いまやるべきことは、とにかく徹底的に勉強すること、部活に打ち込むこと、きちんと生活することです。
 そういう意味で、冒頭の言葉を掲げました。
 どこに穴を掘ろうか、どんな穴を掘ろうか、考えてても何も生み出しません。
 まず掘り始めましょう。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のために

2010年01月06日 | 日々のあれこれ
 なんのために練習をするのか。
 いい演奏をするため。
 では、なぜいい演奏をしたいのか。
 「聴いてくれてる人にいい気持ちになってほしいから」とたぶん答えるだろうが、この答えには理屈がまじっている気もする。
 いい演奏をしたいから、その方が気持ちいいから、が根本ではないのか。
 別に何かのためではなく、そこに楽器があるから、楽曲があるから、音楽があるから、というのが本質かなと突然思う。
 部活動はどうだろう。
 尋ねられれれば、「部活動を通して人間的に成長するためです」とこれまで答えてきたし、これからも答えるだろう。
 でもよくよく考えてみると、なんの「ため」というのではなく、部活動そのものをやるためなのかもしれない。
 サッカー部員は、人間的に成長することよりもサッカーが好きだろう。
 野球部員もしかり。
 プロ野球選手も、年俸の多寡は重要ではあろうが、でもお金と野球とどっちが好き?と尋ねられれば、野球が好きというのが本当の自分のはずで、それぐらい好きでなかったら、プロにはなれない。
 いや好きとか得意とかではなく、それをやらずにいられない人にしかプロにはなれない。
 将棋部員は、他の何よりも将棋が好きなはずで、お金をはらってでも将棋をさしてつづけていたいだろう。
 じゃ、音楽もそれで何が悪いのか。
 なんか今までの運営方針と矛盾してしまうが、部活動を通して何かを学ぶ、つまり何かのためにやるのではなく、われわれは音楽をやることが第一の目的だと考えてはいけないのだろうか。
 人間的成長なんて、そんな小さなことの手段にあたしを利用しないで、と音楽の神ミューズに叱られている気が最近するのだ。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドッグ

2010年01月05日 | 日々のあれこれ
 ずいぶん長い間あってない友人からの年賀状に、「たまに顧問日誌を読んでます」と書いてあるのをみて、若干の気恥ずかしさを抱きながら、なるほどネットとは全世界に開かれたメディアであるなあと感心した。
 世界中で書かれているブログのうち、半分近くが日本語で書かれているそうだ。
 びっくりですね。
 それほど日本人は、書くことが好きな民族なのだ。
 それは歴史的にそうにちがいなく、江戸時代終わりの識字人口比率が世界で圧倒的に高かったということでもわかる。
 そのせいで日本は、他のほとんどの非西欧国とはことなり、列強の植民地にならなくてすんだともいえる。
 そんな世界に開かれたメディアで書くべきことではないのだが、明日の人間ドッグがすこし不安。
 二日に一晩だけ帰省して幼なじみと会ったが、久しぶりに会えば身体的衰えの話になるのは、いづこにおいても同じであろう。
 いったい日本中でどれだけのおやじが不健康自慢をしていることか。
 ほんとは夏休み中に行く予定だった。
 部活や講習の予定などがだいたい明らかになってからいつも行っているクリニックに電話したら、8月はいっぱいですと言われた。
 だいたいお上のつごうだけで、ふぁっきん忙しい夏休み中に済ませなさいというお達し自体に不満はもっていたのだ。
 それで2学期の授業のない日を予約したら、間際になって休みをとれない状況になり、キャンセルをして翌月はどうですか? もううまってます、じゃ11月の土曜は? いっぱいですね、じゃいつなら空いてるんだよ! と決まったのが明日なのだが、年末年始という身体的にはもっともゆるい状態でいって大丈夫だろうか。
 提出するアンケートを記入する。
 寝る前2時間以内に夕食を摂ることがありますか?
 ほぼ毎日。
 運動は週に何回しますか。
 なし。
 お酒を飲まない日は週に何日ありますか?
 ねえよ。
 生活習慣を変える気持ちはありますか?
 だからねえっつってんだろ、いそがしいんだよ。
という気持ちをこめながらチェックをいれていく。
 だいたい腹回り85㎝以上だと要注意というメタボ基準値なんてものがあやしい。
 身長や体格に関係なく一律85㎝と決めるアバウトさが。
 じゃなにかい? おれもアンドレザジャイアントも一律同じ基準で診断されるのかい?
 85㎝なんていったら35歳以上の金管奏者はほぼ全員メタボではなかろうか。
 ああ、新年早々こんなに品格のない文章を全世界に発表してしまうことをお許し下さい。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年

2010年01月01日 | 日々のあれこれ
 新年おめでとうございます!

  何となく、
  今年はよい事あるごとし。
  元日の朝、晴れて風無し。

 という啄木の歌を多くを人が思いおこしたであろう、今朝のすばらしい青空。
 本年がみなさまにとって素敵な一年になることをお祈りいたします。
 祈るというか、そのお手伝いこそが仕事ですね。

 と思い、今後やるべき仕事をリストアップしに学校へ。
 3学期教材の確認、あらたに読みたい問題のファイルつくり、「ハウル」のスコアの小節番号ふり、冬休み宿題の答え、学校評価アンケートのご意見集約ファイルつくり、古文単語集改訂版の準備、定演で歌いたい曲のコピーなど、ちょっとずつやりかけては他のにうつり、合間に新年のメッセージの入ったメールを読んだり返信したり、いろんな人のブログを読んだり。
 さすがに正月の校舎は、職員室も、勉強しに来ている3年生も少なく、穏やかに過ごす。
 今年がどんな一年になるのか楽しみではあるが気負いはなく、また一年生きながらえさせていただけるなら、それにまさる幸せをないと本気で思えるようになった。 

  年明けてゆるめる心!
  うっとりと
  来し方をすべて忘れしごとし。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする