水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

あと1センチの恋

2015年01月09日 | 演奏会・映画など

 この映画から、道徳的な教訓を受け取ることももちろんできる。
 目の前にいる人が一番大切な人ですよとか、夢はあきらめてはいけないとか、自分の素直な気持ちから逃げちゃだめとか。
 たしかに、そうなのだ。
 なかなか素直に好きと言わない二人、いや好きなのかどうか迷ってる二人といった方がいいかな、見てるとほんとにもどかしい。
 幼馴染みのロージーとアレックスは、思春期を迎えても一番身近にいる異性として存在し、あまりに身近であるがゆえに、はたから見たら友達以上恋人未満の関係を続けている。
 お互いに、他に気になる相手を言い合ったり、その相手の攻略方法を考え合ったりもする。
 そんな話をしながら、同時に相手の恋が進展すると、寂しさを感じている自分に気づいたりもする。
 どちらかが素直に気持ちを伝え、言われた方が素直に応えたならば、その時点で二人はふつうに結ばれ、幸せな夫婦になることもありうるのだ。
 でも、どちらかがそんな気持ちになった時にかぎって、片方は違う相手と恋をしていたりする。
 ロージーが恋に破れ、自分にはアレックスが必要だと気づいたときには、アレックスは恋人とやりまくりだったり、アレックスの結婚生活が破綻したとき時に、ロージーは娘の父親とよりをもどしていたり(ロージーは10代で、アレックスとは違う相手との子どもを出産する)。
 二人が、自分の気持ちに向き合い手を取り合うまで、18歳のファーストキスから数えても都合12年間(だったかな)すれ違い続ける。異性としての意識がかすかに萌した子ども時代まで遡れば、二十年以上かかっている。
 もどかしいとか、男がもっとしっかりしろとか、女の子がビッチすぎるとか、言いたくなる人もいる思う。
 一方で、これこそ人生のほんとの姿なのだとも思える。
 仮に、若いうちに、二人が自然に結婚していたら、最終的に、こんなにも互いを愛おしいと思えるようになれたかというと、ちがう気もするのだ。
 長い期間のすれ違いや思い込みをクリアしたからこその結果が、やはりある。

 これって、男女の話だけではないな。
 ちょっとした勘違いや思い込みで、すれ違いが起こるのは。
 人間関係一般でも、人と仕事でも、人とモノでも、なんでも。部活も同じかも。
 たとえば、その勘違いも、死ぬまで続いてしまえば勘違いでなくなるわけで、本当に勘違いであったかどうかは、実はわからない。
 自分はこの仕事が天職だと思い込み、思い込みの強さゆえに努力して、その結果成功できて、最後まで全うできるなら、ただの思い込みだったとは言えなくなる。
 あの人は自分を好きに違いないと勘違いして、何の疑いもなく声をかけて、その自信ゆえに相手からも受け入れてもらえて、ずっと一緒にいれるなら、ただの勘違いだったとは言えなくなる。
 逆だとつらい。
 自分にはもっと自分にあった仕事があるはずだとか、目の前にいる人ではなく、もっと素敵な人が現れるはずだとかの方向で思い込んでしまうと。
 現実社会においては、白馬に乗った騎士は現れない。
 出会った人が実は白馬に乗っているのだ。
 若いうちは見えないし、乗っている本人も気づいていないが。

 仕事も同じだ。その時その時に自分に課せられた仕事こそが、やるべきことだ。
 仮にやりたくないことであっても、それを一生懸命やらないと、やりたいことにはめぐり会えない。
 恋愛が仕事に似ているのか、逆なのか。人のやることはすべて原理は同じなのか。
 て、えらそうに原理を語ってしまったが、多くの人が、しかも一定の年齢になれば、気づいているにちがいない。
 でも、若いうちは気づかない。気づかないから、もがく。くるしむ。もんもんとする。
 それもいい経験であることは間違いない。
 若いときに簡単に悟ってしまう人がいたら、逆に気持ち悪い。お釈迦さまだって何年もかかったのだから。
 もがき、くるしみ、もんもんとするからこそ愛おしい人生の一面を描いたこの作品は、実にキュートだった。
 そして、何より … 。ロージー役のリリー・コリンズさん、やばくね?
 現実問題として、身近にここまでキュートな娘さんがいて良い感じの関係になれそうなら、ほんとは躊躇してはいけないんだけどね。
 この女優さん、あっという間に御尊父のフィルコリンズさんより有名になってしまうだろう。
 アレックスも今風に言えばイケメンさんだ。それに、やっぱ白人のイケメンさんは正直完成度がちがうなと、おれでさえ思ってしまう。
 昨日は、合宿明けの体をいたわろうと、ユナイテッド入間まで車を走らせた。
 がらがらの映画館には、なぜか女子高校生生四人組が前の方にすわっていた。何情報で観に来たのだろう。楽しめたんじゃないかな。
 君たちは、アレックスがいたらうじうじしてたらいけないんだよ、すぐつかまえなきゃ。ロージーじゃないんだから、と念を送っておいた。
 今年観た映画のなかで、間違いなくベストワン。

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腹をくくる

2015年01月08日 | 日々のあれこれ

 朝の集合に遅刻する子がいて、昨夜の気合いはなんだったのかと愕然とするも、寒くてお説教するパワーがわかない。とりあえず朝食(卵焼き、揚げシューマイ、ハンバーグ、ふりかけ、豚汁)。始業式、教職員の新年昼食会、再集合して練習。
 サンアゼリアに様子を観に来て下さった小池先生から、前より鳴っていると指摘いただいた。
 代が替わってから取り組み続けてきたロングトーンの効果かもしれないと、少しうれしくなった。
 今日も、それをやり、ニューイヤーコンサートで歌う曲の練習をした。
 課題曲のマーチも、短時間であってもゼロ日はないようにとメトロノームにあわせて何回か通す。

 吹奏楽の基本はマーチだ … という方は多い。
 普遍的絶対的真実とお考えの方もいる。そう言われても当然だと思うし、マーチほどバンドの力量がわかるものはないという理屈も納得している。でもほんとの正直で言うと、やらずにすませられるものなら、それがいいなあ。
 今取り組んでいる「ブルースカイ」は、好きな曲だからいいけど。
 自分的に今ひとつで、でも選曲の関係上演奏せざるを得なかった課題曲のマーチなんかは、つらい年もあった。 こればっかりは趣味・好みの問題だから仕方ないだろう。まもなく(まだかな?)届くはずに課題曲は、どんなだろう。

 無理矢理な流れなのだが、たとえば異性でなく同性が好きなのは、個人の性癖だからどうしようもない。
 吹奏楽やっててマーチ嫌いってあり得なくない? と言われようと性癖だから。
 たとえばSMプレーが好きな人も、同じだ。急に大人の話題ですが。
 しばらく前に、SMクラブの代金を政治資金で支払った議員さんが追求を受けていた。
 政治資金を私ごとに遣うのは非難されてしかるべきだが、その対象となったSMクラブそのものを汚らわしいと言う方がいて、それは個人的嗜好にもとづく職業差別にほかならない。
 当然のことながら、銀座のホステスさんを清廉ではないと表現するのも、職業差別だ。
 国会議員やマスメディアの方が、こういう差別的表現を行って何のおとがめもないなんて。
 われわれは同じ過ちをおかさないように本当に気をつけないといけない商売だから。
 なので、日テレのアナウンス採用の内定を取り消しになった女子大生が、和解して入社できるようになったと知り、心からよかったと思った。でも、これからも様々な視線を感じながら働いていかねばならないだろう。
 当然そういうことも予想しながら、あえて裁判沙汰にしてまで信じる道を進もうとする姿は、敬服に値する。
 やりたいことをやる、というならこれぐらい腹をくくらないといけない。

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ホール練習

2015年01月07日 | 日々のあれこれ

 新人戦に向けてのホール練習など考えてもいなかったが、和光国際高校さんのご厚意にあまえ、サンアゼリアで練習させてもらった。そして、和国さん、春日部さんとお互いに一回ずつ通して演奏し聞き合うという企画。
 部員たちが刺激と焦燥とを抱いたことは、帰ってからの練習ぶりで感じられたので、行ってよかった。
 学校にもどり、夕飯(焼き肉、鶏唐揚げのチリソース、厚揚げ煮物、小松菜ごま味噌和え)をいただいてから、練習、少しだけ合奏して、宿泊。朝から一日部活をし続けるとさすがに眠い。
 がんばって、プリント「進路」の原稿を書く。


  神頼み

 合格祈願に行こう。なんといっても最後に頼るべきなのは、神様です。
 非科学的と思う人もいるかもしれないが、そういう人は科学万能主義に冒されている。
 どんなに優秀な科学者もこの世のすべてを見通すことはできない。科学は近代知が生んだ一つの物差しにすぎず、科学への過信こそが様々な問題を生んでいることを、現代文の評論で学んできたはずだ。
 どんなに力のある人も、実力が発揮できないことはある。突発的な事故にまきこまれることもある。科学では解明できない「運がいい」「運が悪い」というのは、間違いなくある。
 予想外のことが起きたときに、「ついてないなあ」とへこむ人と、「この程度ですんでよかった」ととらえる人とでは、その後の展開が全く変わる。後者は結果的に「運のいい人」になっていく。
 大事なのは、「やるべきことは、全部やった」と落ち着いた心を持つことであり、「やれることは全部やって合格する」という意志を持ち続けることだ。
 自分でできることはすべてやりきり、自分の力ではどうにもならないことを受け入れる心の平穏を持とう。
 出かけるのは、近場でいい。自宅から一番近くにある神社でもお寺でもいいので、「俺はここ」と決めたらお参りしてこよう。
 具体的にどう祈ればいいのか。
 ① 自己紹介する。「川越東高校3年○組の誰々です」。
 ② 報告と感謝「今まで元気にがんばってこれました。ありがとうございました」
 ③ 誓い「入試本番までやりきります、見守っててください」
 拍手(かしわで)を何回打てばいいかとかは気にしなくていい。心をこめて、こうしてお祈りに来られる自分でいることを感謝するのが第一。
 お賽銭は基本10円。100円でもいいけど、神様は一回で100円より、10円で10回お参りに来てくれる方を好む。
 あらためて出かけなくても、自宅の仏壇に毎日手を合わせている人は、必ず結果が出る。

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犯罪支援チャリティーコンサート

2015年01月04日 | 演奏会・映画など

 年末に芸劇に行った時たまたま見かけたポスターだったが、三重県立白子高校、東海大高輪台高校、そして市立柏高校の3校が出演と書いてあって、すぐにチケットをとった。
 高輪台、市柏は、吹奏楽関係者でなくても名の知れた学校さんだが、白子高校さんも関係者なら皆知っている名門だ。
 主催者のあいさつに続いてトップバッターは白子高校さんの演奏。一回ぐらいは普門館で聴いたことがあるような気がするのだが、はっきりとした記憶がない。
 音が関西ぽくない、とまず思う。昔もこうだったのかな。むしろ伊奈学園さんのようなすっきりしたサウンドで、意外だった。最後の方の「風になりたい」では、客席に降りてきたメンバーから小さなタンバリンを渡された。もらった人たちが頭拍でならしているのを、しょうがないなあと思いながら、じぶんだけはきっちりと16に刻んでサンバのりにしてあげた。
 高輪台さんは、あいかわらずゴージャスなサウンドだ。畠田先生をみるといつも、吹奏楽界の堀裕嗣だなと思うのだが、通じる人にまだ出会えない。
 白子さん、高輪台さん、ともに全国トップクラスのパーフォーマンスであることは言うまでもないが、努力すれば実現可能な次元にはある。からだの動かし方や、選曲、企画は、「旧態依然」と言うこともできる。けなしているのではなく、従来通りの吹奏楽を極めてきて、そのハイレベルな達成がそこにあるという意味だ。
 埼玉県内のトップ数校も同じレベルにある。
 それに対して三団体目の市立柏さんは、今までの吹奏楽の次元を越えたものだった。
 「吹奏楽のステージ」と言うことさえはばかられる。
 体の動き一つとっても、ビート感が違う。Jポップにあわせて、「せーのでたちあがって、両サイドにツーステップ、一度とまって楽器を上にあげます」的な動き、楽しそうに動いてても実は頭拍でしか手拍子してないのとそう変わらない動き、つまり、うちも含めほとんどの吹奏楽バンドで行われている動き、ではない。
 アップとダウンがあり、ワンエン、ツーエンのエンがちゃんとあるのだ。おそるべし。ダンス一つとっても、専門家にきちっとレッスンしてもらっているのだろう。
 ちょっと次元がちがいすぎて、参考にできないぐらいだなあというのあ、正直な感想だ。
 それでも、と思う。部分的にでもいいし、その考え方だけでもいい、新しいものをとりいれたい。

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1月2日

2015年01月02日 | 日々のあれこれ

 電車が遅れてもおかしくないぐらいの雪になったが、北陸線はさすがに大丈夫。
 米原からの新幹線は遅れた。名古屋あたりで積雪があるようではしかたがない。
 実は帰りの席はとれなくてグリーン車を奮発していた。少しぐらい遅れても、乗っている時間が長くなっても全く問題がない。普通車ならビール呑んで寝てしまうところだが、もったいなくて缶コーヒーで仕事した。
 年末の、楽器やバンドのレッスンで、先生方からいただいた様々なお言葉を整理する。
 言ってしまえば全然「ヘタクソ」ということなのだが、それは結果としてのヘタクソなのだ。
 演奏している姿が、「遠くからだと、高校生に見えない」という言葉が一番象徴的だ。
 その原因もいくつか指摘していただいた。ブレスするときに肩があがってしまう子がいる。楽器をもつ姿勢そのものがよくない、楽器が鳴っていない … 。
 音楽をする身体が完成していないということだと思う。
 本質的に楽器の才能がないなどということではなく、楽器そのものにふれる練習量の積み重ねのみで解決する子もいる。
 楽器を練習するだけではなく、歌や体の動きや表情の意識を持たせないといけない子もいる。
 何よりメンタルを変えないといけない子もいる。
 「変われ!」と叱っても変わらない。ただ、「なんとかしようと、そのためにこうしよう」と切実に考えているメンバーが今は出てきていて、そうでない子たちも、言われれば素直に従う気持ちはもっている。
 年末にはじめたバンドでのロングトーンは続けていこう。しつこく指導しないとなかなかいい声で歌ってくれない歌だけど、しつこくやっていこう、とにかくあきらめないでいこう、今ある戦力でいくしかないのだから、などと考える。
 30分ぐらいの遅れで東京に着く。丸の内のカフェでバイトしている次女は何時上がりだったろうか。
 まさかその店で待つなどというゲキキモのパパになるわけにはいかないので、丸の内線、東上線と乗り継いで川越までもどり、倉式珈琲店で時間をつぶしたあと川越で合流して、帰宅した。

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新年

2015年01月01日 | 日々のあれこれ

 1月1日。表日本の人にはわからないだろうが、大晦日からいかにも「雪起こし」という雷が鳴っていた。
 案の定、雪が降りつもっている。最近のお正月にしては大雪の部類になるだろう。さすがに車を借りて出かける気にはなれず、文字通り寝正月で過ごしながら、ときおりテレビでお笑い番組を観る。
 ふだんバラエティではよく見かけるものの、ネタはほとんど見たことないグループのネタを見れて楽しい。
 しかし、そんななかにオール阪神巨人さんが出てきたときに安定感は、さすがとしか言いようがない。
 若い人たちに比べ、ぼけの数も少ないし、ハイスピードでとばしてくるわけではないのだが、いつしか彼らのリズム感に身を委ねている。結局は声質とリズムなのだ。志ん朝師匠の落語もそこが圧倒的だった。
 聞いているだけで心地よい声とリズムがあれば、中身はむしろ気にならないレベルに達するのかもしれない。
 夕方は妹夫婦がきて宴会。恒例の家族麻雀は、例年のごとく自分の一人負けになりつつあったが、2回目の最終局がいい感じになった。配牌はよくなかったのだ。あきらめることなく粘っているうちに、一枚ずつだった三元牌の二つが対子になり、そのひとつをないたら、残りも対子になって小三元が確定し、さらに粘って混一色とチャンタもつけて弟からあがる。なんか今年は地道に粘ってみようという気持ちになれた。

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