水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

出来事

2015年10月21日 | 日々のあれこれ

 

 試験三日目の23時過ぎ、バイト帰りの次女を迎えに行く。新河岸駅前の、ロータリーじゃないんだけど、まあそんな風に扱ってもぎりぎりセーフかなというスペースに車を止めて待つ。酔客も目立ったので、エンジンを切って改札付近までいって合流して車に乗り込む。エンジンをかける。
 あれ? スターターをまわしてもうんともすんとも言わない。「うんともすんとも言わない」って、まさにこういう時に使うのだった。
 しばらく時間をおいてチャレンジを繰り返したが、どうにもならない。
 JAFさんにお願いすると、24時過ぎにきてくれた。
 バッテリーがまったくだめになっていたのだが、そんなに古いわけでもなく、電灯を点けっぱなしにしてたわけでもないので、こんなに急にダメになったのは不思議だった。
 翌日朝は駅まで歩いてタクシーで登校する。上福岡からスクールバスに乗るという選択肢は、朝のうちにやっておきたいことがいくつかあったので、無理矢理却下した。2200円ほど。
 夏休みの後半、田舎から出てきた両親と一日都内を見物して回った。地下鉄であちこち行ける年齢でもないので、タクシーをけっこう使った。新宿から六本木、そこから増上寺、日の出桟橋、豊洲から銀座みたいな区間を。
 一番高い区間でも2000円台で移動できたし、通りに出さえすればいくらでも拾えるし、やはり都会はタクシーひとつとっても便利だ。
 そのときのことを思いだし、やはりうちは陸の孤島かと実感できた。
 試験が終わり次第なんとかしようと思ったのだが、ディーラーさんはお休みだったので、一日我慢した。
 翌日は球技大会で授業がないのが幸いだった。
 遅刻するお許しをもらい、再びJAFさんに家まできてもらいエンジンをかける。心配なので付いていきますねと言い、ディーラーまで一緒にきてくれる。
 ありがたいことだ。
 これまで、カギのとじ込みやら、冬にプラグがかぶってしまったときやら、畑に落ちてしまい引き上げてもらったり、ほんとお世話になっている。年に4000円の会費はまったく高くない。 
 ディーラーさんの方でも、去年替えたバッテリーがこんな不具合で申し訳ないとあやまってくださり、すぐに無料で直してくれた。ま、こんなこともあるよね。
 「なんでこんなことになるんだ!」との思いもあったし、昔ならもっとムカついたり、落ち込んだりしたかもしれない。でも、誰が悪いというものでもないし、むしろ修理を待つ間に本を二冊読めたから得した気分さえする。
 老化による感情の減退ではなく、経験値による人間の熟成と自分では評価したい。

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「 「間」の感覚 」の授業 4  第3段落の読解

2015年10月20日 | 国語のお勉強(評論)

 

第三段落〈 10~14段落 〉 内と外の区別

10 ところが、はなはだ〈 興味深い 〉ことに、このように内部と外部が連続している空間の中に住みながら、それにもかかわらず――というよりむしろ、それであるからこそ――日本人は住まい方において、内と外とを厳しく区別するという行動様式を示す。最もはっきりしたその現れは、家の中に入るときには靴(または下駄でも草履でも同じことだが)を脱ぐという習慣である。今日のように鉄筋コンクリートのマンションにいすとテーブルの生活という洋式を採用しているところでも、まずほとんどの日本人は〈 この風習 〉を守り続けているであろう。もちろん、西欧社会でも、家に帰れば内履きに履き替えるということはよくあるが、それは私的な環境でくつろぐためであって、たとえばお客を迎えるときはきちんと靴を履くし、客も靴のまま家の中に入って少しも怪しまない。だが、日本ではお客に対しても靴を脱ぐことを当然のこととして要求するので、慣れない外国人は当惑するということになる。空間構造はつながっているように見えながら、行動様式では内と外は明確に区別されているのである。
11 〈 このこと 〉は、間仕切りのあいまいな家の中においても同じである。お客に対して、靴の代わりに室内用のスリッパを提供するというのは、今ではごく普通に行われている。だがそのスリッパも、板の間や廊下ならよいが、畳の座敷に上がるときは再び脱がされる。というよりも、普通の日本人なら、スリッパのまま畳の部屋に入ることには、大きな抵抗感があるであろう。あるいは、たいていの家では、便所にはまた別の専用のスリッパがあって、そこでまた履き替えるということになる。日本人にとっては、それはごく当たり前のことだが、西洋人には〈 そのような感覚 〉がないから、便所のスリッパのまま畳の部屋に入り込んで主人を慌てさせたりするのである。

Q17 「興味深い」とあるが何がか。50字以内で記せ。
A17 日本人が、内部と外部が連続している空間に住みながら、内と外とを厳しく区別する行動様式をもっている点。

Q18 「この風習」とは何か。15字以内で記せ。
A18 家の中に入るときに靴を脱ぐ習慣

Q19 「このこと」とは何か。30字以内で記せ。
A19 日本人が内と外とを厳しく区別する行動様式をもっていること。

Q20 「そのような感覚」とは何か。20字以内で記せ。
A20  スリッパのまま畳の部屋に入る抵抗感。


 具 家の中に入るときには靴を脱ぐという習慣
      ∥
 具 室内用のスリッパ  便所のスリッパ
      ∥
 抽 行動様式では内と外は明確に区別されている


12 このような家の内と外、部屋の内と外の区別は、物理的というよりもむしろ心理的なものである。つまり〈 それ 〉は、意識の問題であり、価値観の問題である。
13 どの社会にも、聖なる空間を大切にする習慣があって、そのために立派な教会堂や荘厳な神社が建てられる。だが西欧の教会建築は壁によって内外の区別がはっきりしており、壁の内部は聖なる場所で、壁の外は俗世間ということが形の上でも明確だが、日本の神社で聖なる空間を示すものは、物理的には境界として何の役にも立たない鳥居である。つまり一歩鳥居をくぐれば神の空間であるというのは、もっぱら我々の意識の問題なのである。
14 〈 似たような例 〉として、お寺や日本式料亭の庭の飛び石の上に、時に、十文字に縄をかけた小さな石が置かれていることがある。これは関守石と呼ばれるもので、ここから先は立ち入り禁止というしるしである。だがこれも、その気になれば簡単にまたいでいけるもので、物理的には何の障害にもならない。関守石の存在によって空間が区別されるのは、我々の意識の中においてである。

Q21 「それ」とは何か。
A21 家の内と外、部屋の内と外の区別

 
 現象  家の内と外、部屋の内と外の区別
        ∥
 本質  意識の問題であり、価値観の問題 … 心理的区別


Q22 「似たような例」とあるが、どういう点が似ているのか。40字以内で記せ。
A22 物理的に何の障害にもならないものが境界を示すものとして用いられている点。


〈聖なる空間について〉

 西欧の教会 壁 … 壁の内部は聖なる場所で、壁の外は俗世間 … 物理的境界
   ↑
   ↓
 日本の神社 鳥居 … 鳥居をくぐれば神の空間 … 意識上の境界


Q23 日本人にとって「鳥居」とはどのようなものか。
A23(a)意識の中において神の空間と俗世間とを隔てる境界の役割を果たすもの。(33字)
A23(b)神の領域への境界であることを象徴的に表し、
     日本人の意識において、聖俗の区別を生じさせる役割を担うもの。(50字)

☆ 「水の東西」で学んだ「象徴」という言葉は、こういう時につかえますね。
     象徴  …  抽象概念 → 具体物  … 感覚的な理解


Q24 問題(ジャジャン)。京都の街でのお話です。あるお屋敷で、自宅の塀に、いつも粗相(立ち小便)をされるスポットがありました。「しないでほしい」という張り紙をしても効果はありませんでしたが、思い立ってある方法をとったら、いっさいなくなったそうです。さて、そのお屋敷の主人はどんな方法を用いたのでしょうか。フリップに書いてください。では、全員フリップアップ。
A24 正解は … 。「鳥居を立てる」です。正解の○○くんに拍手。おめでとう。
 そうなんですね、小さな鳥居を、スポットとなっている塀の前に立てたところ、粗相をする不心得者がいなくなりました。京都の街では、電柱とか、駅の壁とかいろんなところに、小さな鳥居が立てられたり、鳥居のシールが貼られたりしています。最近は、ゴミの不法投棄が目立つ場所にも、この小鳥居が立てられることがあるそうです。

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クロエの流儀(2)

2015年10月20日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「クロエの流儀(2)」


 試験おつかれさまでした!
 試験一週間前になり、部活が休みになった日に考えたことを思い出してみてほしい。
 一学期に今一歩だった○○は今回しっかり挽回しておこうとか、○○は単位がとれるかどうかの心配がないようにしようとか、○○の苦手意識を克服しておこうとか、様々な目標を立てたはずだ。
 毎日5時間は勉強しよう、数学だけは完全に理解しようという目標もあったかもしれない。
 今こうして試験が終わってみて、そのときの決意と現状にどれほどの差があるだろう。
 思ったほどにはやれなかった、科目によっては一学期以上にさぼってしまった、との感じている人もいるのではないかと、みなさんの様子を見てて思う。
 答案がかえってくる。案の上の結果を目にしながら「次こそはちゃんとやろう」と思う一方で、言い訳を探している。
 とある都立高校の教室でも、同じような会話がなされていた。
 「お前テスト何点だった?」「お前よりいいくらい」
 「は? 見せてみろよ。うわっ、ヤバくね?」「赤点じゃなきゃいいんだよ」
 「はは、ハードル低いなー」
 「オレ真剣に野球やってんだよ。家でも勉強より素振り筋トレやってさ。そもそも、学校に勉強  って社会に出て使えねーんだろ? 意味わかんねーし! こんなの真面目にやったってさ、将  来クイズ王にしかなれねーだろ。 とにかく! オレは野球が一番で、他に時間はとられたく  ねーんだよ!」
 そこにクロエが話に割って入る。


 ~ 「大事な野球が、言い訳とならぬようにな。勉強、友人、家族、時にそれを退ける「野球のため」と言うは容易い。だが、安易に使うと、お前の大事な野球を汚すぞ。いずれは、ほとんどの者が、仕事や家庭や育児を両立させていく。学生の内に、勉強と部活を両立させる、それくらいの器は、育てといて、損はないと思うぞ」 (今井大輔『クロエの流儀』ニチブンコミック) ~


 体調を優先した、家の用事があった、どうしても気になることがあった … 、それらはみな仕方ないことだったと、私達は実に言い訳を考えるのがうまい。
 日常的にやってなかったのだから、試験前だけやっても意味ないとか。
 しかし、それが言い訳にすぎないことは、自分自身が一番知っている。
 すべてが万全の状態で物事に臨めることなど、ふつうはないのだ。
 何事も自分の責任と位置づけるところからしか、器を大きくする手立てはない。
 まず、今日のうちに今後やるべきことを紙に書き出しておこう。

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「 「間」の感覚 」の授業 3  第2段落の読解

2015年10月19日 | 国語のお勉強(評論)

 

第二段落〈 6~9段落 〉 中間領域の存在


6 自然との結びつきという点では、日本の建築そのものが構造的に自然に向かって開かれている。建物の内部と外部が連続しているため、しばしば〈 その間 〉の境界があいまいとなり、内部とも外部ともつかない、いわば中間領域とでも言うべき場所が生まれてくる。軒下と呼ばれる部分などその代表的なものである。


Q12「その間」とはどことどこの間か。10字で記せ。
A12 建物の内部と外部の間


 日本の建築 … 自然に向かって開かれた構造
          ∥
              建物の内部と外部が連続
          ↓
         中間領域の存在 (例)軒下


7 日本の伊勢神宮とアテネのアクロポリスの丘にあるパルテノンの神殿とは、外観上よく似た形状を見せている。もちろん、一方は木造で他方は石造という素材の違いがあるし、スケールの上でも大きな差があるが、柱を主要な支持材としてその上に横材を渡し、三角形の断面を見せる切妻型の屋根をかけるという構造は基本的に同一であり、したがって形状も似たようなものとなる。だがそこには、一つだけ〈 大きな違い 〉がある。パルテノン神殿の屋根は建物の平面を覆うところで終わっているが、伊勢神宮の場合、軒先がさらに大きく伸びている点である。その結果、ギリシア神殿には見られない軒下という空間が生じる。このことは、伊勢神宮だけに限らず、一般に日本建築の大きな特徴である。(中国の建物にも軒下部分があるが、日本の場合ほど深くはない。)

8 〈 このこと 〉は、日本には雨が多いという風土的特性に由来するものであろうが、そのようにして生まれてきたこの空間が内部か外部かというと、そのあたりが微妙なのである。それは家の中から見れば一応外部空間ということになるであろうが、そこが物置代わりに使われていたりするのを外から見れば、むしろ内部空間に付属するものとしてとらえられる。現に、庭師たちは、軒下のことを「軒内」と呼ぶ。外部空間で働く庭師たちにとっては、それは内部に属するものなのである。

9 このような〈 中間領域 〉として、ほかにもたとえばぬれ縁、渡り廊下のようなものがある。〈 壁 〉という強固な物理的遮蔽物によって内部と外部を明確に区分する西欧建築とは違って、日本の建築では、これらの中間領域を媒介として、内部は自然に外部へつながっているのである。


Q13 「大きな違い」とあるが、具体的にどうちがうのか。35字以内で記せ。
A13 伊勢神宮には、パルテノン神殿にはない軒下という空間が存在すること。

Q14 「このこと」とは何か。20字以内で記せ。
A14 日本建築には軒下という空間があること。

Q15 「壁」の役割を20字以内で記せ。
A15  建物の内部と外部を明確に区分する役割。


 アテネのパルテノン神殿の屋根 … 建物の範囲まで
   ↑
   ↓
 日本の伊勢神宮 … 大きく伸びている → 軒下

 軒下 … 風土的特性(多雨)に由来
    ↓
 内部にも外部にもなる空間
    ∥
  中間領域


 西欧建築  壁という強固な物理的遮蔽物によって
  ↑        内部と外部を明確に区分する
  ↓
 日本の建築 中間領域を媒介として、
            内部は自然に外部へつながっている
                      ∥
              (具)軒下・ぬれ縁・渡り廊下


Q16 「中間領域」とはどのようなものか、60字以内で説明せよ。
A16 内部とも外部ともなりうる日本建築の一空間を指し、
   内部と外部とが自然につながるように媒介する役割を果たしているもの。


 西欧建築  内部 / 壁〈区分〉 / 外部(自然)
   ↑
   ↓
 日本建築    内部 … 中間領域〈媒介〉 … 外部(自然)

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ピッチパーフェクト2

2015年10月18日 | 演奏会・映画など

 

 「ピッチパーフェクト2」は、自分的には「1」よりも数倍よかった。
 なんでだろ。知ってる曲が今回の方が多かった … わけでもないし、ストーリーが目新しいものになった … というほど大きな変化があったわけでもないけど、でもストーリーかな。
 中心となる登場人物たちのキャラクターが大体把握できてるので、安心して見てられる。
 あと、新しいメンバーとなったエミリー(ヘイリー・スタインフェルド)がかわいい。この子誰だっけ? と思いながら見てたが、たぶん「はじまりのうた」のイメージが残っていたのだろう。
 昔の宮沢りえさんと広瀬すずちゃんとを足したような雰囲気だ。
 この魅力的なニューフェイスのおかげで、もともとのメンバーがみなお姉さんであることが意識され、あくまでも大学のサークルである以上、その活動に終わりがあることが浮き彫りになってくる。
 エミリーの母親が「バーデン・ベラーズ」の初期メンバーという設定も最後もきいてくる。
 アカペラコーラス活動を続けるために大学に残り続けるクロエ、他のメンバーに内緒で就職活動をするベッカはじめ、メンバーそれぞれが将来への不安を感じ、同時にアカペラ大会でも圧倒的な実力を誇るドイツのグループと対決しなければならない。
 1よりも、登場人物たちに与えられた試練が大きいのか。だからそれを乗り越えようとする姿に心打たれる。
 試練を乗り越えたことでなく、乗り越えようとする姿に、人は心打たれる。
 先に卒業していったメンバーが、あなたたちは自分たちのサウンドを見失っていると諭す。
 いや厳しく教えるかな。その彼女が経営する施設で合宿をしながら、ぶつかりあい、けんかしながら何かをみつけようとする姿は、むしろ日本的な青春グラフィティにも感じた。
 「自分たちのサウンド」をつくるのは、厳しい練習や、それに裏付けられた技術ももちろん必要だけど、最後は人と人のつながりであると、セリフではなく歌う姿で表現されるところが素晴らしい。

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答えは本文の中

2015年10月17日 | 国語のお勉強(評論)

 

 2回目の学校説明会は、おかげさまで第一回につづき盛況で、全体会に続き個別相談をし続けた。
 もう少しがんばれるといいねえと話した生徒さんから、国語が苦手で困っているという訴えを2人聞いた。
 「北辰テストの復習をしてみよう。国語は答えが必ず本文中に書いてあるので、そういう目を読み直してみよう」とお答えする。
 実際、大学入試レベルの問題にまで目を広げても、ほとんどの設問の答えは本文中に書いてある。
 それを見つけられるかどうかが、高校入試ではすべてではないだろうか。
 自分の頭で考えて読むのではなく、見つけ方の技を身につければいい。
 ただし国語の場合、「見つけ方」が教科書に書いてないという問題がある。
 例題で解法を学び、それに基づいて練習問題を解けば自然にできるようになるという、理系科目とは異なる。
 学校や塾で、ほんのちょっとコツを教えてもらいさえすれば、北辰の偏差値ならすぐ上がると思うのだが。


 先日、お世話になっている方から、お子さん(高校生)の国語も成績が今一つで … とご相談いただいた。
 ためしに問題を三つほど渡して解いてもらうと、聡明そうな文字で答えが書かれた答案をいただく。
 案の定、自分の頭でいろいろ考えてしまい、本文から目が離れている気がしたので、基本的な読み方についてお手紙をさしあげておいた。

 

1 文章は人に何かを伝えようとして書かれます。
 他人はどうあれ、自分はこう思っているという内容が書かれています。
 誰もが言いそうなこと、知ってそうなこと、一般的に正しいこと、そんなのは常識でしょ、という内容は書かれれ必要ないですよね。
 「世間一般ではBと思われてるようだけど、私的にはAだと思う」という形で書かれています。

 一般論(B) ←→ 筆者の主張(A)

 BかAか、どちらか一方しか書いてないように見える文章も多いですが、無理矢理「B ←→ A」を見つけようとすると、見つかることも多いです。


2 今と昔、日本と西洋をくらべた場合、わたしたちは一般的にどちらを「いいもの・価値あるもの」「+」と思うでしょうか。
 やっぱり、いろいろ問題あるけど、昔よりは今がいいに決まっている、日本の文化より西洋の文化の方がクールだ…と、思いがちですね。

 昔、たとえば江戸時代。お殿様がいて、侍がいて、お百姓さんがいて、職人さんがいて、商売人がいました。
 お侍の子供は侍になり、村に生まれた子供はそのまま農民としての人生を送りました。
 それに比べると、今は自分の人生は自分で決めることができます。好きな仕事を選ぶこともできるし、好きな人と結婚できます。結婚しない自由もあります。
 自由、平等、権利といった考え方は、近代化した世の中で、人々が手に入れたものです。
 そういう考え方がなかった時代より、今の暮らしの方が幸せに決まっていると思いますよね。
 しかし、評論は、その考えを疑います。
 ほんとうにそれって幸せ? と問いかけます。
 近代的な考え、新しく発明されたもの、今の世の中のあれこれを問い直してきます。
 結果として、

 今(B) ←→ 昔(A)
 西欧(B) ←→ 日本(A)
 近代的価値観(B) ←→ 前近代的価値観(A)
 
 という方向性で書かれる文章が多いです。そんな風に見えなくても、そうかもしれないという目で見直してみると、言いたいことに気づける可能性が高くなります。


3 言いたいことを伝えるために、いろんな技が用いられます。ただたんに「Aだ」というよりも効果があります。

 対比を用いる方法   B「ではなく」Aだ 
            一般的にはB、「しかし」Aだ

 具体例をあげる方法  「たとえば」、a1、a2、a3、
            「このように」Aは…
 
 理由の述べる方法   Aだ、「なぜなら」 ~ 「だからだ」
            ~「のである」

 言いたいことを伝えるための「技」にあたる語句を自分なりにチェックしてみましょう。「ではなく」とか「このように」にチェックしてみると、チェックした言葉の後ろに大事そうな内容が書いてあることに気づきやすくなります。

 

4 自分の言いたいことを伝えたい気持ちは、いろんな言葉に表れてしまうものです。
「日本は平和な国である。」という一文を読むと、まあそうだよね、と受け取るだけですが、少しよけいな言葉がついていると印象が変わります。

 「私は」日本は平和な国である「と思う」。
 日本は平和な国だと言える「のではないだろうか」。
 日本は平和な国だと、「ぼくは」「思わざるを得ない」。
 日本は平和な国ではないと言える「だろうか」。

 「思う」「だろう」「~か」といった表現は、実はより伝えたい内容につけられるものです。


 「ということ」と言いそうな事柄を、「という事態」と書いてあったら、どうでしょうか。「~した」ではなく「~してしまった」と書いてあったら、どうでしょうか。

 「農村人口の減少」という事態がうまれた。
 「都市人口が増え」てしまった。

と書いてあると、「 」の内容を、筆者がマイナス(-)ととらえていることがわかりますね。
 マイナスにひびく言葉もチェックしてみると、いいですし、逆に明らかにプラスの言葉もチェックしてみるといいと思います。
 ちょうど、メジャコードとマイナーコードがあるように、対比が見えてきます。
 ここはAの内容、ここはB側の内容、ここはAの具体例a1、ここはマイナスの言葉が使われているからBの具体例Bなんだろうな、というような構造に気づくと、文章が立体的に見えてきます。
 ここは第一主題、つぎは第二主題、展開部があって、再現部があるみたいに。


 読む力を十分にもっていながら、ちょっとしたコツがみえてないために、ざっくりした読み取りになっているのかなあと、丸付けしながら感じました。
 国語は他の教科とちがって、ほとんど答えがすでに本文のどこかに書いてあります。
 それを見つけられれば、読めた! と感じられると思います。

 市販の問題集、参考書のたぐいを、一冊だけやってみるのもいいと思います。
 ほんとうにいろんなタイプのものがありますね。
 古典は、どの本を使っても結果は同じですが、現代文は、書いている先生との相性でだいぶ変わってきます。
 本屋さんにいって、この本は相性がよさそうかなと、第一印象で選んで、一回やってみるといいと思います。
 一応お薦めを書いておきますね。

 『入試現代文へのアクセス』河合出版

 『船口のゼロから読み解く最強の現代文』学研

 『現代文解法の新技術』桐原書店

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「 「間」の感覚 」の授業2  第一段落の読解

2015年10月15日 | 国語のお勉強(評論)

「 「間」の感覚 」の授業 2  第一段落の読解


第一段落〈 1~5段落 〉 日本人と西欧人の自然感情の違い


1 住居の構造や空間構成に見られる日本とヨーロッパの違いは、住まい方、すなわち日常の生活様式や行動規範にもそのまま反映している。興味深い例の一つとして、自然に対する接し方の相違をあげることができるであろう。


日本 ←→ ヨーロッパ

 住居の構造・空間構成の違い
     ∥
 生活様式や行動規範(の違い)
     ↓
  自然に対する接し方の相違


2 〈 日本人は自然の美しさを愛する 〉民族としてよく知られているが、〈 西欧世界においてもたとえば華麗な花の美を愛好する 〉ことは、恋人に花束を贈ったり、婚姻、葬送の儀礼の場を花で飾ったりする習慣が一般的であることから明らかである。日常生活においても、住居の雰囲気を盛り上げるために、人々はさまざまの花を利用した。十七世紀のオランダでチューリップの栽培が異常なまでの人気を集めたのは、投機という動機があったにせよ、花の美しさに対する愛好が広まっていたことを物語っている。だが、〈 そこ 〉で愛好される花々は、いずれも自然の環境から切り離された切り花である。外部から遮断された室内で花を鑑賞するためにはそうするよりほかにしかたがないのは当然だが、日本では年中行事となっている春の花見、秋の紅葉狩りのように、自然の中に出かけていってその美しさを楽しむという習慣は見られない。〈 そのこと 〉は、美術作品の中にも明瞭に見てとれる。


Q2 「日本人は自然の美しさを愛する」とあるが、その具体的行動例を二つ抜き出して記せ。
A2 春の花見 秋の紅葉狩り 

Q3 「西欧世界においてもたとえば華麗な花の美を愛好する」について
   a 西洋で愛好される花はどのような花か。20字以内で抜き出せ。
   b 西洋人はその花をどのように鑑賞するのか。20字以内で抜き出せ。
A3a 自然の環境から切り離された切り花
   b 外部から遮断された室内で花を鑑賞する

Q4 「そこ」とはどこか。10字以内で記せ。
A4 西欧世界の日常生活

Q5 「そのこと」とは何か。25字以内で記せ。
A5 西欧人が自然の中の花を楽しむ習慣を持たないこと。(24字)


生花への接し方の違い

日本 … 自然の中に出かけていってその美しさを楽しむ(a1)
          花見 紅葉狩り
  ↑
  ↓
西欧 … 外部から遮断された室内で花を鑑賞する(b1)
     花束 切り花


3 西欧の絵画史において静物画というジャンルが明確な形で登場するのは、いち早く市民社会を成立させた十七世紀のオランダにおいてであるが、その〈 静物画 〉の中でも花の絵はとくに好まれ、もっぱら花ばかり描く専門の画家が多く輩出されたほどである。市民たちは、その描かれた花を壁にかけて生活を豊かに飾り立てたのである。同じころ、日本においても、琳派の画家たちが屏風や襖に華麗な〈 草花図 〉を描き出していた。多彩華麗な花の絵で生活空間を飾るという点では、両者全く同じである。しかしオランダの花の絵は、例外なしに花瓶に生けられたものである。それに対して、琳派の草花図は、池の中に咲き誇る燕子花や生け垣にまとわりつく朝顔、あるいは雨に打たれる百合などのように、いずれも自然の中の花である。現実の世界とは違って、絵の上でならどんな状態の花も描けるはずなのに、西欧と日本ではこれだけ際立った対照を見せるということは、〈 自然感情の違い 〉を明白に示すものと言ってよいであろう。


Q6 「静物画」に描かれる花はどのようなものか。10字で抜き出せ。
A6 花瓶に生けられたもの

Q7 「草花図」に描かれるのはどのような花か。6字で抜き出せ。
A7 自然の中の花

Q8 「自然感情の違い」とほぼ同じ内容を表す部分を12字で抜き出せ。
A8 自然に対する接し方の相違


絵画の中の花の違い

 オランダの花の絵 … 花瓶に生けられた花(b2)
  ↑
  ↓
 琳派の草花図 … 自然の中の花(a2)
          ↓
     自然感情の違い
     ∥
     自然に対する接し方の違い


4 十七世紀のオランダにおいては、新しいジャンルとして都市風景も数多く描かれた。フェルメールの名作「デルフト眺望」のような町全体の眺めを描いたものから、著名な教会堂の外観や内部、あるいは大勢の人々の集まる市場、広場などの情景である。〈 この傾向 〉は、ヨーロッパの他の諸国にも広まり、カナレットやグァルディのベネチア風景のように、観光客に人気のある都市の景観を描き出した多くの作品が生まれた。それらは、市民たちに愛好されたと同時に、ちょうど今日の名所絵はがきのように、旅行者たちの土産物として広く流通した。描かれる主題は、これも現在の絵はがきと同じく、宮殿、教会堂、記念碑などの人工のモニュメントである。

5 ところが同じように観光土産として大量に作られた広重の『名所江戸百景』のシリーズを見てみると、〈 建造物は主役としてはほとんど登場していない 〉。描き出されるのは、亀戸の梅屋敷や藤棚、堀切の花菖蒲、千駄木の桜、その他もっぱら自然の情景である。当時すでに百万都市であった江戸においても、人々の目は何よりも自然に向けられていたのである。


Q9「この傾向」とは何を指すのか。30字以内で記せ。
A9 オランダで都市風景が数多く描かれるようになったこと。

Q10 「建造物は主役としてはほとんど登場していない」とあるが、その理由にあたる箇所を25字以内で抜き出せ。
A10 人々の目は何よりも自然に向けられていたのである

  ※ ~のだ。~のである。 … 何らかの事情・理由を表す文


風景画のちがい

 フェルメールらの都市風景画 … 人工のモニュメント(b3)
  ↑
  ↓
 広重の『名所江戸百景』 … 自然の情景(a3)


Q11「自然感情の違い」(4段落)とあるが、どのように違うのか。60字以内で説明せよ。

   自然感情の違い = 自然に対する接し方の違い

   どうちがうのか … a1 ←→ b1
                             a2 ←→ b2  → 一般化する A ←→ B
                             a3 ←→ b3

A11 日本人は、生活と一体化した自然そのものを楽しもうとするが、
     西欧人は、自然に人為を加え一定の距離を置いて接しようとする。

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抽選会

2015年10月14日 | 日々のあれこれ

 

 アンコンの抽選会があり、本校はサックス三重奏が11月21日に出場することになった。
 これで、11月の諸々の予定を確定していける。
 10月は本番がゼロだったが、11月には3回。
 有名な学校さんのスケジュールを見聞きすると、試験のある月も含めて毎週いろんな本番が入っていて、これだけ数をこなすと、それ自体が相当バンドの力をつけるなあとうらやましく思うけれど、じゃあうちも、とはなかなか思えないのが正直なところだ。

 先月「男祭り」が終わったあと、来年度開催についてのあらたな問題が発生した。
  会場費の問題だ。和光市民文化センターは、市内の学校が利用するときは無料という、あまりにも太っ腹な施設で、合同演奏会も和国さんに借りていただくことで、それを適用してもらっていた。
 しかし来年度以降は、土日の催し物には会場使用費が発生することになったのだ。
 冷静に考えれば今ままでが太っ腹すぎたのであって、どうすることもできない。
 どうやってお金を捻出するか。
 各顧問で激論を続けているが、やはり入場料無料で行いたいし、平日開催は現実的ではない。
 参加校をさらに増やして各校で分担する、そしてカンパもお願いするあたりが妥当な線かなというところに落ち着いている。クラウドファンディングもどうかなと思ったが、よくわからないので調べてみよう。

 「男祭り」といえば、九州の方でももクロさんが開催しようとする「男祭り」にクレームが付いているらしい。
 彼女たちの「男祭り」はわれわれとは逆で、お客さんが男性限定だ(われわれの方はこれだけは避けたい、逆はありかも)。
 市民団体から「性別限定は問題がある」との意見があり、市長も対応してくれないかとももクロさんに言っているという。
 男性客限定ライブって、問題ないと思うけどなぁ。福山雅治とか長渕剛もやってなかったっけ。
 われわれの方も「女性も演奏に参加させるべきだ、教育活動の場でありながら、性別を限定するとはどういうことか!」と言われたときのための理論武装もしておいた方がいいのかもしれない。
 男装してきたら入場可とかにしたらどうだろう。

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クロエの流儀

2015年10月13日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「クロエの流儀」


 混雑した電車の中。シートにはちょい悪ふうの男が足を組んで座っている。
 向かい側には、女子高校生がつり革につかまって立つ。髪がブロンドなのは、今時のJKか…、いや目は青く、明らかに外国人の顔立ちだ。
 チャララン、チャララン。ちょい悪男の携帯が鳴る。
「はい、どうした? ああ、それでいい、全く…」と普通に会話をして電話を切る男。
 礼儀をわきまえない日本人と思われないだろうか。ほんとうは注意した方がいいのかも…。
 チャララン、チャララン。再び携帯が鳴る。
「はい、そっちでいいって。ああ? だからぁ…」
「だまれ」JKが声を発した。
「通話がうるさい訳ではないが、許されてるつもりのキサマがムカツク。あと、混んだ車内で足を組むな。ジャマだ。明日から、玄関出る時に、まず脳ミソのマナーモードをオンにしておけ、フトドキモノ。」 (今井大輔『クロエの流儀』ニチブンコミック)
 この女子高校生は、まるでサムライ…。
 もちろんサムライではなく、ある都立高校に通うフランス国籍の女の子だった。名前はクロエ。
 日本文化に憧れる父親の影響で、幼い頃から日本の時代劇ばかり見せられ、それで日本語をおぼえた。その父は、日本へのあこがれが高じて娘とともに来日し(母親がどういう状況なのかはわからない)、古い民家を借りてフランス料理店を営んでいる。
 クロエが愛するのは「木枯らし紋次郎」、見た目はモデルと見まごうような美少女だが、言葉遣いが昔風という、ギャップ萌え的キャラだ。
 ホームで電車を待つクロエに、一人の男の子がぶつかってくる。
 ゲームに夢中になり、前を見てなかったからだ。何も言わずに立ち去ろうとするその子の頭をつかまえ、クロエは膝をかがめて、諭す。
「ぶつかったら謝れ。…それから、謝らなくてもいいように気をつけておけ」
 思わず「ごめんなさい」と漏らす男の子にやさしい目を向けるクロエ。 
 そこへ母親がかけこんでくる。「ちょっと! 何してんの? 子どもが怖がってるでしょ!」
「ヒロくん、だいじょうぶ、頭つかまれてなかった?」
 クロエが立ち上がる。
「子どもの足を引っ張って、成長止めるな、愚か者。かわいい者を厳しくしかり躾けるのは、怖くて辛いか? だったらなおさら、その怖くて辛い言葉を、お前より愛情のない他人の口から浴びさせるな。お前の子どもは、お前の想定よりはるかに成長できる。そのことゆめゆめ忘れるな」
 1月。街を歩いていると、紋付き羽織姿の若者グループにナンパされる。
「うわっ、かわいい。日本語しゃべれる? 飲みにいこーよ。俺たち成人式だったんだよ。一緒にお祝いしてよ」
「脳ミソの成人式はまだか? ミジュクモノ。歩道で横に広がるな、ゴミをその辺に置くな、自分たちのことしか見えておらん路上でのふるまいが、五歳児のそれとなんら変わらぬ。何十年生きようとも、自覚せぬ限り、一生オトナになど成れはせん。二十歳で自動的に大人に成れるのではない。二十年生きたら大人に成れと社会は言っておるのだ。オロカモノ!」

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奇想曲第58番

2015年10月12日 | 演奏会・映画など

 

 田上豊「奇想曲第58番」をキラリ富士見で観劇。
 とにかく役者さんたちが力のある方ばかりだ。埼玉県の、駅から徒歩二十分以上かかる小屋の、何十人のお客さんの前でやってもらうのが申し訳ないと思うくらいに。
 みな身体性が高い。自分が知ってるだけでも、本校のダンスの先生ともお知り合いの黒木絵美花さん、中林舞さんはダンサーとしてのお仕事もされる方だ(おれもけっこうマニアックになったな)。劇中の踊りの振り付けはどちらかがされたのだろう。
 演劇が身体のすべてをもちいる芸術表現である以上、歌や踊りとの境界線など本当はないのだろう。
 音楽も基本は同じだけど。
 客席に入ると、自分が狙っていた席をはじめ前の方のいいところが、団体席といって囲まれていた。せっかく早めにチケットとったのにと思いながら、ほどよい席をキープする。その後に入って来た小学生の集団がその区画に座った。子ども演劇鑑賞会みたいな企画のようだ。
 お芝居はなかなか難解だった。
 自分の命を終えようとしている男が、そのこと事態には気づかず、あの世とこの世の端境で出会う自分の記憶たちとのやりとりを描いた作品、といったところだろうか。
 たとえば、男の目の前に、突然兵隊さんが現れる。戦争でなくなったおじいちゃんであることが後でわかるわけだが、「あのー、あなたは一体…。あのー」と男が言うと、やめろ! と制せられる。
 「あのー」は四回まで。五回言うとアウト、「あの世」が「あの後」になってしまうから、というよなやりとりがあったり、突然レビューが始まったり、クイズ大会がはじまったり、えっとこのシーンは何を表してるんだっけ? と考え始めると置いていかれてしまう。
 いや、意味など考えてしまうオヤジだからわからないのだ。身体で感じればいい。
 事実、小学生達は楽しんでいたし、ポイントポイントでけっこう笑っていた。えらいな。
 この中から将来の堀北真希や山本耕史が生まれるかもしれない。
 そしたら、私がこの道に入ったのは、子どもの時キラリ富士見で見たふしぎなお芝居がきっかけです、といいそうだ。
 よかった、こどもの時こういうの見なくて。絶対に道をふみはずしてた。
 中身をちゃんと楽しんだかと問われれれば心許ないが、芝居と役者さんの恐ろしいほどのパワーをこれでもかと感じた作品だった。

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