水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

スクール・カーストの正体(1)

2015年10月11日 | おすすめの本・CD

 

 堀裕嗣氏が「スクールカーストという言葉をご存じでしょうか」という問いかけから書き始めたのは、2011年に刊行された本だ。
 『生徒指導10の原理100の原則』(学事出版)という教師向けのものだった。
 それが今や、「スクールカースト」という言葉自体は自明のものとなり、その実態はどのようなものなのか、教師や親はどう考え、どう対処すべきかと述べられる本書は、一般向けの書物である。
 ドラマや映画で取り上げられたことが大きな要因だと思うが、ほんの数年のうちに一気に広がった。
 おそらく生徒たちの間では、我々よりもずっと早く実感しはじめていた感覚だろう。
 もちろん教員でも、この言葉をよく知らないという幸せな方もいる。自分だって、そんなことまで考えず、好きなことだけしゃべって残り少ない教師生活を過ごせればどれほど楽だろう。いや、それじゃ浦島か。

 堀裕嗣『スクール・カーストの正体 ~キレイゴト抜きのいじめ対応~』は、今の生徒たちのおかれた状況を、まず俯瞰的に説明する。だからこうだ、こうすべきだという結論を急がない。
 現場の教師だから必然的に見えることをまとめたものではない。現場にいても見えない人は見えない。
 問題意識をもって、生徒とも同僚とも、一気にひろげるけど世間一般とも様々な距離をとりながら経験を重ね、記録し分析してきたからこそ、こうしてわかりやすくまとめられたのだ。

 「こどもの状況が変わっている、昔のやり方では通用しない」という問題意識が教員の間で一般化していったのは、もうずいぶん前の話だ。
 その状況を分析し、的確にまとめてくださったのは、「埼玉プロ教師の会」の諏訪哲二氏であり河上亮一氏だった。高度成長期以降、昔ながらの共同体が崩れていくと同時に、「子ども」一人一人が消費主体として一人前に扱われるようになり、学校における振る舞い方も全く変わった。その現実を前提にして、こういう事例にはこう対処すべきだと具体的に教えてくださる「プロ教師の会」の言説には、大いに助けられた。
 現場の外から空論を述べる評論家ではなく、現場教師でありながら理論的に現状を分析してもらえた。
 目の前の現実を理論的に整理することは、考えてみると現場の一般的な教師が最も苦手とするところだ。

 諏訪哲二『オレ様化する子どもたち』(中公新書ラクレ)を、「子供変容論としてこれを越えるものはない」と堀氏も評価する。しかし、この本が出たのは2005年。諏訪先生はすでに現場を離れている。
 この段階の子ども認識では、いまの学校を説明できないと堀氏は言う。
 たしかに、ここ20年で、「子ども」はさらに変わった。大きく変わった。
 なんといってもインターネットの普及、SNS利用の常態化が大きな理由だろう。
 人間関係のトラブルの多くにラインが関係してない例はないよなと、いまの教員なら皆感じる。
 
 えっと、もう一回読んでつづきを書くことにします。

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箭竹(3)

2015年10月09日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「箭竹(3)」


 みよの申し立てが通ったあと、作者は次のように書く。


 ~ 当面の大事にはりっぱに働くことができる者も、十年ふたいてんの心を持ち続けることはむつかしい。
 みよはかくべつ手柄をたてたというのではないし、かたちに現れた功績などはなかった。
 しかし良人(おっと)の遺志をついで二十年、微塵もゆるがぬ一心をつらぬきとおした壮烈さは世に稀なものである、まことにそれは壮烈というべきだった、そういう一心こそは、まことに武士をうみ、世の土台となるべきものである。    (山本周五郎「箭竹」―『小説日本婦道記』新潮文庫) ~


 夫の遺志を受けついで生きていくことは、はたしてみよの本来の望みだったのだろうか。
 現代人の感覚で見ると、なぜそんなに確信をもって、武士の妻というアイデンティティを確立させられるのかという疑問もわく。
 それは本当に彼女の「やりたいこと」だったのかと。
 当時の通常の結婚形態を考えれば、みよは自分の意志に関係なく茅野家に嫁いだ。その時点で、みよは、茅野百記の妻としての生き方を全うすると心に決めたのだ。
 決してそれは、自分で探した「やりたいこと」ではない。与えられた「やるべきこと」だ。
 「自分のやりたいことじゃない」「こんな仕事をするつもりはなかった」そんな風に言って、せっかく就職した会社を辞める若者がいる。
 新入社員に与えられるのは基本的に「雑用」だ。しかし、№28にも書いたように、「コピー取り」一つとっても、上級、中級、初級が存在する。
 「こんな仕事をやるためにいい大学を出たのではない」と言う人は、いつまで経っても同程度の仕事しか与えられない。
 逆に「こんな仕事」にも、工夫を加えながら全力をつくして取り組むものには、次々と新たな仕事が与えられる。
 どんな会社でも、どんな職種についても、与えられた「やるべきこと」に一生懸命取り組んでいると、自分が漠然と願っていた「やりたいこと」に仕事の方が近づいてくることも多い。
 「これこそがやりたかったことに違いない」と気づくこともある。最初のうちは、むしろ「やりたくないこと」を与えられ、鍛えられた方がその人のためになることが実は多いのだ。
 やりたくない仕事の「そば」に、もしくは「中」にこそ、やるべきことは埋まっている。
 「こんなつもりではなかった」と言っている人は、それに出会えない。
 かりに、出合えなかったとしても、与えられた「やるべきこと」に真摯に取り組む人生は、世のため人のためになるものであり、結果として満足できる人生をうむ。
「箭竹」のみよは、夫の遺志を受け継いで生き続けた。
「そういう一心こそは、まことに武士をうみ、世の土台となるべきものである」と作者は書く。
 武士にかぎらない、田を耕し稲を作り一生を終えた農民も、近代日本をつくった人も、戦後焼け跡から復興させた人も、高度成長期をささえてきた人も、みなさんの暮らしを支えているおうちの方も、みんな世の土台として生きてきた(いる)のだ。

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箭竹(2)

2015年10月07日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「箭竹(2)」


「ご生害のとき父上がいちばんお考えになったのは、あなたのことだと思います、あなたが人にす ぐれた武士になり、父のぶんまで御奉公をするようにとそれだけお望みになすったと思います。 あなたにはそう思えませんか」
「そう、思います、母上」
「自分の修行を一心になさい、そして千人にすぐれた武士になるのです、それだけがあなたのつと めなのです、母のことなど気を使ってはいけません、母には母のつとめがあるのです、あなたを 育てることと、父上のつぐないをすることです。父上の仕残した御奉公をつぐない申すのです、 それが茅野百記の妻としての一生のつとめです」
 安之助は、感動しながら母の言葉を聞いていた。
 芯の強い人であることは、生まれてこの方ずっと一緒にくらしていればわかる。
 しかし女である母に、ここまでの覚悟が備わっているとまで思わなかった。そう思うと自分の考えの浅さを反省した。あるべき「志」に比べたなら、目先の暮らしの大変さなどはあまりにささいなことだ。
 安之助は、修業を続け立派な武士になることを約束し、こう言った。
「いつかは、わたくしたちの真心がとのさまにわかって頂ける時がございますね」
 みよは、この辛苦はどんな報いを期待するものではないと思いながら、なんとか安之助は世に出したいと強く思うようになる。
 以来、みよは、作った箭竹の筈巻(根元のところ)に「大願」ときわめて小さく彫り込むようになった。もしかしたら、それがしゅくんのお手に触れるかもしれないと。
 みよはますますいい箭をつくるようになった。この願いがかないますようにと心をこめて。
 ある時、その節竹が江戸の将軍家(いえ)綱(つな)の目に留まることになる。
 みよの作った箭竹はできがいいということで将軍家に献上されていたのである。
 家綱が感触のよい帯の根元を調べると、きまって「大願」と小さく彫り込んであることに気づく。
 家綱はどこの国から献上されたものかを調べさせた。
 その箭竹を献上した三河藩の水野忠幸は、みよをつきとめると、自らその取り調べを行った。
 そしてみよの申し立てを泣きながら聞いたのだった。
 ほどなく安之助はめしだされて父の跡目を継ぐこととなる。
 みよはそのとき、なおこう言って安之助を戒めたのである。


 ~ 「これで望みがかなったと思うとまちがいですよ、むしろこれから本当の御奉公がはじまるのですから、今までよりもっと心をひきしめ、ひとの十倍もお役にたつ覚悟でなければなりません。あなたは茅野百記の子です、ひとさまとはかくべつなのですからね」 (山本周五郎「箭竹」―『小説日本婦道記』新潮文庫) ~


 「志」に終着点はない。

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気になる例文

2015年10月06日 | 日々のあれこれ

 

 どこの学校でも、漢字練習用の問題集を使用していると思う。
 本校も今まで『パピルス』やら『ゴロゴ』やら『漢字マスター1800』やらいろいろ使ってみて、今の学年は駿台文庫の『生きる漢字・語彙力』を採用させていただいた。
 語彙力を伸ばすことを第一に考えて、霜栄先生のこの本にしてみたのだ。
 よかったと思う。ただ、みょうに例文が気になる。
 霜先生は、なるべく生きた例文を用意したと前書きで書かれているが、やけに乙女度が高い気がするのだ。


  子供の頃からイタン児だったの。やーねぇ。
  毎日やればカンタンに上達するのは確かよ。でも嫌。


 みたいに。
 「やーねぇ」とか「でも嫌」って、いる?
 読む側に「えっ」と思わせてるのだから、きっと効果あるのだろう。
 駿台に教員研修にいって霜先生にサインもらったとき、聞いてみればよかった。


  みんなヘイサ的なの、ちょー好きだね。だよね。
  人生をモサクするのは十二で飽きた。十二?


 これは、複数の登場人物なのだろうか。


  廊下で大好きな男の子とショウトツしそうになった。
  私はソバージュにするのにはテイコウがあった。
  どんなクリームも完全には紫外線をシャダンできない。
  ソボクな人が好き。飾らない人が好き。


 て、やっぱ女子ぽいよね。
 でも、つきあってみると、けっこう気の強い子なんだと思える。


  ふーん、あなたってアンガイいい加減な人だったんだ。
  モンガイカンは黙ってろってわけ?
  人をカイしてなど会いたくありません。
  どうしていつも責任をマヌガれようとするの?


 ときびしく詰問したり、男子をリードしようとしたりする。


  彼女はスラリとしたシシを蒲団の上に投げ出した。


 思わず彼が言う。


  君にその気がなくても人にはチョウハツ的に映るんだ。


 彼女が答える


  この先のテンカイはどうなるの?
  シャワーをアびてからにしようよ。


 生徒さんたちが勉強しながらドキドキしたりしないか、少し心配だ。

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箭竹

2015年10月05日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「箭竹(やだけ:矢に用いる竹の部分、矢柄)」


 寛永18年。駿河国、三河藩の水野忠善(ただよし)の家来、茅野(かやの)百記(ももき)の妻みよは、縁側で幼子が歩くのをほほましげに見ていた。柿の若木には、実が五つ六つなっている。
 そのとき、家士の足守忠四郎が、旅支度のまま庭にかけこんでくる。

 「旦那さまが、久能山で御生害(しょうがい)〈自ら命を絶つこと〉でございます!」

 いったい何があったのか、無理に自分を落ち着かせようとするみよに、忠四郎はこう告げる。
 お役目の途中に同僚と言い争いとなり、刀を抜きあい、相手を仕留めた。周囲の者も旦那様に非はないと言っているが、役目の途中の不始末をわび、自らも切腹した … 。
 役目中の刃傷沙汰ということで、家族にも処分が下されることとなる。妻みよは、二歳の安之助をかかえたまま、食録召し上げのうえ、領内追放の処分を受けることとなった。

 しかしみよはひそかに領内にとどまった。
 主君に仕えるという夫の意志を受け継ぎ、主君の治めるこの土地で生き続けたい、そして、いつの日か子息安之助の仕官がかなうことを願ったからである。
 みよは、使用人を頼って粗末な小屋を借り、草鞋(わらじ)を編んで生計を立てた。みよの作る草鞋はいつしかその質のよさが評判になるほどにもなった。
 数年の後、主君の水野忠義が改易となると、みよは引っ越しを決意する。せっかく生活の基盤が整ったのに、子どもも幼いのに、とひきとめられたが、主君水野さまのいらっしゃる土地が自分たちが生きる場所だと言って考えを曲げなかった。

 息子の安之助は、小さいうちから寺で学問をさせ、剣術の稽古にも通わせた。
 十二歳になった安之助が形ばかりの元服をした頃、いろいろと面倒をみてくれている家主の紹介でみよの再婚の話がもちあがったが、みよは、いささかも迷うことなく断るのだった。

 その後、みよは、土地の産物である竹を使って箭竹を作り始める。
 草鞋づくりよりずっと技術が必要である。初めは手に切り傷が絶えなかったが、慣れるにしたがって腕をあげ、仕事がおもしろくなっていった。誰にもまけない良い矢箭をつくろうとも思った。

 十八歳になった安之助が、ある日居住まいを正して、みよにこう言う。

「私ももう十八歳です。母上はこれ以上賃仕事で苦労なさらないでください」

 今の自分は、働きに出してもらえれば母子二人が食べていくぐらいの稼ぎはできると。

「どうか私に代わらせてください」という言葉をさえぎり、みよはこう言う。

「あなたは考え違いをしています、母がはたらいてきたのは、あなたをりっぱに成人させたいため です、けれどそれさえはたせれば役が済むというわけではないのです」

 意味がわからないと首をかしげる安之助に、父の最期を思い出せと、こう続ける。

「父上は、不運な出来事のために、御奉公なかばで世をお早めになさいました、そうせずにはいられない場合だったのでしょう。さむらいの道にはずれたと申し上げなければなりません、死んでいく父上にも、そのことがなによりもお苦しかったと思います。 … 生きるかぎり生きてごしゅくんに奉公すべきからだを、私ごとのために自害しなければならなくなった、さむらいにとってこれほど無念な、苦しいことはありません。どんなにご無念だったことか … 。」

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天空の蜂

2015年10月04日 | 演奏会・映画など

 

 登校して授業のプリントをつくっていると、自主練の一年がやってくる。
 学年だよりを書き終えた時点で、予想していたより全然早い時間だったので、二回目上映で見ようと思っていた「天空の蜂」を午前の回で見ようとウニクスまででかけた。
 さすが日曜日で、客席にはそれなりにお客さんがいる。
 原作を読んだのは十数年前、ほんとに一気読みした。今まで読んだ東野作品のなかでは、これが一番という実感は今もあるが、中身は全くといっていいほど覚えていない。
 何者かに遠隔操作で乗っ取られたヘリコプターが、高速増殖炉もんじゅの上をホバリングする。
 要求をきかないと墜落させるというメッセージが犯人から入る … 。
 犯人の真の目的は何かという謎解きと、たまたまそのヘリに乗り込んでしまった小学生の救出作戦とが2本の柱となり、全編息をつくひまがない。
 同時に、原発をめぐる日本人のさまざまな立ち位置が浮き彫りになっていく過程は、あまりにリアルで身につまされる。
 リアル?
 もし原作が発表されてすぐ、つまり20年前に映画化されていたら、ここまで実感をもって受け止められただろうか。
 たとえば「政府にとっては人の命よりも原発が大事だ」というセリフを、まさかそこまでは … ととらえたのではないか。
 現場の声に耳をかさず、「すべては東京の本店の言うとおりにすればいいんだ」と指示する様子を、実際にはそんなことないよねと見てしまうのではないか。
 先の大震災を経験したわれわれは、映画の数々の場面がほんとだったことを知っている。
 「格納容器は何重にも守られているので絶対大丈夫」と知らされたことがウソだったことも知っている。
 思えば東野圭吾氏は、20年前によくこの作品が書けたものだ。
 あの大事件を経て、そして原発については解決していない問題が山積みになっていて、それでいて今は多くの人が忘れたかのように日々の暮らしを送っていることも知っている。
 「臭い物に蓋をする」私達の習性は、習性だからどうにもならないのかもしれない。
 救いは、現場で働く男たちの腹のくくり方だろう。
 自衛隊員、消防、警察、そして原発施設の所員たち。
 ヘリから救出された少年が成長して自衛隊員となり、震災の現場で働いている姿を入れることができたのは、もちろん原作にはないはずだし、今作ったからこそ入れることができたのだ。
 二十年前はトレンディな俳優さんだったおっきい兄ちゃんも、もっくんも、立派な大人となって重厚なお芝居を見せる。
 いろんな意味で、二十年の時を経てはじめて映像化の機が熟し、熟成という幸せな結果を手にした作品だ。
 問題提起としても、映画という「エンタメ」としても、観る価値のある、いや観るべき映画と思えた。

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週末

2015年10月03日 | 日々のあれこれ

 

 やっとたどりついた週末は、台風一過のような秋晴れ。
 今日運動会の学校はよかったね。
 先日、大阪のある中学校で、組み体操のピラミッドがくずれて生徒さんが大けがをしたとのニュースがあった。
 10段組んでいたという。自分が中学生のときは4段だった。土台担当だったので、膝がいたかった。
 「組み体操のピラミッドは5段まで」と大阪府が先日お達しを出したんじゃなかったっけ?
 組み体操は体育祭の華、完成したときの達成感が子どもを成長させる、どんな競技にも危険は伴う、というピラミッド肯定派の意見にも理はあると思う。
 しかしものには限度があるし、自分の感覚では9段、10段はきちがいじみている。
 たぶん、小・中学校の体育の先生の中には、上手に指導できる方がいらっしゃるはずだ。
 そういう名人的な先生は、危険に対する配慮も行き届いているにちがいない。
 それでも事故は起こりうる。
 合唱指導の名人とかとは話しがちがう。
 「5段まで」お達しの報道にふれた際は、そんな通達を出す必要あるのかなとも思ったが、これだけ危険性が指摘されてても、10段つくって骨折らせてる学校とは、いったい内部にどんな空気があるのだろう。
 やめましょうという先生もいると思うんだけどなあ。
 部活を好き放題にやっている先生がいるのも、大震災のとき山に避難させなかった大川小学校も、根底にあるのは同じ問題のはずだ。日本の、学校というシステム自体の問題だろう。
 明日は部活オフなので、少しのんびりさせていただこう。

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ロマンス

2015年10月02日 | 演奏会・映画など

 

 先日新宿武蔵野館で「ロマンス」を見て思ったけど、大島優子さん、前田敦子さんの出演する作品には、自分の見た範囲では、はずれがない。
 AKBの屋台骨を支えてきた二人には、やはり人前で何かをし、何かを伝えるということについての才能があるにちがいない。
 美人だからとか歌がうまいからとかお芝居が達者であるとか、そういうもろもろの要素を越えた何かがある。
 そしてキャスティングされた監督さんにも覚悟がある。客寄せでしょ? とか、芝居大丈夫なの? とかの批評を受けることも想定し、それでも自分はつかったし、仕上げたつもりだという自負が感じられる。

 ロマンスカーのアテンダント役の大島優子さん。ある日の乗車で、ワゴンからお菓子を盗もうとする中年男を見つける。その男を駅につきつけるも、万引き未遂、厳重注意という扱いになる。
 釈然としないまま、乗車直前に送られてきた手紙を開くと、そこには「会いたい」ともらす母親の文字が綴られていた。
 今さら、何 … とゴミ箱に手紙を破り捨てる。忘れ物をして戻ってくると、さっきの万引き男(大倉孝二)が、その手紙をつなぎ合わせて読んでいる。
 「おっさん! 何してんだよっ」
 「いや、読むつもりはなかったんだけどさ、でも、これお母さんでしょ、これから死ぬって気持ちを伝えてんじゃないの」
 「知らないわよ」
 「いこ、さがそう」
 「はあ?」
 「いっしょに探してやるよ、ほら箱根にいるんだろ」
 無理矢理手をひかれレンタカーに乗せられ、大島優子と大倉孝二の不思議な旅となる。
 大倉は大倉で、映画制作で作った借金で首がまわらず、これからどうしようかという鬱屈をかかえていた。
 親子ほどには年は離れていず、しかし恋人同士にははたからも見えないようなこのコンビの外見上の不自然さが、二人の内面的距離感のふしぎさをうまく表している。
 「あんた、かわいいのに、口は悪いね」と言われる大島優子さんが「ちかいよ、おっさん!」と声を発するたび、自分も女子にあんな風にののしらられたいなあとの中身とは別種の感慨をおぼえた。
 そういうば「男祭り」の打ち合わせのときに、うちの女子はきびしくて、ちゃんとしてないと怒られるんですよと言う和国の榊原先生の言葉に、「いいなあ、それ」と口にしてしまったら、慶應の小池先生も「わかる」とつぶやいていた。

 映画のプロデューサーだった大倉が、出資を求めて会社のえらいさんをくどいてる時の言葉。
 う~ん、会社としてもはじめてのことだからねえ、後悔したくないんだよ、とその人が言う。

 「何言ってるんですか! 人生なんて、全部後悔ですよ。
  大事なのは、どんな後悔なら納得できるかってことじゃないですか! 」

 なるほど、と思った。

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