堀裕嗣氏が「スクールカーストという言葉をご存じでしょうか」という問いかけから書き始めたのは、2011年に刊行された本だ。
『生徒指導10の原理100の原則』(学事出版)という教師向けのものだった。
それが今や、「スクールカースト」という言葉自体は自明のものとなり、その実態はどのようなものなのか、教師や親はどう考え、どう対処すべきかと述べられる本書は、一般向けの書物である。
ドラマや映画で取り上げられたことが大きな要因だと思うが、ほんの数年のうちに一気に広がった。
おそらく生徒たちの間では、我々よりもずっと早く実感しはじめていた感覚だろう。
もちろん教員でも、この言葉をよく知らないという幸せな方もいる。自分だって、そんなことまで考えず、好きなことだけしゃべって残り少ない教師生活を過ごせればどれほど楽だろう。いや、それじゃ浦島か。
堀裕嗣『スクール・カーストの正体 ~キレイゴト抜きのいじめ対応~』は、今の生徒たちのおかれた状況を、まず俯瞰的に説明する。だからこうだ、こうすべきだという結論を急がない。
現場の教師だから必然的に見えることをまとめたものではない。現場にいても見えない人は見えない。
問題意識をもって、生徒とも同僚とも、一気にひろげるけど世間一般とも様々な距離をとりながら経験を重ね、記録し分析してきたからこそ、こうしてわかりやすくまとめられたのだ。
「こどもの状況が変わっている、昔のやり方では通用しない」という問題意識が教員の間で一般化していったのは、もうずいぶん前の話だ。
その状況を分析し、的確にまとめてくださったのは、「埼玉プロ教師の会」の諏訪哲二氏であり河上亮一氏だった。高度成長期以降、昔ながらの共同体が崩れていくと同時に、「子ども」一人一人が消費主体として一人前に扱われるようになり、学校における振る舞い方も全く変わった。その現実を前提にして、こういう事例にはこう対処すべきだと具体的に教えてくださる「プロ教師の会」の言説には、大いに助けられた。
現場の外から空論を述べる評論家ではなく、現場教師でありながら理論的に現状を分析してもらえた。
目の前の現実を理論的に整理することは、考えてみると現場の一般的な教師が最も苦手とするところだ。
諏訪哲二『オレ様化する子どもたち』(中公新書ラクレ)を、「子供変容論としてこれを越えるものはない」と堀氏も評価する。しかし、この本が出たのは2005年。諏訪先生はすでに現場を離れている。
この段階の子ども認識では、いまの学校を説明できないと堀氏は言う。
たしかに、ここ20年で、「子ども」はさらに変わった。大きく変わった。
なんといってもインターネットの普及、SNS利用の常態化が大きな理由だろう。
人間関係のトラブルの多くにラインが関係してない例はないよなと、いまの教員なら皆感じる。
えっと、もう一回読んでつづきを書くことにします。