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京都ぎらい 井上章一
最初の数ページに書かれた著者自身の体験談を読んで、この本はただの本ではない予感がしたのだが、読み終えてみてやはりただの京都薀蓄本ではなかった。「洛中洛外」という言葉は知っていたが、そこに込められた京都の人たちの思いや、嵯峨や宇治の人たちの屈折した感情にはびっくりさせられたし、京都のコンサートホールの話、「金銀苔石」の話など、驚きの連続だ。その地方地方には、外から見るとほとんど一緒に思えるのだが、そこに住む人々にとっては全く違うというものがある。昔名古屋に住んでいた頃、名古屋の人が尾張と三河は全く違う文化だと言っているのを聞いて苦笑いした記憶があるが、それも似たようなものだろう。私が今住んでいる横浜という土地も、東京と一緒にされるのを忌み嫌う一方で、外人にどこに住んでいるのか聞かれると、判りやすいように「東京」と答えてしまうことがある。本当の浜っ子は絶対にそんなことはしないだろう。人と土地のつながりはいつの時代になっても重要だ。本書を読んでいると、子供の時に育った土地というものが、その人にとっては、いくつになっても重要なんだということがよく判る。それにしても最後の「あとがき」がしゃれている。このあとがきを受けて、本文の方を読み返してみて、なるほどそうきましたか」と。最後の1ページまで面白かった。(「京都ぎらい」 井上章一、朝日新書)
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