彼は1940年生まれ、たぶん大学時代に六〇年安保を経験していたが、民主主義というモノから遠かった人間で、自らの一代エリートの地位を利用して政治に侵入し、その矜持を貫いたのではないだろうか。
ワタシは、葛西敬之には、楽して儲かるJR東海の富を四国と北海道に振り分ける度量がない、いや、公共交通の利益という視点に立って、公平な富の分配の思想を持って欲しかった。それが真に政治的な経営者ではないだろうか。また、それこそが憂国の士ではないだろうか、と思う。
リニアは新たな利権となるかもしれないが、所詮は企業家や財界や土建業者の利権であり、一般の国民の幸せにはつながらないのではないだろうか。
彼はキャリア国鉄マンの雇われ社長から真に血統の良い財界人になりたかった、いや、成れないのならば、そういう人間を応援したかったのではないか。だから血統の良い、与謝野に、安倍に憧れた。そんな気がする、・・・。
しかし、彼が裏でおこなったNHKの会長人事による国有放送化への偏向はその後の国の報道の自由を歪めることになり、罪深いことをしたのではないか。マスコミの中心にあるNHKを人事で拘束することは、自民党・財界から電通を通して広告収入で民間放送を怯懦させることの両面からの圧迫によって、この国の放送公用語を破壊して行った。
結局、日本語全体を歪めて、公用の言葉から民主主義を毀して歪めていき、反民主化、非西洋化への道筋を作り上げた。しかし、それは、何も確たるものがない新しいだけの戦前に向かわせた。
そこに気付いた作家がいた。山崎雅弘である。次は『詭弁社会』を読んで行きます。
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