現に一秒ごとに事象が動き変化する現代を的確に掴んで、それを語るのは非常に困難である。だからか、世の識者や学者は近代を語るのが好きだ。
不思議だが、現代が解らないのに少し前の近代を語ると云う。それも一理あるのか。時間が経つと、少し過去に為ると、時間の隔たりができて、その時の事象が冷静に鳥瞰できると言いたいのかもしれない。
実際のところは解らないが。確かに今を見て今を語れば、責任も重いし、批判も多い。少し前の事の方が言い易い。嘘も飾りも付けられるし。
最近、ネットで国会中継を見ることがある。国会論戦はNHKの生で見るには、耐えられない程の時間の無駄であった。ネットの出現で、予め質問者が解るし、見始めたところで先が見えれば、早送りしてしまう。国会論戦が選択、或いは選別できるようになった。
麻生大臣と野田議員の質問答弁を見た。二人がともに財務大臣と首相を経験した同格の経歴であるため、麻生氏も日頃の高慢な態度はとれず、論議は一定程度噛み合ったように見えた。
自民党の言う有効求人倍率の向上は、実は政策の効果ではなく、単に定年者の増加による生産人口が減少して、その為に若者の雇用が良くなった、という野田氏の主張に軍配が上がった。
それをどう報道するのか、または、官邸の圧力に屈するかは、メディア自身のまさに選択であろう。
元外務官僚で『国家の罠』の著者 佐藤優氏は「政界は『男のやきもち』の世界」と言って憚らない。
そういえば、加計問題の時の「文科省前川次官と出会い系バー」への菅官房長官の執拗な言及なんかは、たたき上げ権力者のエリート官僚への剥き出しの感情が垣間見える。
日頃の記者会見では、「~が云った通り」「~つきる」「国会に聞いてください」と決まり文句しか言わないのに、聞かれもしないのににペラペラと喋っていた。
確か、「職に恋々としがみつき…」とも言っていた。
恋々かあ!?
多摩川…近頃はずいぶんきれいになった。ただそれだけ。
今さら受験でもないが、何となく気になって、『東大のディープな世界史』(祝田秀全、中経出版)という本を買ったら、次の一文に出遭った。
「日本の行政においては、日本国憲法と日米安保条約という二つの政治体系が出来上がりました」
つまりは、日本国憲法9条は日米安保条約を前提として成立している。いや、憲法が表なら、裏に安保条約が張り付いていると言った方が良いかも。
近頃、米国は一定程度しか日本を守りませんと言っている。また、その不足する分を自力で埋めろと命令している。それを忠実に実現させたのが、安倍政権の変てこな憲法解釈による安保法制ということになる。
そもそも日本人の存在と安全は二つの法体系によって支えられていた。一つは憲法によって、もう一つは安保条約によって。受験本から明解に気づかされました。恥ずかしいです。