玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

悩ましい本ー軍国優等生の日記ー(終わり)

2022-12-09 13:05:25 | 

思わぬ処で足止めをされる。「無条件降伏」「ポツダム宣言」が1941年8月15日の正午の玉音放送の日にかかれた庶民の日記に当然のように書かれるのであろうか?

其処に違和感が残った。

理由はひどく個人的なコトなのだが、戦後生まれは、高校の日本史で大正ロマン以降の昭和から歴史が空白なのである。

年表上「ポツダム宣言受諾」の項目は一応暗記にしているが、中身は何も知らないのが戦後生まれの特徴でもある。

暗黙の了解として、大学受験のテストにもその範囲は出ないのである。

恥ずかしながら、「ポツダム宣言」が実は「降伏通告」であり、それを受諾したことによって国際法上の条約の法的拘束力をもつことを知ったのは十年前位なのである。

従って宣言の中の12条にある「基本的人権の尊重」という言葉を見て、当時兵士であった丸山真男は心の中でほそ笑んだ訳である。

当時の日本政府は「降伏通告」という言葉を避けるために「ポツダム宣言」という言葉を1943年11月に出された「カイロ宣言」に引っ掛けて、「ポツダム宣言」と略称化したのであろう。

8月15日の正午のよく聞こえないラジオからの「玉音放送」には一切勝敗は触れず、その後の解説中に出てくる「無条件降伏」「ポツダム宣言」という二つの言葉がその日の日本全国の個人の日記に出てくる不思議さ、違和感に些か疲れました。

結論から言うと、「無条件降伏」は恥ずかしい負け方をしないために、「カイロ宣言」以来、民衆への締め付けの言葉として流布していたかもしれませんが、確証はありません。

しかし、降伏通告を恥として、敢えて略語にした「ポツダム宣言」が玉音放送当日の日記に書かれたとは思えません。

私の目はかなり衰えていますが、この本の200頁には、当時34歳の憲兵大尉武井さんは「…ポツダム宣言を認めこゝに無条件降伏となり、…」と日記に書かれていたと。しかし、201頁の実際の日記の写真には「ポツダム」と云うカタカナはない。また、該当の文節もない。

この本はNHKのドキュメンタリー(実録)で、「敗戦の日の偽らない真実」と帯にある。100人近い日記が集まったとか、どこが真実なのか?NHKの役割というのは何なのだ?

近頃、前川さんをNHK会長にという市民運動があったのに、全く無視して日銀の銀行員が就任するという。

この国の自民党と云う政党の役割は何なのだろうか?

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悩ましい本(2)ー軍国優等生の日記ー

2022-12-08 12:03:09 | 

『昭和二十年八月十五日 夏の日記』が気になって内容を整理すると、これに載った多くの日記は《ポツダム宣言→無条件降伏→三千年の歴史の汚点→くやしい→仇討ち》という敗戦の受け止めパターンになっていることに気が付いた。

よくよく読むと、本の後半で「日記の中にハッキリと戦争への疑問を書き記したものは少ない。個人の記録である日記にも統制の目が行き届き、大方の日本人は戦争の渦の中に翻弄されていた。」とも説明されていた。

確かに戦争への疑問が少なく、何よりも終戦の解放感を書いた日記が少なかった

また、「あとがき」では「ファシズムと言論統制の時代に自分に執着して日記を書き、存在証明となっった。百冊の日記が集まった。すべてお国の為だった時代の数少ない個人、私の世界だった。」とあった。

集まった100冊の日記は、集め方はどうだったのだろうか。8月15日が「解放の日」だったという戦後の捉え方が主流だと思っていたが、どうもその見方は公平ではなく、片方には、戦争に負けたことを本当に悔しがる人々もたくさんいたのであろう。

振り返って、これらの日記が集められた1984年の頃に何があったのだろうか。

1984年1月5日、戦後初めて中曽根康弘首相が公式参拝をした。1985年8月15日、中曽根首相は靖国参拝をした。8月12日には御巣鷹山へ墜落したジャンボジェットの飛行機事故もあった。まさに中曽根政権の民営化推進の時代であった。

1986年7月の衆参同時選挙の歴史的な勝利、11月の天皇在位60周年の提灯行列が行われた。中曽根政権以降の右傾化がムックリと頭をもたげた時期ではないだろうか。

当時20歳、後に作家となった升水美恵子は「皇国有史以来三千年、未曽有の無条件降伏。…今日に至った神州を夷狄の蹂躙するに余儀なくせしめた、我ら国民の忠足らざるを深く深く謝し奉る。」と記した。

こうした愛国女性が居たことも事実なのであろう。

また、小説家平林たい子は「ああついに終わった。…天に向かって百遍も叫んで躍り上がってみたき心地なり。」と記した。

「戦争」を個人の抑圧、「終戦」を個人の解放と単純に捉えることはできないようである。(次回へ)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悩ましい本(1)ー軍国優等生の日記ー

2022-12-07 14:14:56 | 

先日来『昭和二十年八月十五日 夏の日記』を読んでいた。この本は1984年8月15日のNHK放送のドキュメンタリーがきっかけになって誕生したとのことである。

元々は博文館で単行本として1985年に刊行されている。それを1995年に戦後50年という区切りで角川文庫から出版された。

読んでいて、不思議なのである。

有態にいえば、軍國化に順応した優等生たちの日記なのである。

8月15日当日の日記なのに、「ポツダム宣言受諾」「無条件降伏」の終戦後の基本的な政治用語が頻繁に前に出てくる。

果たして、8月15日の玉音放送の日に、一般の人々が「ポツダム宣言」の意味をどれだけ理解していたのだろうか?

前月の7月27の短波放送で「連合国からの共同宣言」という形で伝わり、その内容が「降伏条件の最後通告」であった。

政権中枢は、当初「共同宣言」と言っていた。新聞も「ポツダム宣言」とは書いていない。ただ、その後「降伏の最後通牒」という屈辱から逃れるために「ポツダム宣言」という略語に替わった経過がある。

玉音放送では、昭和天皇の詔書朗読が終わり、次に和田信賢アナウンサーが再度詔書を奉読し、その後に「内閣告諭」や「ポツダム宣言」「カイロ宣言」等の説明をする。

人々の日記に、普通に「ポツダム宣言」と出てくる違和感があった。

林達夫は「あの8月15日の全面降伏の報を聞いた時、…滂沱の涙をとどめ得なかった。」と云った。彼も決して「無条件降伏」とは言っていない。

玉音放送の説明の中で、「ポツダム宣言とは…我が国対して無条件降伏を要求する米、英、支の三国の宣言であります」と触れられているだけである。(竹山昭子『玉音放送』)

戦後になって「無条件降伏」はすっかり常識化したが、国際法上は「条件付き降伏」なのである。

「無条件降伏」も8月15日のその夜の日記に明確に出てくるのは驚きであった。悩ましい本である。

(次回へ)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャック・リーチャーNEVER GO BACK

2022-12-06 13:21:32 | 映画

少し前からアクション系の娯楽映画ばかり見るようになった。

この映画のトム・クルーズがえらく老けて、身体も締まりがなかった。

こちらが爺なので親近感を覚えたが、しかしよく考えると、それもわざと作ったのかもしれないと、思ったりして。

大写しになった時の顔の皮膚の老いも造作したのだろうか。

ネットで調べると、1962年生まれで2016年制作とすれば、54歳か、・・・。

まだ若い。やはり老いを演じたのかもしれない。

この映画を見たのは実は2度目だが、惚けた所為か、2度目だとよく内容が分かった。前回よりも、なかなかおもしろかったのである。

つまらないコロナ禍で、単にスカッとする映画を見て自粛のイライラを忘れたい。ワクチンへの疑い、政府の隠蔽態勢、しかも、37.5℃・4日間で何人も死なせてしまった加藤某を又も厚労大臣に任命する無神経さ、無能に腹が立つ。

やはり、岸田は担ぎやすいプラスティックのような軽い神輿で、自分の目でモノを見れる普通の才覚を持つ人間ではないようだ。これじゃ、アベ・スガと変らない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご主人様がいない

2022-12-05 10:01:56 | あれこれ

亡くなった後で、これほど大物だったとは分からなかった。

かつて、鈴木善幸、海部俊樹とか、似たような政権があって、表面的には正義感が強く、決断力は無かったが、それが誠実に見えて悪い気はしなかった。

しかし、二人の裏には、100人規模の田中派、そして経世会系の大派閥が控えていたし、闇将軍田中角栄や実力者竹下登が実在した。

現在の岸田政権は、影の大物が居ないことで、自民党は憲法改正でも発議できる勢力がありながら、内閣、政党支持率は下がる一方である。

国民は全く気付かなかったが、民主党政権後の自民党には、ある種の血筋という貴種の将軍が居たのではないかと想像している。

些か滑稽だが、平氏が麻生、源氏が安倍と云った貴種や家柄・血統が党内で決定的な支配力を持つ。ーそう考えると、何となく今の混迷の説明がつく。

戦後の55年体制の長い歴史の中で、2代目、3代目、婿取り、嫁取り等の世襲議員という家と氏を背負った痼のようなモノを膿み出してきたのかもしれない。

現在の自民党は独力で政権を握る力が既に失っているので、学会に頼り、それでも足りず、神社やカルト教団を引きずり込んで選挙に勝ち、実態は宗教系が混じった大政党になっている。これがたぶん実像なのかもしれない。

自民党に真の実力がない故に、現在は宗教系の支持者が混乱をしている。それが内閣支持率、政党支持率の低下にもつながっているのではないか。

主人を失った犬は、オロオロして可哀想だ。キッシーが猫系ならば、たぶん大丈夫だろう。

小さな路地物の売り場

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする