ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像 20

2021-06-01 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1968年1月1日 天皇一家

 

時期不明 将棋をさす昭和天皇と浩宮

 

 1968年1月28日 上野動物園にて

 

 1968年2月1日 桑島すみれハープ演奏会での美智子妃と正田夫人

 

 1968年2月 関東東海花の展覧会

 

 別冊デラックス女性自身 家庭保存版皇室写真が語る喜びと激動の100年

 

 1968年4月 「これが沖縄だ」展を見る

 

 1968年4月5日 九州旅行にいく皇太子夫妻をお見送りの浩宮

 1968年5月 障害児童療育記録映画会会場に到着した時

 

 1968年6月3日 こどもの国

 

 1968年7月 広島訪問

原爆病院訪問

 1968年7月 福島県国立公園大会

裏磐梯を歩く夫妻

 

 1968年7月17日 那須御用邸に向かう美智子妃

 週刊平凡 1968年8月1日号

ちょっぴりお寂しそうご夫妻だけの那須旅行

・浩宮と礼宮は夏風邪をひいてお留守番

 

 1968年8月1日~5日 浜名湖静養

 1968年8月7日 花火大会を見物 怖がる礼宮

 

 1968年8月 静養中に沖縄豆記者と会う

 1968年8月12日 軽井沢静養

 1968年9月 福井国体出席

 

 週刊女性 1968年10月12日号

美智子妃ご懐妊!」

 

 週刊平凡 1968年11月7日号

おしあわせな日々・・・美智子さま満三十四歳の誕生日」

 

時期不明

 

 1968年11月30日

 

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像19

2021-05-26 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1966年10月7日 首相官邸で行われたガールスカウト世界大会のレセプション。秩父宮妃と総理夫人。

 1966年11月 ユトリロ展鑑賞

 1966年11月 パラリンピック開会式

 1966年11月 大分県での全国身障者スポーツ大会

 

社会福祉法人「太陽の家」訪問

 

客船「るり丸」で神戸へ

 1966年11月30日 礼宮1歳

 1966年12月 鎌倉でテニス

 1967年1月1日 天皇一家

 

 週刊文春1967年3月13日号 苗場スキー場にて

 1967年4月 ブラジル訪問一ヶ月前に59年ぶりに訪日した第一回移民団に会う

 1967年5月9日 南米訪問見送りの浩宮と礼宮

 1967年5月 ペルー訪問

大統領の出迎えを受ける

公式晩さん会

 1967年5月 ブラジル訪問

 1967年6月1日 帰国

 1967年6月19日 里帰り

 1967年6月 東宮御所内

 1967年7月25日 乗鞍岳登山

 1967年 10月 古寺へ

 1967年10月19日 美智子妃の誕生日用写真

 1967年 11月10日 秋の園遊会

 1967年11月7日 歌舞伎座での赤十字大会

 1967年11月21日 青梅市の聖明園盲老人ホームにて

 

 1967年11月30日 礼宮2歳

段々やつれが目立ってきた美智子妃ですが、その原因は何なんでしょう?

かつらをすぽっと被っているのですが、盛り髪というより本当に髪が少なくなったのかな?と。結構子供を置いてテニスやら静養やらやっているようですし、傍目には結構優雅に見えますが。

赤十字大会の写真の美智子妃は今でも何であんなスタイルで立っているのか謎です。

皇室内でのいじめ・・・と言われていますが、常陸宮妃はやつれていないし。

結局「育ちの違い」が孤立させたんでしょうね。

広い範囲で常陸宮妃から後はご先祖で繋がっているようなものだし、思い出話も華麗なものが多かったでしょうし。

息子2人授かって地位も盤石。国民の支持も高く人気ナンバーワン。

それなのに精神的に追い詰められるっていうのは、よほどプライドが高いのか。

何でも一番じゃないと満足できない美智子妃なのかな。

 

 

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像18

2021-05-21 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1965年11月30日 礼宮文仁親王誕生

病院に向かう美智子妃

出産後、病院にかけつける皇太子

お見舞いにきた皇太子と浩宮

 ヤングレディ1965年12月13日号

美智子さま親王様出産秘話 ぼくのかわいい弟が生まれた

 五島美代子  待ちとりて愛で育くますみ手多し 幸限りなく生れまししみ子

         拓かれむ明日の光は遠白し はらからの宮み手さづさへて

 木俣修  霜月の三十日の朝のあかね空 さやけくも親王の産声徹る

       二の親王は生れましにけり 新世のひかりのごとも思はゆるかも

 

 1966年1月 青少年読書コンクール 出産後初の公務

 1966年3月5日 学習院幼稚園の卒業遠足

 1966年3月 学習院幼稚園卒園式

 1966年3月29日 氷川丸を見学する皇太子夫妻と浩宮

 1966年3月30日 東宮御所の庭を散歩

 1966年3月 東京育成園訪問

 1966年4月8日 学習院初等科入学式

 

 1966年4月 世田谷の国立小児病院訪問

 1966年5月 小泉信三氏の葬儀に

 1966年5月 バン・クライバーン演奏会を訪れて応接室で挨拶を受ける

 1966年初夏の礼宮

 1966年6月29日 「オセロ」チャリティ試写会

 

 1966年7月25日 軽井沢静養に向かう

 1966年8月7日 日本ジャンボリーに参加

 1966年8月 鳥取での公務に

 

 1966年8月13日 静養先での団欒

浅間山登山

帰京

 1966年9月 大分夏季国体の為出発

大分生態水族館

臼杵市深田で見送りを受ける

 1966年9月 大分夏季国体開会式

 1966年9月 大分県立別府養護学校訪問

宇佐神宮参拝

1965年11月30日に礼宮文仁親王が生まれたわけですが、週刊誌などでは「名前は文仁ちゃん」などと書かれていました。

開かれた皇室の主役はあくまで美智子妃と浩宮という感じです。

 

 

 

 

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像 17

2021-05-17 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1965年 天皇一家

 1965年1月20日 ベルギーのボードワン一世夫妻を迎える

 1965年2月24日 全国の保母さんを東宮御所に迎えて話を聞く

 1965年3月3日 学習院幼稚園のひな祭り

 

 1965年3月 学習院幼稚園の子供達を東宮御所に招く。全員を3回に分けて招いた。

 1965年3月 全国赤十字大会

 1965年3月 才能教育研究会全国大会

 1965年1月26日 伊豆サボテン公園視察

 1965年4月 ラオス皇太子夫妻をお見送り 

 

 1965年4月 ご懐妊発表

 

 1965年5月5日 「こどもの国」開園式

 1965年5月8日 世界赤十字大会

 1965年5月 都内の生け花展に

 1965年5月 世界生花展

 

 1965年6月13日 吉田茂元首相邸へ

 

 1965年7月15日 渋谷区東京児童会館 浩宮とロボットを見学

  一緒に写っている女性はこの地に宮邸があった梨本伊都子さん。

東京タワー見学

 1965年7月3日 東宮御所にて

 

 1965年8月 軽井沢静養

軽井沢で沖縄豆記者に会う

 

 1965年10月 学習院幼稚園の運動会

浩宮のロボット見学の時になぜ梨本伊都子さんが呼ばれたのか。

単にそこに住んでいたから・・・なんて理由だったら意地悪そのものですね。

「日本ももうだめだと思った」と美智子さんの入内に大反対だった梨本さん。

宮家から臣籍降下して本当に苦難の日々を歩まれた彼女。

一方、民間出身の美智子妃は悠々とおしゃれして皇孫の母として立っている。

何とも言えない図です。

 

礼宮がなぜ「加茂さくら」の子と言われるかわかるような気が。

だって懐妊しているとは思えないようなお腹なんですもんね。

痩せてしまって目立たなくなるとこんな感じなのかなあ。

 

 

 

 

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像16

2021-05-14 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1964年10月10日 東京五輪開会式

重量挙げを見る

柔道無差別級をオランダのベアトリクス王女と観戦

レスリングを見る

射撃・フリーピストルを見る

水泳競技を見る

フェンシングを見る

バレーボールを見る(日ソ戦)

表彰式で立ち上がって拍手

 1964年10月26日 閉会式

 女性自身1964年11月2日号

「アベベが勝った」

 1964年10月30日 学習院幼稚園芋ほり遠足

 1964年10月園遊会

 1964年11月 パラリンピック東京レセプション

 1964年11月8日 障害者スポーツ大会開会式

 アーチェリーを観戦する皇后陛下と皇太子夫妻

 

 1964年12月14日~21日 タイ訪問

 1964年12月15日 国王主催の晩さん会

 1964年12月17日 粕谷孝夫日本大使公邸訪問

総天然色皇太子ご夫妻タイ国の旅

 

 1964年12月21日 風船を沢山持って夜までお迎えで待っていた浩宮

まさに東京五輪で「天皇一家」として愛子内親王を真ん中に・・・という写真を撮りたかったんだろうなと思います。

なんせあのナルちゃんがちゃんと出来た事ですしね。

東京五輪の開会式では薄手の夏物みたいな服を着ていたのに、わずか

3週間で毛皮をお召しとは・・・暑くなかったのかな。

でもまあ、目立つことが最大限の目的と思えばしょうがない。

タイから帰国の時に風船を用意したのは誰なんでしょうね?

何の為の演出だったんでしょう?

ナルちゃんより美智子妃の方が嬉しそうですけど・・・・

20代の頃から後ろ髪がかつらを被っていたようですがそんなに髪が薄かったのか。

この髪型が永遠に続くわけですからね。

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像15

2021-05-12 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1964年1月1日 天皇一家

 1964年1月10日 歌会始め

 1964年1月26日 箱根の駒ケ岳スケートリンクでスケート競技観戦

 1964年2月 ギリシャ国王・故パウル一世の追悼式

 1964年2月22日 浩宮誕生日用に撮影された写真

 1964年3月3日 美智子妃殿下と三島由紀夫

 1964年3月 学習院幼稚園プレ入園の浩宮と参観している美智子妃

 1964年3月22日 2泊3日の房総半島旅行 両国から「内房2号」で出発

 1964年3月22日~24日

水仙の花を手に

野島崎灯台見学

白浜町で海女による素潜りを見る

スリッパが何だかわからなくて履かない浩宮

 

 1964年4月 式典出席

 1964年4月 学習院幼稚園入園式

 1964年4月 渋谷区の東京都児童会館でロボット視察

 1964年5月10日~17日 メキシコ訪問

晩さん会

市場で買い物

1964年5月12日 当初訪問予定ではなかったメキシコ女学院(聖心女子の姉妹校)

1964年5月13日 原住民トルテ族の神殿訪問の為ヘリコプターを使う

帰国して挨拶

 

 1964年5月22日 学習院幼稚園遠足

 1964年7月23日 東久邇成子さん3回忌

 1964年8月 八方尾根に登山

 1964年6月1日 軽井沢テニスコート

 1964年9月 東京五輪のメイン会場となる国立競技場を視察

 1964年10月3日 学習院幼稚園運動会

 1964年10月 東京五輪選手村開村式

 

意外とこの年はプライベートを楽しんでいるんだなという印象。

特に子供を置いて夫婦二人きりで出かけることもあったんだなと。

今じゃ考えられない・・・週刊誌がバッシングしますものね。

それにしても、美智子妃はいつもどこをみているんでしょう?

もはや自分のカメラ写りしか気にならないのかも。

ナルちゃんの寝ころんだ姿が愛子内親王にそっくりだったりして。

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像14

2021-05-06 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

1963年3月4日 美智子妃懐妊発表。同22日流産。その後3ヶ月の静養生活に入る

 1963年 病院に見舞いにいく皇太子

 

 週刊平凡 1963年5月30日号

ナルちゃんお見舞いに・・・

 1963年7月8日 軽井沢静養に向かう皇太子一家

 

1963年4月17日→ 葉山静養

   7月2日→一旦帰京

   7月8日→ 軽井沢静養

   8月6日 → ガールスカウトのキャンプファイヤーに参加

   前日より軽井沢プリンスホテル → 野尻湖ホテルに夫妻で宿泊

 1963年9月 山口国体の為福岡空港に到着

 

 1963年9月 山口県庁のバルコニーから挨拶をする皇太子夫妻

 1963年9月 山口国体開会式出席

徳山市の鼓ヶ浦製肢学園を訪問

光市の武田薬品工場で顕微鏡をのぞく

光市で急行列車の到着を待つ

岩国の錦帯橋を渡る

 1963年10月20日 29歳の誕生日

 1963年10月23日 皇太子の発案で2泊3日の奥日光旅行

 1963年10月 浩宮が通う学習院幼稚園を視察

 週刊少女フレンド創刊1963年12月1日号

世界の王女さまとナルちゃんがいっぱい」

 1963年11月2日 上野動物園を訪れた浩宮と美智子妃

 

 1963年11月26日 聖イグナチオ教会でケネディ大統領追悼ミサに参加

 1963年12月20日 皇太子30歳の誕生日用に撮影された写真

 

  1963年12月 翌年オープン予定のこどもの国を視察

 1963年12月 デンマークのマレクレーテ王女と歌舞伎座へ

 1963年12月 母校・聖心のクリスマスキャロルに参加

 1963年 浩宮と共に正田家に里帰り

流産した年、様々なバッシングを受けた美智子妃は半年にも及ぶ静養生活を送ります。その優雅なことといったら・・・と思ってしまうのは時代が違うからでしょうね。

復活した美智子妃はカメラに自分がどう写っているかをより意識するようになり、今ような表情になっています。

自分を「女優」と仮定したということは、「自分の美しさ」に目ざめ、これを利用すれば国民を味方につけられると思ったのかなと。

伏目がちや、どこを見ているのかわからない表情をしてみたり。

子供といる時ですらそんな感じで、ひたすら自分がどう写っているかなんですよね。

「美智子さま、お元気になってよかった・・・でもまだおつらそう」とか、そんな同情を引いたことでしょう。

それにしても、雑誌の付録が「ナルちゃんの部屋」っていうのも。

いわゆる浩宮には「皇孫殿下」という威厳は一つもなかったって事ですね。

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像13

2021-05-05 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 美智子妃ファッション

時期詳細不明

 

とにかく着物がお好きというのはわかりました。それも非常に高級なものばかり。これを断捨離されたらたまらないなあ。

普通は娘や嫁や孫に受け継ぐ筈なんですけどね。箪笥のこやしになっているのでしょうか?

この帽子の被り方は若い頃の定番。顔がよく見えるようにと、わざと深くかぶらないんですよね。コサージュやブローチを高い位置に着けるのもこだわり。

手の形も・・・

プリンセスっぽさを重視していたころ。

普段着もおしゃれ。

 少女フレンド創刊号 1963年1月1日号

ナルちゃんと美智子さまのおうち見学」

 

 1962年12月23日 皇太子の誕生日用の写真

 1963年1月1日

思えば美智子皇后の「孫が可愛い」破顔一笑はないんですよね。

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像 12

2021-05-04 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1962年8月 ロンドン身障者オリンピックに出場した伊藤工・吉田勝也選手のプレーを実際に見る皇太子夫妻

 

 1962年9月 岡山での国体開会式

 

 1962年9月17日 大原美術館を視察

 1962年10月 昭和天皇が名古屋を訪れた際に買い求めたメラミン樹脂製の食器。浩宮の為に。600円

 

 1962年10月 28歳の誕生日写真

 

 1962年10月27日 野球観戦

 

 1962年10月30日 園遊会

 

 1962年10月 フィリピン訪問を前に多摩陵参拝

 1962年11月 フィリピン訪問の為、東宮御所出発。見送る浩宮

 

 1962年11月 マニラに到着し、大統領に迎えられ歓迎式典

 マラカニアン宮殿に向かう

 

 マラカニアン宮殿で記帳

 大統領から最高勲章シカツナを授与される皇太子

 

 アギナルド将軍邸(フィリピン独立運動宣言の場所)

 ベラエス副大統領の別荘で昼食会

 

 マニラの国立児童保護施設で折り紙

 

 フィリピン大学訪問

 バギオの商店で地元で織られた布地を求める

 バギオからマニラに戻る

 日本大使公邸で記者会見

 マカバガル大統領主催の晩さん会

 

 皇太子夫妻主催の答礼晩さん会

 フィリピン最後の日 大統領夫妻と朝食

 

 1962年11月8日の美智子妃殿下

帰国の途に

 1962年 東宮御所に帰り、迎えた浩宮を抱き上げる

 

これだけ行く先々でちやほやされたらたまらないだろうなと思います。

美智子妃の目つきが変わって来てますよね。

 

 

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聖女か悪女か美智子上皇后の肖像 11

2021-04-21 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1962年5月 九州訪問

空港に降り立つ

宮崎県立整肢学園訪問

宮崎駅から延岡へ

宮崎で農薬散布を視察

都農駅で皇太子夫妻を歓迎する人々

 1962年5月2日 青島のこどもの国を訪問

 

 1962年5月8日 鹿児島県の児童養護施設「愛の聖母園」を訪問

 1962年5月 神代三山陵 ニニギノミコトを祀った可愛山陵を参拝

ヒコホホデミミノミコトの高屋山陵を参拝

吾平山陵(神武天皇の両親の墓)

 

熊本県球磨郡の保育所視察

熊本城視察

農林省種畜牧場阿蘇支場を視察

 1962年5月12日 熊本県立第一高等学校で生物の授業を視察

 1962年6月 東京五輪開催に向けたオリンピックで―で言葉を述べる皇太子

 1062年6月 東京馬術大会を観戦

 少女クラブ 1962年7月号付録

 

 1962年6月6日 上野動物園でフラミンゴを見る

 1962年8月3日~8日 静岡県御殿場にて日本ジャンボリー視察

 1962年夏 軽井沢静養 自転車に乗る浩宮

沼津静養

 

 19622年 志賀高原

静養時にしても、施設訪問時にしても、美智子妃のカリスマ性はすごいものを感じます。

わざと夫とラブラブ状態を撮影させているかのような?

でも、こういう写真を見て「うちの親とは全然違う!素敵」と胸をキュンキュンさせた乙女も多かったろうなと思います。

浩宮ですら小道具に見えちゃう不思議です。

ハシゴ静養はこの時から定例化していたんですね。

 

 

 

 

 

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