ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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父の日なので・・・

2005-06-19 13:43:52 | つれづれ日記
「母の日」に比べると今一つ盛り上がらない「父の日」クールビズじゃネクタイもなんだしなーーー
という事で、我が家では何もいたしません。あしからず

私はいわゆる「お父さんっ子」だったと思う
非常に甘やかされて可愛がられて育ったので、小学校に入るまで
自分で服を着ることも出来ず、ハサミも使えず、靴ひもなんてとんでもない・・・状態。
母に言わせると「それもこれもみーーーーんなお父さんのせい」という事になる
だから色々な意味で強く影響を受けたのは確かかもしれない。

父は形から入る人で、そもそもが育ちがいいので金銭感覚が人と違う。
「武士は食わねど高楊枝」というのが信条らしく、生活のために好きなものを
諦める・・・なんていう習性はなかったのだ。
だから、どんなに苦しくても酒とタバコは止めなかったし、いつもひょうひょうと
していたような気がする(要するに夫婦そろって浪費家だったと・・)
私が「ピアノを習いたい」といえば、中古とはいえグランドピアノがどんとリビングに置かれたり、
「学芸会で浴衣がいる」
といえば三越で一点物の高級品を買ってくる。
「学校で登山に行く」
といえば本当にナップザックと登山用シューズを買い・・「お習字を習いたいわ」といえば、専門店で全部そろえてしまう。
「文化祭の舞台で主役をやるの」といえば、体育館の一番前に陣取ってカメラをぱしゃぱしゃとりまくり。
「午後から授業参観が・・」
といえば、給食の時間から教室に来て壁に貼られた作品をみたり、食事風景をみていたり。
極めつけは「家の壁紙」かな。
築10年を超えた頃、クリーム色だった壁が汚れてきたので塗り直すことにした。
で、父は業者と色々選んでいたんだけど、一言私が「ピンクがいい」と言ったら
本当にピンク色の壁にしてしまったのだ
冗談のつもりだったのに、どでかいピンク色の家を見た時は絶句してしまったもの

そういう父親だったけれど、彼は大正生れで日中戦争に徴兵された。
甲種合格の上等兵は中国で左足首に銃創を負い、なくなく帰国。その後は
故郷の郵便局で得意な書道を武器にお仕事に励んでいたのだけど、軍にその腕を買われ
彼の祖父が赴任していたという「憧れの台湾」に赴き、そこで終戦を迎える。
母と同様、父にとって台湾は気候的にも思想的にも自由で優しい土地だったみたい
(日本では禁止されていた敵性音楽を大音量で聞いていた程だし)

父が私達に戦争体験を語る事は度々あった。
広い中国大陸に立った時、「こんな大きな国と戦争をやっても負けるだけだ」と
思ったとか、負傷して仲間からはぐれた時に1頭の馬が父を背中に乗せて
陣地まで連れ帰ってくれた話とか・・・
「戦闘になって真っ先に飛び出すのが自分だったけど、どういうわけか
一番最初に飛び出す人に弾はあたらない。二番目以下がばんばん打たれて
しまうんだ」なんて話もあったなーー
父は軍人恩給を返上した。「国が大変な時にそんな金は受け取れない」と
言ったのだそうだ。(それは母にとって常に愚痴の対象だった)
8月6日、9日、15日は必ず家族でテレビの前に正座して
黙祷を捧げる。
おかげで「戦争を知らない子供」の典型例の私にも、まるで経験したかのような
感覚で当時を考えることが出来るのだ。

戦争で死と隣り合わせに生きて来た人というのは違うなーと思ったのが
「宮城県沖地震」
の時。慌てふためいて外に飛び出そうとした私と母とお手伝いさんに向かって
「外に出るな!出てはいかん!」と叫んで、父は座っていた場所から飛ぶように
して私達3人を大黒柱に押し付けて庇うように覆い被さった。
普段はアルコール漬けの生活で、歩行もままならない程だったのに、
危機に対する突発的な行動の的確さには本当にびっくりしたものだ。
あとは電気が止まろうが、ガスが使えなくなろうが、慌てず騒がずの姿に
子供として尊敬の念を抱いたけどね。

太平洋戦争が、父に与えた影響は大きかったと思う。
日中戦争で負傷して戻って来ても、何とか再び戦地に戻りたくて
軍に必死に訴えたとも言っていたし、だからこそ台湾に赴任する事に
なった時は嬉しかったし、そこを死に場所に選びたかったのだろうと思う。
でも、敗戦であえなく引き上げ。
亡くなった多くの人たちの命の重みを抱えて生きるには弱い人だった。
だから戦後はアルコールに浸ったのだろうと思う。
そういう一兵卒だっていたのだ。
決して戦争で傷ついたのは中国や韓国だけじゃない。
日本人だって・・・だから今、本当にどちらが悪かったかなんて言うべき時ではなく
「戦争を繰り返さない」努力をすべきではないのかと思う。

今、戦後派の人たちが偉そうに「靖国神社参拝」賛否両論を議論したり、
日本の「加害者責任」を云々言ったりするのを聞いたら父はなんと思うだろうか。
「靖国?あんなところに戦友の魂はないよ。日本がバカだったのは認めるさ。でもあれは
軍部の暴走であって、広い意味では日本人全てが被害者だった」
とでも言うだろうか・・・ひょうひょうと。
コメント (3)
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