ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

うっそーー「義経」がいい作品なの?

2005-06-23 17:13:13 | ドラマ・ワイドショー
もうっ!これだから世の中の「視聴率」なんてあてにならないのよっ!
視聴率だけで全てが決まったら、ドラマも終わりよ

いや・・何に怒ってるって・・・
今日の朝日新聞さんです(まだとってるの・・・)
何気にみてたら、好調「義経」3者3論とあってですね。
大河ドラマ義経
視聴率がとーーーってもいいんだって
何でも20%は当たり前状態。
そんな「義経」
に対する識者の声が
「よくできている」「タッキーの起用がうまくいった」等など。
ただ一人埼玉学園大学の方だけが「女性重視を評価」するものの「表現に違和感」として
「通り一片な女性の描き方」としている点が批評らしいところ

でも!
私は言いたい。
「義経」
視聴率がいくらよくても評価には値しません(タッキーファンには悪いけど)

まず第一に・・・このタイトル「義経」じゃないよね?
どちらかというと「平家物語」でしょう。
ところどろこ出てくる源氏のあれこれより、平家の人間関係の方が濃密に描かれているし
役者陣も力が入っている事は事実。
セリフの一つ一つも源氏側より平家側の方がより説得力があるわけ。
とりわけ松坂慶子
時子さんや平幹二郎
法皇様は圧巻だし、他、平家の方々の演技(鶴見辰吾とか阿部寛とか)も光ってる
でも、本来は「義経」なんだから、もっと源氏側の人間模様に力を入れるべきじゃない?
お話に引き込まれるのはいつも「平家」側というのが問題。

その理由はやっぱり滝沢秀明君にあるのかなーー
五条大橋のシーンなどは本当に綺麗だったし、「さっすがイケメン」と
思ったのも事実。
でも正直、神木君が演じた牛若丸の方が感情表現が豊かだったし「悲劇の少年」ぶりが
際立っていたと思うの
神木君の名演技があってタッキーにバトンタッチしたから最初は
すごくよかったんだよね。
ところが!!
最近のタッキーは出番が少ない、セリフが少ない、見せ場がない・・状態で
思わず「一体、このドラマは誰が主役?」という感じ
そうならざるを得ない理由が多々あるようだけど・・・
「義経」
醍醐味って・・
「草燃える」
の時も「武蔵坊弁慶」
の時も、義経を取り巻く人達の「人間関係」だと思うの。
頼朝が非常に冷静で「感情」のない人だとすれば、義経は「感情」だけの人。
そこらへんの「弱さ」みたいなものが魅力の一つだと思うのね
世間知らずで戦争が上手な御曹司を「しょうがないなあ」といいつつ守る主従の関係がいいのよ。

でも、6月のこの時点でも、まだドラマは「平家物語」状態です。
多分、一の谷とか屋島とか・・壇ノ浦で華々しく見せ場を作るんだろうけど・・

ドラマは脚本・主役・脇役の3者がぴったりはまってこそ「名作」だと思う。
それが出来ていたのは絶対に「新選組」の方。
それでもこの作品は「見ず嫌い」の人が多くて視聴率が最低を記録してしまった

見る目がないのよねーー一般の人達って・・・
今の「義経」の視聴率の担い手が半分がタッキー&アイドルファンで
もう半分が「古きよき大河ドラマファン」だとすると・・・
どんな駄作を上演しようとも絶対に観客動員が減らない
潰れない宝塚歌劇団
のようだわーー
コメント (2)
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60年目の心の闇

2005-06-23 09:26:56 | つれづれ日記
今日は何の日?ふ・ふ・ふーーわっ♪
(おもいっきりテレビ風に歌って下さい)
6月23日
「沖縄戦終結の日」
なんです。
あれから60年。体験者の方々が多くを語らなかったために
本当の「犠牲」がどんなものであったか、どんな思いを人々は抱いていたか・・なんて
戦争を知らない私達には中々伝わらないんですよね。

正直、昔は「沖縄戦」には興味がなかったの
育ったのが東北の田舎で、東北って何となく関東以南に比べると
戦争の悲惨体験に乏しいというか、あまり関心がないっていうか。
「仙台空襲」があった宮城県ですらそんな調子だから、「沖縄」も
「原爆」も遠い異国の出来事のように感じていたわけ
でも、映画「ひめゆりの塔」を見て、初めてその現実を知り、本を読み始めたんだよね。
それでも実際に沖縄出身の方に、「自分の祖父が・・祖母が・・」というような
話を聞くまでは現実感に乏しかったように思う
沖縄っていうと、みんな明るくててーげーで「なんくるないさ」と笑って吹き飛ばす
東北人には「憧れ」の気質を持っている土地柄だけど、
心の奥底には常に「悲しみ」を背負ってる
以前だけど、沖縄から東京に出て来た男性3人が、わざと方言で会話しているのを
見た事があるのね
沖縄の言葉って独特で、私達には外国語のようにしか聞こえないでしょう
すごく壁を感じたね
戦争の話になると、それはもうすごかった。
完璧に沖縄には沖縄にしかわからない「傷」があるんだって事が
それが世代を超えて継承してるのだという事がびんびん伝わって来て
その時初めて、彼らや彼らの先祖が体験してきた「沖縄戦」の悲惨さは
本土の人間には到底計り知れない苦しさをもたらした事実を感じたの

それはきっと「沖縄」だけじゃない
原爆も南方戦線も同じ。サハリンからの引き上げ船の悲劇も同様・・
これは決して言い訳ではなく
「侵略国である日本だから戦争の悲劇は体験していない」とか
「侵略国である日本だから原爆を落とされても沖縄で皆殺しにされても当然」
とは言えない筈
延々と「された事」を語れる人や国はまだいい。
でも、語る事そのものが傷になってしまい、激しい絶望と悲劇の記憶が
甦る恐怖に「何も語れなくなった、何も思い出せなくなった」人達の方が
どれほど苦しいだろうか
「あの日の出来事」を全て心に封印して、この世を去っていった多くの
日本人達。

「歴史認識」にこだわって「自国の悲劇」ばかり主張しないで
悲惨な体験や想像を絶する悲劇を「黙って耐えている」国民がいることを
もっと知って欲しいし、「靖国参拝」のような形式的なことに
目くじらを立てたり、象徴的に扱うよりも、本当の「体験」を聞き取って
言葉にして残す方が本当の意味での「平和教育」になるんじゃないかな
コメント (1)
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