ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

ファン・ジニ・・・・剣の舞

2008-06-23 10:26:58 | つれづれ日記

 来週の「ファン・ジニ」は午後10時からですよ

 

 ファン・ジニ・・・剣の舞 

 

 チニはピョクケスに対して「私があなたを買います」と言ってお金を

   積み上げ、侮辱する。しかしピョクケスはチニを諦めきれない。

 プヨンはキム・ジョンハンを好きになるが中々報われない。

 チニはメヒャンに「剣の舞」を習うことに。もし、これでうまく踊れたら

   ペンムは芸妓を退くことに。しかし一方ペンムもチニが失敗したら

   「官卑」にしろと要求する。

 最初はなかなか出来なかったチニが1ヶ月もすると形になって

   来たので、みなは驚き、ペンム派は嫌がらせをしようとする。

 

 さあ、いよいよペンムVSチニの戦いが本格化してきましたが、

熱くなって「復讐」に燃えるチニと、それでも弟子の才能を高く評価し

「敵方についても踊る気になったのならいい」とするペンムの間には

人間としての「器」の違いが出てきます。

はっきり言ってチニはまだまだ子供なんだなあ・・・と

 

 ピョクケスに対するチニの振る舞い。これは実際にはありえない

よね。王族だよ?ピョクケス様って。その人相手に袋に入ったお金を

積み上げて帯をといていくなんて

見ている方は痛快だけど、ほんと、ありえないシーンだなと思います。

 

 謎の「ムミョン」は一体誰なんでしょうね?

 

 「ガラスの仮面」的シーンが結構ありました。

 濡れた紙の上を回る

 障害物を越えながら踊る

 わらを押し切りで切る

「鶴の舞」の時は

 体を水平にぶら下げられたり、さかさ釣りにされたり

ってのもありました

真剣に見てしまうけど、よく考えると笑える

完璧に「月影先生」と「北島マヤ」の関係になりつつある、

メヒャンとチニ。面白いなあ・・・・

 

 哀れなのはプヨンで・・・色々策略をめぐらすわりにはどれも不発で

   空回り。イライラばかり募ってくる役ですよね。お気の毒です。

  でもラストシーンでプヨンが被っていた帽子っていうか「笠」ねーー

   あんな華やかなものが李朝鮮時代にはあったんですねえ。

   (本当に?) まるで南北戦争時代のボンネットみたいですね。

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沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実

2008-06-23 10:02:18 | つれづれ日記

 本日は、沖縄戦が集結した日です。

先日、BS2で「沖縄戦」の映画を放送していました。

出演者は田中邦衛・丹波哲郎・小林桂樹等などそうそうたるメンバーでした

限られた時間の中で「対馬丸の沈没」や「渡嘉敷島の集団自決」や

ひめゆり部隊の話など、沢山盛り込んでおりました。

 ちょっと気になったのは「集団自決」の話で、この映画が作られた時は

この「集団自決」は軍の強制であったと言う事が語られています。

 

 私も以前は「沖縄戦における集団自決は軍の強制である」と

思っていました ゆえに教科書から削除されるのはおかしいと・・・・・

誰も強制されずに死んだりするわけないって

そして、「沖縄ノート」において大江健三郎氏が「渡嘉敷島の集団自決

について、当時、沖縄の渡嘉敷島に常駐していた赤松大尉を糾弾

していた事も知りませんでした

っていうか、そんなに大きな出来事だったのかと、自分の無知さに

恥ずかしさで一杯になりました。

 

 沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 

(曽野綾子著・WAC)

 

 実は、この本を手に取るきっかけになったのは、本屋さんで

みかけたからなんですけど、それまで「集団自決」は軍の命令と

信じていたものですから、曽野綾子という尊敬する作家さんが

「そうではない」という立場に立っておられるのが非常に不思議で、

それで読んでみようと思ったのです

 

曽野さんは昭和40年代からずっとこの「集団自決」における赤松大尉の

「命令」について取材をされていました。

昭和45年に行われた「慰霊祭」の為、島に入ろうとした赤松大尉は

反対派によって上陸できなかった事、沖縄のマスコミが赤松大尉が

自決を命令していない」と言ったことを取り上げ、激しい口調で責めた

事も・・・

 

じゃあ、一体真実は何だったのか・・・・・

ぜひ、この本を手にとって読んで頂きたいのです。

私達の世代は「太平洋戦争」というものについて、かなり左がかった

教育を受けてきました。異常な加害者意識を埋め込まれ、そのコンプレックス

は60年経っても払拭されていません。

(それでも今時の若い人のように、何も教わらないので知らない・・・よりは

ずっといいと思うのですが)

当時、昭和30年代、40年代における「戦争に対する考え方」っていうのは

本当に自国に厳しいもので、徹底的に日本を日本人が貶めるような

考え方が多かったと思います。

でも、事実はそうではない・・・・という事が、ごく最近になって少しずつ

語られるようになりました

でも、まだ少数派です。

 

この沖縄戦における「集団自決は軍の命令であった」という事にしても

沖縄県民が10万(?)も総決起集会を開いて教科書に載せるべきだと

主張し、そのあまりの数の多さに誰でも「軍の命令だったことは事実」と

思い込んでしまい、間違った世論操作をされてしまっている場合がある

という事です

案外、少数派の方が正しかったりするものかもしれませんが、国民性なのか

多数派を指示する癖があるというか、大本営発表を鵜呑みにすると

いうか 私も含めて気をつけなくてはなりません。

 

 「集団自決」は実際にあったようです。けれど、そこに赤松大尉の

命令があったかなかったか・・・・ ここが焦点です。

そして「あった」とする人達の大元になっているのが「鉄の暴風」という

冊子に書かれた「集団自決」の記事ですが、実はこれは取材して

書かれたものではなかったのです

つまり誰も当時の赤松大尉や生き残りの人達に話を聞かず、ある一方の

流れの人達が意図的に書いたもの・・・それが今に至るまで

「正式な資料」とされてきたようです。

でもその裏には、ちょっと悲しい事実もあったりして

100%書いた人を責めることは出来ないかもしれませんが、赤松大尉の

汚名は返上してあげなくてはいけないのではないかと思いました。

 

あの時、自決して死んだ人はいいのですが、身内を手にかけながらも

自分は死に切れなかった人や、当時、本土に疎開していて戻ってきたら

家族が自決していた・・・というような人が沢山いて、その苦い思い出を

何かに昇華させたかったのか・・・とも思われます。

 

ぜひ読んでください。

 

コメント (5)
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