阪神大震災と地下鉄サリン事件
結婚後、皇室に対する関心はそれほどなかったのですが、
いわゆる「皇后バッシング」があって、皇后が文書で抗議し、尚且つ
声を失うという事があり、週刊誌を読みまくった事があります。
当時のバッシングはすさまじかった。
今思えば、何となくこの頃から不穏な動きはあったようですね。
女性週刊誌を読んでいた主婦層は、多分「雅子様はいつどのように
して皇室外交の手腕を発揮するのだろうか」
と思っていたでしょう
でも一方で、「雅子妃は実は社交下手で学習院の集まりに皇太子と
行った時も途中で気分が悪くなったといって部屋にこもった」という
エピソードもありました。
皇太子夫妻の最初の外国訪問は中近東
この時は震災直後の訪問だったのでキャンセルすべきと随分言われましたが
結局強行したんですよね。
かの地では・・今じゃ考えられないような弾ける笑顔を見せていた雅子妃。
中々帰りたがらなかったようです。
その後も「地下鉄サリン事件」等が起きて、世の中が不穏になり、
皇族の外国訪問は少なくなったような気がします それは日本だけでは
なく外国の王室もそうでした。それが雅子妃にとっては予想外のこと
だったのかもしれません。
香淳皇后の葬儀を欠席
皇太子妃に対する疑惑の目はこの頃から既にありました
一般でも大姑の葬儀に跡取りの嫁が欠席したら大事ですが、なんと
それが皇室の中で堂々と行われてしまったのです
しかも理由は「夏ばてのようなもの」
身分や立場を考えれば欠席なんて出来ないし、周りもさせない筈なのに。
あっさりと出ないんですよね・・・・この後も宮中祭祀は休みがちに
なったといわれています。
「諸君!」には香淳皇后の葬儀の準備の為、両陛下は移動の車の中で
寝込んでしまう程熱心に準備をしていたと書かれていましたが・・・
そんな両陛下の思いを見事に踏みにじった一件でした。
雅子妃は不妊?
結婚当初からヒールの底が低くなったら「妊娠か?」
公務を休めば「妊娠か?」
と騒がれていた雅子妃。確かにうざったい一面もあったかもしれませんが
実は皇太子夫妻はこの頃からすでに公務は鑑賞系ばかりで、あとは
静養のニュースがほとんどで、傍目から見ても「遊んでばかりいる」と
いう風に見えました。
女性週刊誌では
アトピー治療の為
環境ホルモンの為
不妊ではないかとも書かれていたようですね。
でも、そんな折、秋篠宮家に佳子様が誕生したのですが、この出来事は
東宮家にとって相当悔しいものだったのでしょう
以後、どんどん秋篠宮家はマスコミに取り上げられることもなくなり、
佳子様の映像もあまり残っていません。
「ご優秀な雅子様」と言われる割には、そういったエピソードが
何一つなく、公務で居眠りした写真を撮られたりする妃に違和感が
ありました。
流産
この流産事件は「マスコミのせい」と書かれまして、随分新聞が悪者に
されたようですが、実はこの時、ベルギーへの訪問を控えていて
雅子妃は回りに妊娠を隠してベルギーへ行き、ワインを飲んで・・・
といういきさつだったようです
「妊娠・出産よりも外国に行きたい」という思いが強かったんでしょうね。
後にベルギーから「妊娠を知らなくてすみません」とお詫びが来たとか。
愛子内親王誕生
愛子内親王が誕生した時、何となく「やっぱり女の子か」という
ムードで、「これは女帝問題になりそう」と思ったものでした。
皇太子は雅子妃の定期健診全てに付き添い、出産の時も側にいて
生まれたらお風呂に入れ、オムツを取り替え、外ではおぶって・・・と
「今時のパパ」ぶりを見せ付けてくれました
でも「公園デビュー」には引きました。だって月曜日の真昼間に
夫婦が子連れで公園で遊んでるんですよ?「仕事しないで
何してるの?」みたいな・・・・・
皇太子夫妻は両陛下に「公園デビュー」を反対されたので、公務を
欠席して強行したんです。そしたら案の定野次馬が一杯来て
警備は大変な事に これも「国民が悪い」のかもしれませんが。
内親王は1歳半まではにこにこ笑って手を振っていましたが、以後、
笑顔が消え、両手をがっちりご両親に繋がれている姿ばかりが撮影
されるようになりました。
「外国に行けない」発言
「私にとりまして・・・」で始まった「外国にいけない生活に慣れるのに
努力がいった」云々発言はその後の「人格否定」発言に向っていく
流れでした。
林田長官の「秋篠宮家に第3子を」発言で雅子妃は倒れた・・・と報道
されましたが、実際には「東宮家に第2子を、秋篠宮家に第3子を」と
発言していたのです。
「私は子産みマシーンじゃない」という言葉が女性週刊誌に踊り始め
「優秀でキャリア外交官だった雅子様に対して世継ぎのプレッシャーを
かける宮内庁及び両陛下はひどい」的な書かれ方をしていました
子供を産むより外国に行きたい
葬儀などで外国に行けて感謝している
などのちょっと支離滅裂発言があったことも・・・・
以後、療養生活に入るのでした。
「人格否定発言」
そして「雅子のキャリアや人格を否定した動きもあった」と皇太子が
発言したのですが・・・
今もって不思議なのは、一体誰がいつどのようにして妃のキャリアや
人格を否定したというのだろう・・・という事。
林田長官の発言がその一つであると週刊誌は書きたてましたが、
私はそうではないと思います。
っていうか・・・どんな家でも次の世代を必要とするのは当然の話で
それを「人格否定」と言うのはいかがなものかと思います。
また、雅子妃のキャリアはわずか2年ちょっと。皇室にいる方が長いのに
いまだに「元外交官」を背負って生きているほうがおかしいと思います。
今や
「雅子様は皇太子妃としての振る舞いを要求されると具合が悪くなる」
とかかれる始末。
結婚15年もたって、皇族らしい立ち居振る舞いの一つも身に着けず
上記のように言われてしまうのは、彼女にとって「結婚」そのものが
実はめちゃくちゃハードルが高かったという事に他ならないのでは?
これからどうするんでしょうね?
一生「国民が、宮内庁が、両陛下が悪い」と週刊誌に書かせて静養
三昧するつもりなんでしょうか。
15年経っても「小和田雅子さん」が一番しっくり来る女性です。