「将来は金持ちになり母の恨みをはらしたい」
「日本が犯した罪は大きい。一生償わせてやる」
ヒサシの心の中にはそんな感情が渦巻いていた。
多分、それは時代の流れだったのではないか。戦後の日本は一斉に左に向く・・・
「戦前の出来事や風習は全て駄目。個人こそが尊重されるべき」とする一方で
戦前は弾圧されていた共産主義に憧れを抱く若者が増える。
ヒサシにとってはアメリカの個人主義よりスターリンの思想の方が有意義に思えた。
とはいっても自分が労働者階級に入る事など考えてはいない。
あくまでも自分は指導する立場にいくのだ。
外務省に入るためには、チャイナスクールとコネクションを持たねばならなかった。
ヒサシは勉学の傍ら、必死に社会主義・共産主義の本を読みあさり、理解に務め
外務省・チャイナスクールにコネを獲得すべく奔走した。
「官僚になれば貧乏とはおさらば。偉くなって銀座や赤坂を闊歩して高級な酒を
飲み、みんなをひれ伏せてやる」
いい酒、いい食事、いい服・・・・全てにおいての欲を満足させること。
それがヒサシのヒサシであるゆえんだったのだ。
一方、皇太子は学習院大学に入学し、青春を謳歌する予定だった。
大学在学中に立太子はしたものの、彼は大学の自由な雰囲気と学生生活を
楽しんでいた。
学友達にも恵まれていたし。
しかし、そんな皇太子の前に思いがけない国際デビューが待ち受けていた。
1953年3月30日から10月12日までの約半年間、ヨーロッパ12カ国と
アメリカ・カナダを歴訪することになったのだ。
身分は皇太子であったが「天皇の名代」であったので、プロトコールは国賓として
のもの。
「半年間も大学へいけなかったら単位はどうなるんだろう」
学生皇太子の心の中によぎる不安・・・・勉学が遅れるのは嫌だった。
しかし、これは政府からの要請なのだ。
この歴訪の間には6月2日のエリザベス女王の戴冠式も控えている。
まさにヨーロッパ王族と対等に付き合っていかなければならない。
政府の狙いはむしろそこにあった。
敗戦国として屈辱的なスタートを切った日本。アメリカに進駐されている日本。
けれど、皇室はアメリカにはない。そして日本の皇室は世界でも類をみない
神聖な一族なのだ。
そしてアキヒトはその後継者。
ヨーロッパやアメリカに広がっていた「天皇=ヒトラー」のイメージを払拭し、
皇室をもって日本国の素晴らしさを世界にアピールするには是が非でも
皇太子の歴訪は必要不可欠。
「半年もの長い外遊など・・・水や食べ物にあたったらどうなさる?
船の上でお酔いになったら?決して丈夫ではないのに」
皇后は心配のあまり涙を流された。
「お上、いくら政府がそう言うと言っても皇太子を外国にやるのは嫌でございます」
「ナガミヤ。心配はない。皇太子はもう18歳だ。一人前の大人。きっと期待に
応えてくれるだろう。そうだろう?東宮ちゃん」
両親が自分の目の前で小さな諍いをするのを皇太子はこそばゆい感じで
見つめていた。
こんな団欒こそ、彼が望んでいたものなのだ。
「はい。おもうさま・・じゃなくて陛下。ご期待に添うよう全力を尽くします。皇后陛下、
どうぞ涙をお拭きになって。私は大丈夫ですから」
「何が大丈夫なものですか・・・何がわかるの」
それでも皇后は美しい目を涙で一杯にしながらいささかヒステリックにおっしゃる。
「遥か昔、私も英国へ行った事がある。それまでの籠の鳥のような生活が嘘の
ように自由と温かさを感じたものだ。あれから人生観が少し変わった。だからきっと
この旅は東宮ちゃんにもいい影響を与えるとおもうよ」
英国・・・どんな国なのだろう。地図で場所と歴史は学んだが・・・
いや、イギリスだけではない。これからの短い時間で沢山の事を覚えなくては。
「私がいない間、おもうさまとおたあさまをお守りしておくれ」
皇太子はヨシノミヤにそういった。
「はい。お兄様。でも・・僕、大丈夫かしら?」
「大丈夫かしらなんて言っては駄目だ。お前は皇位継承第2位なんだから」
「はい・・・」
ヨシノミヤは不安そうに頭を下げた。
小さなスガノミヤは「おみやげを忘れないで。お兄様」とくったくなく言う。
「何がいいの?」
「ヨーロッパのお人形」
やっぱり女の子だな・・・
「ヨシノミヤお兄様の事は私にお任せね」とませたことまでいう妹は可愛らしかった。
皇太子は自分自身を奮い立たせて国家の為にこの旅をやりきろうと決心した。