2008年4月10日 愛子内親王学習院初等科入学式
2008年4月11日 テレビインタビュー。
愛子内親王の入学で担任が男性から女性に変わった
セキュリティシステムの強化
などの話に元学習院初等科長が「今まで学校教育に何かいう皇族はいなかった」
と答える
女性セブン 2008年4月17日号
「前回は学習院園長 皇太子妃雅子さまが切望された新女官の評判」
週刊ポスト2008年5月2日号
「愛子さま「学習院どじょうすくい」イベントをドタキャンの大きな波紋」
4月13日 オール学習院には雅子妃と愛子内親王も出席する予定
皇太子一家の為に駐車スペースをとりお茶だしの準備もしていた
当日、午前11時頃「本日はいらっしゃいません」と宮内庁から連絡
なぜドタキャンしたのかの問いに東宮職は「東宮ご一家は参加を予定されていたわけではありません」
12日、両陛下の結婚記念日の夕食会で東宮はホスト役だった。「雅子妃はお疲れだった」
2008年4月21日 登校風景公開
週刊新潮2008年5月1日・8日合併号
「「私は病気ではありません」「宮内庁と女官」への雅子妃の「かくも深き不信感」
先月(=恐らく2008年3月)のとある夜、さる宮内庁幹部が内輪の親睦会出席のため、都内の飲食店を訪れた。参加者は親しい間柄にある他の官庁のキャリア官僚4、5名ほど。
「年に1、2度、開かれる私的な飲み会ですが、いつもは顔を見せない宮内庁幹部が、珍しくやってきた。仲間内という気安さもあったのでしょう。そのうち、雅子妃に関するグチをポロッと漏らした。“雅子妃は、警護官を選り好みして困る”と零し始めたのです」
と、関係者は話す。
雅子妃は、今年(=2008年)1月25日から26日にかけて、長野県で行われた国民体育大会冬季大会の開会式に、皇太子殿下と出席されたものの、フィギュアスケート観戦をドタキャン。
その後、私的な外出を除いては、2月、3月はほとんどの公務を欠席されている。
そうした雅子妃の動向に対して、批判的なマスコミ報道は少なくない。
宮内庁幹部にとっては頭の痛いところ。関係者は続けて言う。
「宮内庁幹部の話によれば、雅子妃と東宮の女官との関係が必ずしもうまくいっていないそうです。雅子妃は女官に対して不信感を持っているようで、女官があれこれ言いふらすために、その話が回りまわってマスコミに書かれた末、天皇家の確執になっていると思い込んでいるようなのです」
この親睦会の前の2月13日、宮内庁の羽毛田信吾長官は記者会見で、「(皇太子夫妻の)ご参内の回数は増えていない。両陛下も心配をされていると思う」と異例の発言。
あえて天皇皇后両陛下と皇太子ご一家との間に“溝”があることを示唆した上で、以前(=2007年2月誕生日会見)に「両陛下とお会いする機会をつくっていきたい」と語られた皇太子殿下に対して、「殿下ご自身が発言されたことなので大切になさっていただきたい」
と苦言を呈していた。踏み込んだ発言の矛先は、皇太子殿下だけでなく、雅子妃にも向けられている。雅子妃はどう受け止めたか。
宮内庁長官の発言後、皇太子ご夫妻は、両陛下との“関係修復”に努力されている。
3月2日、皇太子殿下は、東宮御所に両陛下を招き、雅子妃や愛子さまも一緒に満開の梅の花を鑑賞された。3月13日には、夫妻で皇居を訪問してもいる。だが、先の関係者によれば、
「皇后陛下と雅子妃との関係は微妙だそうで、“両陛下が東宮にいらしたとき、雅子妃はあまり皇后とお話になっていなかったようだ”と言っていました」
雅子妃の心中では、宮内庁長官の発言が、わだかまりになっているのだろうか。
宮内庁担当記者は話す。
「雅子妃は、そもそも、皇室外交を担うという希望を持って嫁いできたのに、海外に行くどころか、宮中に閉じ込められて“お世継ぎ”産む役割ばかりをを求められてきた。宮内庁幹部が、そうした趣旨の発言をしてきたことも事実であり、その精神的な負担が現在の病気の原因となり、皇太子殿下の“人格否定”発言に繋がっている。雅子妃は“宮内庁は自分を守ってくれない”という不信感を抱いているのでしょう」
公務は欠席されるものの、私的外出での雅子妃の表情を見る限りでは、病状も回復されているようにも見える。しかし、宮内庁との確執がなくなったわけではない。
先の関係者は言う。
「宮内庁幹部によれば、雅子妃は、“公務に行けない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありません”と、おっしゃられたこともある。その発言を聞いた人たちは、“そんなことをおっしゃること自体が病気ではないだろうか”と話していたそうですが……」
かくも深き不信感であったのか。
「お召し物の相談がなかった」
先にも触れたが、雅子妃は宮内庁だけでなく、身近に仕える東宮御所の女官に対しても不信感を持っている。
「雅子妃は、女官云々というよりも、東宮職全般に対して不信感を抱かれているようです」
と話すのは、先の宮内庁担当記者である。
「雅子妃が心を許しているのは小和田家と皇太子殿下だけ。3月下旬からの長野・奥志賀高原へのスキー旅行も、実妹の池田礼子さん一家とお出かけになった。静養といえば小和田家と、というのが雅子妃のルールになっているんです。女官を始め、東宮職員もみんな、雅子妃には本音で近づけない。会話がほとんどなく、全く意思疎通が図れていないというのが実情です」
以前には、雅子妃は女官に直接口頭で指示せず、用事を書いたメモを自室のドアの下から差し出していたことがあった。
女官との関係が修復できないほどに悪化したきっかけが、’05年11月、紀宮さま(黒田清子さん)のご成婚時であるという。
「披露宴に雅子妃は派手な洋装で出席された。お立場からいえば和装であるのが常識です。他の皆様が淡い色合いの着物(未成年皇族は除く)だったのに比べ、雅子妃は派手な色のドレス姿だったので、周囲が目を疑ったことがあったのです」
と話すのは、皇室関係者。
「どうしてそんな服装になったのか、披露宴の後、当時の渡辺允侍従長が東宮の女官に問い質しました。女官は“雅子さまから事前にお召し物の相談がなかった”と答えたそうです。
しかし、雅子妃が和装という常識をご存じなかったとしても、女官を通じて雅子妃から御所や秋篠宮家に相談なさってもよかったのではないでしょうか。
渡辺侍従長が、そのように女官に重ねて尋ねると、女官は“雅子さまは、私たちの申し上げることはまったくお耳に入れてくださいません”と言ったそうです」
このとき、雅子妃も、自分だけ服装が浮いてしまったことに苛立ちを隠さなかったという。
「雅子妃は、“どうしてあなたたちが確認しないの。あなたたちのせいで恥をかかされた”と女官に対しておっしゃったそうです。
女官は、“そういうことは妃殿下が我々に命じてくださって初めてできることです。我々は、そこまで雅子さまの全てのご面倒を見なければならないのでしょうか”と悩んでいました」(同)
それ以来、雅子妃と女官とは、疑心暗鬼の状態が続いているという。雅子妃との関係に悩み、短期間で辞めた女官もいる。以来、東宮女官は定員4人から1人欠けた状態が続いていた。
そこへ4月1日、学習院幼稚園園長の小山久子さんが、新たに愛子さまの「養育専任女官」として東宮御所に“引き抜かれ”た。
「皇太子ご夫妻は小山さんを信頼されており、ご両人の希望で、急遽、決まった人事です。
雅子妃の東宮女官に対する不信感を払拭するためでしょう」
と、先の宮内庁担当記者。
雅子妃にとっては朗報だろう。だが、東宮職の内部では、公務復帰をめぐって表面化こそしていないが見解の相違があるという。
「野村一成・東宮大夫(67)が治療優先派であるのに対し、末綱隆・東宮侍従長(59)は公務復帰派なんですよ」
と、宮内庁関係者は話すのだ。
殿下のたっての希望で…
野村東宮大夫は、外務省出身で、駐ロシア大使を経て、06年から現職。
雅子妃が幼少の頃、父親の小和田恒氏の部下として同時期にモスクワで勤務したことがある。末綱東宮侍従長は警察庁出身。神奈川県警本部長、警視庁副総監を経て、05年から現職。
「末綱さんは皇太子殿下が学習院大学卒業後、オックスフォード大学に留学した際に警護官として同行し、2人きりでヨーロッパ中を旅行したほどの間柄。殿下の信頼は厚く、末綱さんはいずれ警察庁長官か警視総監と目されていたが、殿下のたっての希望で東宮侍従長に就任することになった。一方の野村東宮大夫は、小和田恒氏の意向で、東宮大夫に就任した」(宮内庁関係者)
その末綱東宮侍従長が、昨年(=2007年)夏頃、辞意を漏らしていたという。
「末綱さんが辞意を漏らした原因は、雅子妃への不信感と、野村東宮大夫との確執です。末綱さんは、決意を持って東宮侍従長になったわけですが、次第に雅子妃の行動に耐え切れなくなっていったそうです。皇太子殿下は末綱さんに、“やりたいようにやってください”と言っていた。そこで末綱さんがまず手をつけたのが、雅子妃の公務復帰。少しずつでいいから、前向きに公務復帰を検討していただきたくて、雅子妃に何度も何度も“いかがなさいますか”と聞いていたのです」(同)
ところが、雅子妃の主治医・慶応大学保健管理センターの大野裕教授は、治療のために雅子妃の希望を入れて、公務の負担を減らそうとする。
「野村東宮大夫も、言わずと知れた小和田ルートの人事ですから、とにかく雅子妃の希望最優先。末綱さんがやろうとした公務復帰とは、意見が合わなかったそうです。末綱さんも“こんなはずじゃなかった”と漏らすようになり、ついには辞職まで考えるようになってしまったそうなのです」(同)
もっとも、今では辞職を思い止まり、職務を全うする決意を固めているという。
なにしろ現実問題として、雅子妃の公務復帰の目処は全く立っていないのである。
「今年(=2008年)1月、長野県での国民体育大会冬季大会の開会式に出席されたが、案の定、土壇場になって体調不良により視察スケジュールを変更せざるをえなくなった。やはり、まだ無理なのか、という諦めが宮内庁にもあり、その後、公務の日程をあらかじめ入れることが極めて困難になっているのです」(前出の宮内庁担当記者)
最近の例では、4月17日、赤坂御苑で開かれた天皇皇后両陛下主催の「春の園遊会」に欠席。24日、都内で開かれる日本人のブラジル移住100周年を記念した「日本ブラジル交流年」の式典にも、名誉総裁に就任した皇太子殿下だけの出席で、雅子妃は欠席される。
異例な付き添い通学
さる宮内庁幹部は困惑し、雅子妃にこう苦言を呈する。
「公務に出席する、しないということが、東宮側から一方的に宮内庁に伝えられてくるので、非常に困っています。
ドタキャンをするとなったら、先方への尻拭いは宮内庁がやるんですよ。
雅子妃ご自身が先方にご説明されるのであれば、一方的な通達はいくらあっても構いませんが、それはありえない。
雅子妃は、本当に、その辺のことが分かっていらっしゃらない。ご自分のお立場を全く理解なさっていないと思います」
詳しい病状に関しても、宮内庁はまったく蚊帳の外。
「公務を休むことは構いません。病気なんですから。しかし、病状を公表しないにしても、身内に対しては、きちんと説明をすべきです。公務というのは皇室全体に関わる話ですから、勝手に休んで、ハイそうですか、とはいかないんです」(同)
ところが、誰も雅子妃に直接意見を言える人物はいない。すべては「病気治療中」という理由で、宮内庁や東宮職も腫れ物に触るような扱いである。
「雅子妃は愛子さまの小学校ご入学で手一杯。4月中は引率しての登校となりますから、雅子妃はそのためにお疲れになっていて、とても公務どころではありません」
と、東宮関係者は言うくらい。
だが、連日、妃殿下が付き添って通学するというのは異例なことである。さる皇室ジャーナリストはこう語る。
「たとえば浩宮さまの時には侍従が、紀宮さまには女官がそれぞれの役目にあたっていました。表向きは、愛子さまと一緒に外出される機会が増えることが病状の回復の一助になるという理由なのからでしょうが、実は、少しでも愛子さまがそばにいないと精神的に不安定になるのではないか、との懸念があるのかもしれません。
本来ならば、女官の付き添いだけで、愛子さま1人でお過ごしになる時間を持つことも、初等科での教育的役割のひとつですが、その第一歩からして後退せざるをえなくなったのは残念なことだと思います」
さらにこうも言う。
「健康回復のバロメーターのひとつとなるのは、春と秋に催される園遊会に出席されるかどうか。園遊会では、長時間立ち続けなくてはならず、臨機応変に言葉を交わさなけれなりません。体力的にも精神的にも大変です。園遊会にご出席ならば、かなり回復されたと見ることができますが、今回も雅子さまはご欠席でしたね」
そもそも、発病した経緯を顧みれば、宮内庁や東宮職が、雅子妃の不信感を取り除かない限り、「心の病」が完全に癒えることはないであろう。「私は病気ではありません」とはいうものの、公務復帰への道のりはまだまだ遠いと言わざるをえない。
女性セブン 2008年5月8日号
「前代未聞の厳戒態勢「愛子さまシフト」に困惑
・全教室に取り付けられた鍵
・呼び名は「宮様」×「敬宮さん」〇
・学内撮影禁止に大ブーイング
月間WILL6月号
「総力特集小和田一族と皇室皇太子さまへのぎご忠言第二弾」
2008年5月3日 御料牧場静養
2008年5月11日 粟の種まきの為参内する皇太子一家
週刊女性2008年5月27日号
「雅子さま初等科内に「貴賓室」の過剰反応だらけに・・愛子さまに普通の教育をの現実」
週刊新潮2008年5月22日号
「雅子さま晩さん会欠席の翌日に父母会出席はいかがなものでしょう」
5月7日の宮中晩さん会に雅子妃は欠席。体調が悪いから
5月8日朝の愛子内親王の付き添いは皇太子
その日の午後、父母会には雅子妃が小山元園長を伴って出席
平成18年にインドネシア大統領来日宮中晩さん会に欠席し、翌日、私的なジュエリー展には行ったことも。
2008年5月16日 「鳥のビオソフィア」鑑賞
雅子妃の感想「モノトーン。素敵」
とにかく好き放題が続いている雅子妃ですが、誰も止められなかったということですね。
末綱さんが辞表を出したあとはさらにひどい事になるわけですけど。
私達はこの歴史をしっかりと胸に刻む必要があると思います。