ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

戦後75年

2020-08-15 07:00:00 | つれづれ日記

昭和20年生まれの人が後期高齢者になる今年。

戦後75年です。

彼らは「戦争を知らない子供達」の第一期世代。

戦争体験者の両親や祖父母からは「今時の若者は」と言われながら育ったかもしれません。戦争体験が身近にあり、また日本全体が貧しい時代に子供時代を送った彼らは、どんどん豊かになっていく日本を見つつ、多分、アメリカに悪い感情は持っていないでしょう。

安保問題などで、左翼に傾倒する人達も現れる。

でも、若い人からは戦前生まれと戦後生まれの間でごっちゃにされちゃった世代でもあるかもしれません。

ということで、「太平洋戦争」を骨身に染みている世代は大方90歳以上。

80代ですら終戦時に子供だったので、覚えているのは「墨塗り教科書」とか「脱脂粉乳」とか「DDT」とか。「学校給食が一番の苦痛」世代です。

私の両親のように大正初期生まれが終戦時30代で、リアル体験世代です。

だから私はある意味、郡山宮夫妻より知識として現実を知っています。

特に政治的な思想、どうして戦争が起こったか、昭和天皇をどう思っていたか、戦後はどう感じていたかなどは、郡山宮夫妻と真逆の考えを持っていました。

私が小さいころ、母はよく「今時の親は子供を甘やかしすぎる。お手伝いにおこづかいを上げるなどもってのほか。子が親の手伝いをするのは義務。でも、あの親達は自分が小さい頃に貧しい生活をしていたから、子供にはなんでも与えたいんだろう。それが甘やかしに繋がっている」と言っていました。

丁度、昭和も40年代になると新しいおもちゃや電化製品が次々現れて、それらを「持っていることがステイタス」みたいな雰囲気はありましたね。

私は、いわば「おばあちゃん」達に育てられた子なので、リアル子供の流行に疎くて、近所の子供がいなかったら取り残されていたかも。

まあ、それはいいとして。

そんな風に太平洋戦争は歴史の中に消えようとしています。

あまりに辛く悲しい思い出ゆえに、語ろうとしなかったと言われる90代の人達。

でもそれは半分しかあたっていないと思います。

なぜかと言えば、戦後教育において「太平洋戦争」は日本が悪かったという認識で統一されていたからです。

当時、兵隊だった人、将校だった人、戦争体験者など、「日本が戦争を起こさなかったらこんな事にはならなかった」意識の人は重宝されても、「あれは自存自衛の戦争で誰が悪いと言えるものではなかった。自分達は国や家族を守る為に頑張って戦った」とは言えなかったのです。

戦後、特攻隊の生き残りの方々が差別されたり、被爆者が差別されたりというような世の中では、「戦争体験」そのものが「悪」でしかないという感じです。

私の両親もそうですけど、時代の中で何がもっとも大事かと言えば、それは「国

でした。日本という国がなくなったら日本人は亡びてしまう。だから、どんな事をしてでも頑張って戦うしかなかったのです。

でも、ドラマや映画では、兵隊のずるさや「いじめ」などばかりおおっぴらに語られあたかも「集団」は悪い、というような風潮でしたよね。

日教組による教育を受けた子や孫に、「天皇陛下万歳」を強制されたわけじゃない。あの頃は自然にそういう言葉が出たんだよ」とは言えなかったのです。

昭和天皇と皇太子(上皇)の間に流れていた、寒々とした空気、あれを恐れていたのでしょう。

(昭和天皇と皇太子の寒々・・を知っている世代も減りつつありますけど)

 

今年は75年目なのに、戦争に関する報道が少なく、映画もドラマもあまりないなという印象です。

NHKでみた原爆を落としたアメリカの話は、色々な意味で新しかったと思います。

確かに被ばく当時、「広島には75年間草木が生えない」と言われていましたが、それがアメリカ人の言葉だったとは。実際には翌年には草木は生えていたのですけど。

広島や長崎だけでなく、皇居にも落とそうとしていたこと。

まるで遊びのような感覚だなと思います。

日本という国土を使って核実験してみました・・・という感じです。

首里城の下に司令部があって、牛島中将がいたこと。そこで働いていた人々にとっても様々な思いがあったこと。

ガダルカナル島の玉砕は、本当は海軍と陸軍の対立にあったこと。実際は、途中までは日本が優勢であったこと。

公文書の公開で様々なことがわかっています。

それだけ太平洋戦争が遠くなっていってる証拠です。

それなのに、未だに従軍慰安婦だの徴用工だのっていう国が全然わかりません。

嘘ばかりを垂れ流し、罪悪感で一杯になった日本を翻弄し続けたことは歴史的敗北です。未だに中韓の顔色を見ないと靖国神社に行けないなんておかしいでしょう。

「私は戦争犯罪人である昭和天皇の子だ」と思い続けて父と反目していた上皇もどうかと思いますが、「昭和天皇の孫」としての自覚が一切なく、他人事のように戦争を見る天皇もどうかと思います。

今年は新型コロナの影響で規模が縮小される戦没者追悼式。

語り継ぐことが必要ですが、今の世界は戦争前のような危うさを持っています。

戦前の日本も大変だった・・・・でも、平成と令和の日本はもっと大変な状態とも言えます。先の見えない恐怖をあとどのくらい味わえばいいのか。

今一度、先祖の生きた証を見て参考にしたいと思います。

 

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする