ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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皇室ウイークリー

2020-08-16 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

8月7日・・・天皇陛下 → 通常業務

       両陛下 → 熊本県知事から豪雨被害について説明を受ける

8月11日・・・

天皇陛下 → 通常業務

       両陛下 → 国連事務次長に会う

 

秋篠宮家

8月7日・・・殿下 → 大日本農会から豪雨被害について説明を受ける(オンライン)

    両殿下・眞子内親王・佳子内親王・悠仁親王 → 国際日本文化研究センター准教授から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

8月11日・・・皇嗣同妃両殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下 → 東京藝術大学学長から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

8月12日・・・皇嗣同妃両殿下,眞子内親王殿下,佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下 → 量子科学技術研究開発機構理事長から新型コロナについて説明を受ける(オンライン)

 熊本県知事に会った時、復興に携わる人にかけた言葉として「暑い中大変ですがお体をお大事に」だったとされています。でもその時「よろしくお願いします」と言ったとも。天皇がこの言葉を言うってどうなんでしょうね。

 クリーム色のスーツに白のマスクの雅子さん、日焼けしたように見えますけどね。元々色黒なんですよね。

 

 愛子内親王が中学の卒業文集で書いた作文を国連事務次官に見せた天皇皇后の真意 

長いタイトルになってしまったけど、つまりそういうことです。

国連事務次官から平和について色々と話を聞いたという天皇皇后。

この国連事務次官である中満さんという人はジェンダーフリー思想を持つ、バリキャリ左翼思想の持ち主です。

天皇皇后の進講や接見の人選をだれがやっているのかわかりませんが、個人的には「皇后の好み」が優先されているように思います。

中満さんが若者たちの被爆地での取り組みなどを話すと、両陛下が「若い人が引き継いでいってくれることが重要ですね」と話したそうです。

その「若い人」に自分の娘があたるんだぞ、すごいんだぞと言いたかったのか、突如、愛子内親王が卒業文集で書いた作文のコピーを渡したんだそうです。

中満氏は「ご一家で平和について話されている印象を受けた。仕事を続けるエネルギーになった」と答えています。

一言でいうと、みっともないですよね。

 公式の場で、大学一年の娘が中学の卒業文集に書いた作文のコピーを渡す

 オンライン授業を受けている現在ではなく、3年も前の作文を。

 公の場で私的なものを渡して「うちの子も平和活動をやっています」と言いたかったのか、「国連関係の公務をよろしく」と言ったのか。

どちらにせよ、前代未聞の言語道断な話です。

親バカというか、自分がバカな事にも気づかない馬鹿です。

では実際に愛子内親王が書いたとされる文章はどんなものだったのか。

卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。

雲一つない澄み渡った空がそこにあった。

家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。

なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。

このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

 原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。

まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。

ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。

写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。

平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。

これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。

平常心で見ることはできなかった。

そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。

命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。

私には想像もつかなかった。

 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。

これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。

オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。

私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。

私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。

これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。

この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。

原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。

間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。

「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 平和を願わない人はいない。

だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。

しかし、世界の平和の実現は容易ではない。

今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。

では、どうやって平和を実現したらよいだろうか。」

 当時から「卒業文集なのにどうして広島なのか」「本当に愛子内親王が書いたのか」と言われていた文です。

中学3年生にしては文体が古く、やたら文学的でそつがない。

でもまあ、何で冬の朝に考えた?とか、何で学校に急ぎ足なの?とか突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるのです。友納尚子の文章そっくりと言われています。

 そんなものを自慢げに中満氏に渡したということは、「ぜひ読んでね。うちの愛子は平和活動に積極的なの。戦争の事だっていくらでも知ってるのよ。もうすぐ20歳だから国連関連の公務をよろしく。宣伝もねと言っているようなもの。

 仕方ないから中満氏は上記のような優等生の答えを出したのだと思います。本当に恥ずかしい。普通の女子大生なら怒るけど、愛子内親王は平気なんだなと。この異常さを誰も気づかないとはね。

 さすがに産経ウイークリーでは「愛子さまの文章にも話が及んだ」程度になっています。

 

 タイ国王 ドイツから一時帰国 

久しぶりのタイ国王ですが、やってることが皇太子時代の今上夫妻みたいで。

 現在、タイ国王は王妃と共にドイツで暮らしている

 母のシリキット王太后の88歳の誕生日を祝う為に一時帰国

 空港から病院へ直行する時、近隣の住民に

 国王が通るときには窓のカーテンを閉め、姿を見てはならない

 周囲の交通網を封鎖

 洗濯ものを干してはいけない

 国王が(病院に)いる間はエレベーターを使ってはならない

と厳命。

ちなみにタイの滞在時間は24時間にも満たない・・・らしい。

このところ、タイは反政府デモと共に「王室廃止」を望む声が大きくなっているそうです。そりゃそうだろうなと思います。一年中、国にはいないでドイツでハーレム状態で生活している。税金はそっちに回されているんですから。

やっぱりエメラルド寺院にあるエメラルドの呪いでしょうかね・・・・

 

 

 

 

コメント (12)
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