「女一宮はどうしたものか」
ふとした拍子にお上が漏らされたので、后の宮は本を読む手を止めた。
「今、何かおっしゃいまして」
「女一宮だよ」
少々ご機嫌が悪いように見受けられる。
「少しも参内してこようとしない。東宮妃が来ないのはわかるがなぜ東宮が連れてこないのか。あの子は東宮妃に引っ張られすぎているのではないか」
「女一宮は大層な人見知りですし、いつもと違う所にいくと発作を起こしますから」
「だから療育をした方がいいだろうと思っている」
「そうですわね」
「槇の宮は利発で何にでも興味を示し、本当に可愛いことだ。「紀宮」(きのみや)はよく産んでくれたと思う。しかもすぐに公務に復帰してくれて。妃はあのようでないといけないね」
お上のいつもならぬ厳しい口調に后の宮は微笑みながら女官にお茶を命じた。
「東宮は不憫なのですからお責めにならないで」
后の宮はそこは断固としておっしゃった。
「病気の東宮妃とあのようない女一宮のことで毎日悩んでおります。でも公務はきちんとしております。ただ、東宮妃は心の病なので言葉にも注意が必要です。傷つきやすいので気を遣うのです。毎日、東宮はとても苦労しているのですわ。回りがもっと支えないといけない」
「あなたはお優しいことだ」
珍しく帝はご不快の様子をたたえたまま、部屋を出て行ってしまった。
「よろしいのですか」
お茶を運んで来た女官が恐る恐る声をかけた。
「いいのよ。お上だけでなく私だって本当は怒っているのだから。でも、今、それを口にしたら私達は「病気の嫁を虐める舅姑」になってしまう。それだけは避けなくては」
后の宮は温かいお茶を一口お飲みになった。
「本当に馬鹿な女。学歴がよいからと嫁にしたのが間違いだったわ」
その后の宮のものいいに女官は思わず震えあがって、早々に引っ込んでしまった。
(本当に馬鹿な女。けれど賢すぎる女よりはいい。扱いやすいの。「紀宮」(きのみや)のような優等生は皇室には要らないのだわ。もし、あの娘が皇后にでもなろうものなら、大昔の皇室典範を引っ張り出して、私にああだこうだと理を得に違いない。それは二宮も同じだもの。でも、東宮と東宮妃なら好き勝手やらせている間に、こちらの地盤固めは出来る。可哀想な女一宮を庇う慈愛の皇后は私よ)
后の宮はもう一度女官を呼んだ。
「女一宮の着袴の儀の装束は東宮に渡っているのでしょうね」
「はい。確かにお渡ししております・・・あの、東宮様からはお礼の言上は」
「そういう事に気を回せる人達だと思いますか?」
「まあ。それではあまりにも不敬では・・・」
「いいのよ。そんな事気にしていないわ。私はね、女一宮が無事に着袴の儀を終えることが出来ることを一番望んでいるのです」
「二宮さまの大姫さまや中姫様の時には先帝陛下の后の宮さまからは檜扇が下賜されました。今回も同じでございますか?」
「いいえ、健康を祈って張り子の犬にしましょう。これは健康と子孫繁栄を祈ったものなのよ」
「それはよろしゅうございますね」
「女一宮が皇室の伝統に沿って無事に着袴の儀を終えることを祈っているわ」
・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、当日の女一宮の姿は后の宮の想像を超えるものだった。
帝と后の宮が下賜した装束一式は女官達によって女一宮に着つけられていたが、本人がなかなかなじもうとしなかったのか、あるいは女官の手が悪かったのか、きっちりと着つけられたわけではなく、何となく布地をかぶせたような感じになっていたのだ。
これは「着道楽」の后の宮にとっては許せない出来事で、顔にこそお出しにならなかったものの、内心では怒りで一杯になってしまった。
ところが、事はそれだけではすまなかった。
テレビに映し出された参内する為に現れた東宮一家。
東宮はモーニングを着用していたが、東宮妃はローブ・モンタントではなく普通の絹のスーツだった。極めつけは女一宮の装束で、濃き色の上に、見たことのないピンクと黄色の袿を着ていたのだ。
これをテレビで見ていたお上もあまりにも驚かれ
「これは一体・・・誰がこのようなものを?」とおっしゃるのが精一杯だった。
后の宮もさすがに庇い立てすることが出来ず、茫然と見ていた。
画面の向こうで両親に手を取られて立つ女一宮の姿は異様すぎた。
ピンクとレモン色の取り合わせなど日本にはないもの。まるで・・異国の民族衣装のように見えたのだ。
一体誰がこんなものを?女一宮は下賜されたものとは別の袿を用意していたという事になるのか?
そして。
目の前に現れた女一宮は無表情で自分が何をしているのか、さっぱりわかっている様子はなかった。
それにつけても目立ちすぎるピンクとレモン色の袿。
思わず、皇后が「とても変わった色目の袿ね」と声をかけると、東宮がにこやかに
「コンクリート卿ご夫妻から頂きました」と答えたのである。
絶句した帝は、それ以上は何も言わず早く帰れとばかりに目を伏せる。
后の宮は「そう。コンクリート卿が・・・」と呟いたが、畳み込むように東宮妃は
「私の両親が選んだんです」と言い放った。
よくよく見れば皇室御用達の店であつらえたものではない。
安っぽい生地にありえない色目。コンクリート卿は京にコネクションはない筈。
どこか独自ルートでこの衣装を・・・まるで舞台衣装のようにあつらえたということか。
これはもう・・宮ではない。
そこは帝も后の宮も考えが一致した。
以後、女一宮は二度と「称号」で呼ばれることはなくなった。