いつかこんな事が起こると思っていました。
コロナ感染の都内の女性 自殺
今月、都内のマンションで女性が自殺しているのが発見された
女性は新型コロナに感染したあとも無症状だったので自宅療養中だった
メモには「自分のせいで回りに迷惑をかけてすまない」とあった
この「周りに」というのはご自分のお嬢さんのことだったらしいですね。
小池都知事は「大変残念なこと」と言ったらしいですが、こんな風に感染した人に罪悪感を植え付けているのは他ならぬ都知事であり、医師会であることを忘れてはいけません。
朝のワイドショーで芸人さんが持病持ちで新型コロナに感染して一時意識不明に陥った経緯を語っていましたが、その後、医師に「伝えて欲しいこと」として「他人に移す可能性が高いので意識を高く持ってほしい。すれ違った人に移したかもしれない・・くらい考えて欲しい」と言ったらしいです。
相変わらず都内の病院はコロナ患者を受け入れたがりません。
「地域の役割が」と言っているけど、本当はコロナ病棟を作るのが面倒で、万が一クラスターを起こしたら病院の名誉にかかわると思う、コロナは金にならないという理由です。
その代わり、声を大にして「国民の方々には他人に感染させるかもしれない」と、だから動くなとそればかり言います。こんなに感染者が増えているのは国民のせいときっぱり言っているのです。
生真面目な人程、「なぜ感染してしまったのか。なぜうつしてしまったのか」と悩み、いっそ、自分なんかいない方がいいと思うものです。そんな人に「心のケア」をどうのこうのと言う前に、高飛車で上から目線の医療従事者に「患者の選別をするな」と命令すべきです。
最初は「医療従事者の方々ありがとう。差別されて気の毒」と思っていた国民も、こうも上から目線で「国民が感染させない努力をすべき」と言い続け、挙句には「命の選択が必要」
「医療崩壊から医療壊滅状態です」などと堂々という医師会に怒りを覚えています。
医師会と医療従事者は違うと頭ではわかっている。
けれど、国民の見えない怒りは、まず医療従事者に向かうでしょう。
日本にはかつて「黄熱病」の研究に命をかけた野口英世という人がいました。
「医は仁術」とも言います。
でも実際はそうでないことも知っているし、大抵の医者は高飛車な態度をする事も知っています。
けれど、こうもあからさまに見せつけられ、結果、自殺者まで出したとあってはやはり、この責任は医師会にあると思わないといけないでしょう。
医学部での教育は、技術よりもまず「医とは何か」「なぜ君は医者になるのか」と思想教育からすべきです。
・救う命に大きいも小さいもない
・身を犠牲にしても命を救う使命がある
ということ。たとえ机上の空論でもまずこの思想を学ぶのとそうでないのとは、後の「医療従事者」としての生き方に違いが出る筈です。
日本は病院が多いけど、小さい病院が多くて「広く浅く」がモットー。
それゆえに緊急事態や有事に対処することがなかなか出来ない。融通がきかないのだそうです。
経営に直結する「命の選択」
される国民は病院を信用出来なくなります。
新型コロナ禍で病人をたらい回しにする医者たちを何とかしてほしいと思います。
そしてこれは「病気」であって犯罪ではない。
感染したら回復する権利は誰にでもあることをもっと強く訴えて欲しいです。