2010年3月16日
終了式は欠席し、その後のホームルームに出て帰宅する内親王に付き添う雅子妃
週刊朝日2010年3月26日号
「陛下も憂えた愛子さま欠席騒動 皇太子ご夫妻の正念場」
3月12日野村東宮大夫への質問が相次ぐ じっと黙って沈静化を計ろうとしているような大夫の態度。
そもそも事の発端は東宮大夫の記者会見。少し考えれば影響が広がることが分かった筈。
学習院は「いじめ」を否定。その上で「東宮にには失望を覚えた」
野村「直接暴力が云々ということについては(学習院と)食い違いがあった」
つまりきちんとウラをとっていなかった。
3月9日から雅子妃は愛子内親王に付き添い登校。毎日一時間教室で見守っている。
記者「殿下の性格としては穏便に事をおさめようとはおもわなかったのか?」
野村「殿下が帰国されてから判断を仰ぎたい」
「こういう話(いじめ)を両殿下の了解なしに私が発表するのは想定できない」
皇太子殿下は出発前日にあたる5日参内している。両陛下が東宮大夫に聞く前になぜ自分で話さなかったのか」
5日から皇太子のコメントはゼロ。
記者「両陛下が両者が傷つくことのないようにと発言したのに殿下が沈黙しているのはおかしいのでは」
「殿下に説明責任があるのでは」
野村「うーん・・・」
日刊スポーツ2010年3月17日
「愛子様終了式欠席後に登校」「雅子さま参観ホームルーム」
2010年3月17日 帰国後参内の皇太子
週刊新潮2010年3月25日号
「「学習院」と「雅子さま」の冷たい戦争・一人父兄参観を続けた雅子さま・東宮大夫会見に学習院の不信感」
▼「4時間目の児童」になった愛子さま「心の処方箋」▼自主退学の噂も囁かれた「乱暴少年」への大きな外圧▼「東宮大夫」の紛争調停能力に「疑問符」がついた▼両陛下が心配される東宮孤立と「雅子さま」のストレス▼「慶応」「早実」「田園調布雙葉」転校秘密プロジェクト▼新学年「クラス替え」特別配慮で危機を克服できるのか
週刊文春2010年3月25日号
「愛子様はご家庭で直して頂かないと」・学級崩壊学習院よ、何様のつもりだ」
愛子内親王が受けた暴力は首をしめられたり、突然後ろから後頭部をつかまれたこと・・・本当はそのまま下駄箱に頭を突っ込まれたことだ。
問題は乱暴な行為ではなく、愛子さまの敏感さにあると学習院は考えている。
愛子さまは恐怖から腹痛や吐き気を催していたのに、それでも「悪くない」というのか。
2010年3月18日 皇居で昼食会
皇太子夫妻のコメント
「愛子の様子に国民の皆さまにはご心配をおかけしており愛子のことをわたしたちも心を痛めております」
「天皇皇后両陛下をはじめ、皆さまから愛子に様々な配慮を頂いていることを心からありがたいと思っています」
2010年3月24日 奥志賀静養
2010年 3月30日 帰京
国民のほとんどは忘れていることだろうと思います。
ある日突如、東宮大夫が定例記者会見で「愛子様が暴力を受けて休んでいる」と発表。
それから犯人捜しが始まったり、全ての責任を学習院に押し付けるなどひどい状態が1年以上も続いたのです。
そもそも国民に対して制裁を加えるような皇太子・皇太子妃が天皇皇后になってしまった事には私達国民は大きな失望を感じなければなりませんし、当時の天皇皇后が一切何もしなかった事にも失望しなくてはなりません。
イジメの本人とされた生徒はその後、転校したとか、それすら許されなかったとか様々な憶測が飛び交います。
愛子内親王には常時10人以上のSPがついており、どうやって子供が暴力を振るうことが出来たのか?と冷静に感じた人達も多かったけど、それも抹殺されました。
東宮大夫は「愛子さまが怖いと言ったら怖いんだ」と学習院に言ったそうです。
そしていきなり終了式は出ずにHRに出てなぜか笑顔弾けている親子。
これはいわゆるこれから先の「不登校」に対する対処が出来た喜びなのでしょうか。
そして奥志賀でもにこにこ手を振ることが出来る・・・
今上、時の皇太子は自分の娘に何があったかなんて冷静に考えることなく、芸能人のように「ご心配頂き・・(誰も心配してないよ)」「ありがたい」の言葉で、一人の少年がこれによって社会からはじき出されたかもしれないことは無視。
つまり、天皇皇后というのはここまでエゴイストでしかも冷たい二人なのです。
即位してからそういうものが顔に現れるようになり、少しも晴れやかな気持ちにならない。
気軽に「感染拡大」と何度も言った天皇により、今とうとう感染爆発です。
「天皇」とは日本人にとってどんなに愚鈍でも受け入れなくてはならない存在だといいます。しかし、こんな愚挙が許され、そんな内親王は不登校のまま大学生ですからね。