ご日程
両陛下
3月5日・・・天皇陛下 → 通常業務
3月9日・・・天皇陛下 → 通常業務
離任大使と会う
3月10日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式
3月11日・・・両陛下 → 東日本大震災追悼式
皇嗣家
3月9日・・・妃殿下 → 恩賜財団母子愛育会理事長から愛育班の活動について報告を受ける
悠仁殿下 第12回北九州市子どもノンフィクション文学賞で佳作
タイトルは「小笠原諸島を訪ねて」原稿用紙19枚
夏休みの宿題でそこに提示されたコンクールの中から選んで応募
20日が表彰式で悠仁殿下もオンラインで出席予定
おめでとうございます!!いやーー嬉しいです。お母さまと辿った小笠原諸島の思い出をつづられたのですね。
殿下は理系と思っていたけど文学的素養もおありになる。文章力をこれからも鍛えてどんどん論文などを発表して下さいませ。
天皇陛下 東日本大震災のスピーチ全文
東日本大震災から10年が経ちました。ここに皆さんと共に、震災によって亡くなられた方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
10年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す方が亡くなり、行方不明となりました。
また、この地震に伴う津波や原子力発電所の事故により、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。この震災の被害の大きさは、忘れることのできない記憶として、今なお脳裏から離れることはありません。
あれから10年、数多くの被災者が、想像を絶する大きな被害を受けながらも、共に助け合いながら、幾多の困難を乗り越えてきました。
また、国や全国の地方自治体、160を超える国・地域や多数の国際機関、大勢のボランティアなど、国内外の多くの人々が様々な形で支援に力を尽くしてきました。
私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています。
これまで復興に向けて歩んできた多くの人々の尽力とたゆみない努力に深く敬意を表します。
一方で、被災地ではまだ様々な課題が残っていると思います。復興が進む中に
あっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。
家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。
また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています。
高齢者や子供たちを含め、被災された方々の心の傷を癒やし、心身の健康を見守っていくことも大切であると感じます。
今後、困難な状況にある人々が、誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように、復興の歩みが着実に実を結んでいくよう、これからも私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います。
先月にはマグニチュード7を超える地震が福島県沖で発生しました。
被災された皆さんに心からのお見舞いを申し上げます。
この地震は東日本大震災の余震と考えられており、このことからも、震災を過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして捉えていく必要があると感じます。
我が国の歴史を振り返ると、巨大な自然災害は何度も発生しています。過去の災害に遭遇した人々が、その都度、後世の私たちに残した貴重な記録も各地に残されています。
この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も、今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと、そして災害の経験と教訓を忘れず、常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。そ
して、その教訓がいかされ、災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。
今なお様々な困難を背負いながらも、その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
無駄に長い文章は、「これだけ勉強しました」という為の引用に他ならないと思っています。
私も皇后と共に・・・なぜこのセリフを2回も入れたのか不思議です。
震災当時、なかなか避難所にいかなかったこと、2011年は愛子内親王の付き添いばかりで全然被災地に目が向かなかった妻を擁護しているのでしょうか?
津波の映像に「おおーーっ!」といいつつ、もう一回みたいと言った天皇皇后。11日はさぞや沢山の津波映像を見ることが出来て満足だったのではないでしょうか。
許せないのは赤字の部分が、2019年の秋篠宮殿下の文章の丸ぱくりであったことです。自分の文章は「皇后と共に」だけだったんじゃないの?
メーガン問題はイギリスVSアメリカの再来
この顔!「生まれてくる子供の肌の色がどれくらい濃いか・・・」の部分。「本当にそんなことあったの?」と言われて沈黙。
バーネットの小説「小公子」は、セドリックのお父さんがアメリカ人の女性と結婚し、家を勘当されてアメリカで暮らしていました。父は亡くなり貧しい生活をしている所におじい様から連絡がきてセドリックとその母はイギリス貴族の中に入るのです。
でもセドリックはおじいさまが全然母に会おうとしない事に心を痛めるのです。
やがてセドリックの貴族的なノブレスオブリージュの精神が実は母からの教育のたまものであることを知った伯爵はラストは仲良くなり大団円です。
アメリカはイギリスから独立した国です。
イギリス人はアメリカ人の英語が嫌い。
同じ民族なのに、アメリカとイギリスになった途端、価値観がまるっきり変わってしまいました。でもそれが個性だからいいんじゃないかと思ってます。
でも、アメリカが「自己の正当性を主張する」ことだけが正しいと思い込んでいるなら。それは中国と同じです。
メーガンがやらかしたことは、王室の人達を不幸にするし、反省の一つもない。
そもそも「子供の肌が・・・」は結婚する以前に聞いた話で、しかもメーガンが直接聞いたのではなくハリーからのまた聞きであるということ。それをさも自分が聞きました風に言っていいのでしょうか?
おかげでケンブリッジ公爵はマスコミに「あなたは人種差別主義者ですか」なんて質問される始末です。
殊更に「黒い肌」に拘っているのはサセックスの方で、本来はどうでもいいことなのではありませんか?
そこまでして金を持ちたい、政治の世界に入りたいメーガンの野望を応援する必要なんてないと思います。
これが最新のハリーとメーガンの写真。
毎回、どうして白黒写真なのかと。
自分の肌が黒いことを気にしているんじゃないの?と。
最初からおかしなメーガンですよ。