1963年3月4日 美智子妃懐妊発表。同22日流産。その後3ヶ月の静養生活に入る
1963年 病院に見舞いにいく皇太子
週刊平凡 1963年5月30日号
「ナルちゃんお見舞いに・・・」
1963年7月8日 軽井沢静養に向かう皇太子一家
1963年4月17日→ 葉山静養
7月2日→一旦帰京
7月8日→ 軽井沢静養
8月6日 → ガールスカウトのキャンプファイヤーに参加
前日より軽井沢プリンスホテル → 野尻湖ホテルに夫妻で宿泊
1963年9月 山口国体の為福岡空港に到着
1963年9月 山口県庁のバルコニーから挨拶をする皇太子夫妻
1963年9月 山口国体開会式出席
徳山市の鼓ヶ浦製肢学園を訪問
光市の武田薬品工場で顕微鏡をのぞく
光市で急行列車の到着を待つ
岩国の錦帯橋を渡る
1963年10月20日 29歳の誕生日
1963年10月23日 皇太子の発案で2泊3日の奥日光旅行
1963年10月 浩宮が通う学習院幼稚園を視察
週刊少女フレンド創刊1963年12月1日号
「世界の王女さまとナルちゃんがいっぱい」
1963年11月2日 上野動物園を訪れた浩宮と美智子妃
1963年11月26日 聖イグナチオ教会でケネディ大統領追悼ミサに参加
1963年12月20日 皇太子30歳の誕生日用に撮影された写真
1963年12月 翌年オープン予定のこどもの国を視察
1963年12月 デンマークのマレクレーテ王女と歌舞伎座へ
1963年12月 母校・聖心のクリスマスキャロルに参加
1963年 浩宮と共に正田家に里帰り
流産した年、様々なバッシングを受けた美智子妃は半年にも及ぶ静養生活を送ります。その優雅なことといったら・・・と思ってしまうのは時代が違うからでしょうね。
復活した美智子妃はカメラに自分がどう写っているかをより意識するようになり、今ような表情になっています。
自分を「女優」と仮定したということは、「自分の美しさ」に目ざめ、これを利用すれば国民を味方につけられると思ったのかなと。
伏目がちや、どこを見ているのかわからない表情をしてみたり。
子供といる時ですらそんな感じで、ひたすら自分がどう写っているかなんですよね。
「美智子さま、お元気になってよかった・・・でもまだおつらそう」とか、そんな同情を引いたことでしょう。
それにしても、雑誌の付録が「ナルちゃんの部屋」っていうのも。
いわゆる浩宮には「皇孫殿下」という威厳は一つもなかったって事ですね。