ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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マスコミが隠す愛子内親王の20年 4

2021-12-07 07:00:00 | 皇室報道

 2006年8月17~31日 オランダ静養

 ずっと無表情だった内親王が突然笑い出し、東宮夫妻もほっ。でも足くねくねは治らない。

               ↓

 

 2006年9月10日 大相撲鑑賞

 2006年9月11日 愛育病院に悠仁親王を見舞いに行く

確か・・・「ヤメロヨー」と叫んでいたらしいですね。

 

 2006年10月8日 学習院幼稚園運動会

 2006年10月20日 皇后誕生日行事を愛子内親王ドタキャン

東宮大夫 「当日は皇太子殿下と愛子様がいらっしゃる」

しかし、当日になってドタキャン。理由を尋ねると東宮大夫は答えるのに2時間かかり、

幼稚園のお疲れが出た」と言った。しかし、当日、愛子内親王は元気に幼稚園に行っていた。

 

 2006年11月7日 着袴の儀 習礼

あまりお辞儀が出来ていなかった。

 

 2006年11月11日 本番・・・の写真はなし

皇族方の着袴の儀の装束をあつらえるのは高田装束研究所という所。

ここのHPでは2006年以前までは佳子内親王の着袴の儀の装束を調達した事が記されていました。しかし、突如浩宮までの部分が削除されてしまったそうです。

なぜなのか・・・・

ちなみに画像は別撮りの習礼と呼ばれるもの。濃い紫の袴と袿が両陛下から賜ったもの。しかし、日本人が今まで見た事のない色合わせの「道中着」が現れ・・・

ピンクと黄色は「古代色」にはありません。

化学繊維で染めたのではないか?と思われています。要は雅子妃はこの配色が好きでどうしても着せたかったと。

また、着袴の儀では髪を整えてはいけないしきたりがありましたが無視。

そして賢所への拝礼もあったかどうかさだかではありません。

悠仁親王の着袴の儀では女性全員着物でした。洋装ならモンタントの筈ですが雅子妃はスーツでごまかし。

紀宮は香淳皇后より「檜扇」を賜り、眞子・佳子内親王は皇后から「檜扇」を賜りましたが、愛子内親王の時はなぜか「犬張り子」

そしてこの時より、天皇皇后が「敬宮」と呼ばなくなったのでした。

「敬宮」という称号はもう忘れ去られていますよね。

また、この時発表された優秀伝説は

 補助輪の自転車に乗れる

 「せっしゃ」「わらわ」という言葉を使う

 自分のバッグにローマ字で刺繍した

 乗馬が出来る

 

 2006年12月1日 内親王5歳

 2006年12月24日 新年の写真を撮る日。またも福迫出仕を連れて来た東宮家に天皇は「もうしょうがないね」とため息。

 2007年2月23日 皇太子誕生日

 2007年3月16日 奥志賀スキーへ

 2007年4月6日 突如奥志賀スキー映像が発表される

黄色のウェアを着ているのが内親王・・・とされているが、実際は奥のピンクのウェアを着てフラフープ指導を受けているのが内親王ではないかと言われています。

 

 2007年4月7日 ちいばすに乗る

 

突如、一般人に混じってバスに乗って見た・・・連続してこれらの映像を流した背景には眞子・佳子内親王のダブル入学式の報道を遮る為と言われています。

 

 2007年4月15日 オール学習院

週刊誌には「初ステージデビュー」と書かれました。

 

 

 

 

 

コメント (9)
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