「不適切にもほどがある」を毎回、楽しんで爆笑しながら見ているのですが、評価は真っ二つだそうですね。
昭和世代には懐かしく、そして「うんうん」と頷きながら見るドラマが、平成生まれには「どこが笑いのツボかわからない」
そーなのね~~これが時代のギャップってやつよね。
6回目は「昔話しちゃいけないですか」というタイトル。
すでに、小川市郎と娘の純子は阪神大震災で亡くなっている事がわかり、市郎はつらくてしょうがないし、娘にそれを伝えられない。
その気持ち、本当にわかりますよね。
「未来が素晴らしいんだよ」って言えたらいい。でも震災にテロ、平成の日本は次から次へと地震がやってきて、令和には疫病が流行り・・・
今の私達がなぜ生きているのかわからない時もある。
世代としては純子よりちょい上だけど、もし、未来が今なら生きたいと思わなかっただろうし、死んでしまう事など知りたくない。
昭和の純子が、令和に来て、昭和をばかにする番組に怒りだすシーンは本当にすっきりしたし、その後、なぜか涙が止まらなくなってね。
平成・令和にとって「昭和」とは、「ありえない」「理解できない」一方でレトロチックという矛盾した評価を貰っているようです。
だけど、昭和世代が共感して笑って何が悪いのか?
「三原じゅん子は?」「国会議員になった」
「マッチは」「色々あってレーサーになった」
これだけでも笑えてしまう。確かに国会の三原じゅん子議員を見ると、私などは「金八」の山田麗子のイメージになるけど、そういう事を「知らなかった」と驚き、そこで調べてみるという賢さをどうして発揮してくれないかなと。
あの頃、流行っていた大映ドラマ。
大げさでミステリアスで舞台ちっくな脚本だったけど、楽しめた。
その大映がなくなってしまうなんてね。
松村雄基がめちゃ年取って丸くなったなあと懐かしんで何が悪いのさ。
知らない話を聞くというのは大きな財産なんだよ。
私は両親から戦前の楽しかった話ばかり聞かされていました。
両親が好きな音楽とか俳優の話も。その時は興味がなくても20年後くらいにめちゃ興味が出てきて、「そうだったのか」と思う事も多々あります。
我が家の姫など「半ドン」がわからず。
でも「なに?半ドンて。わかんなくていいや」だもんね。
こっちこそ、半ドン知らんのか?と、それくらい知らなくても知ってなさいよ。って言いたくなるのよね。
こういう事をいうと、ついNHKで放送された山田太一脚本の「男たちの旅路」を思いだします。
あの頃、鶴田浩二の設定は「戦争経験者。特攻隊上がり」で、部下は新人で生意気で言い返す水谷豊。
(右京さんにも若い時はあった)
一々鶴田さんの言葉に「古い~~」って言ってた雰囲気。
今も昔も変わらないんだとは思う。
でも、だからって昭和を馬鹿にする事だけはやめて欲しいと思います。
昭和といってもこんな風に分けられると思います。
昭和元年~昭和18年まで・・・洋装、断髪、エログロナンセンスの残り、ロマンチックな映画が作られたり、満州や南方への憧れがあたり。
昭和18年~昭和30年くらいまで・・・普通の生活が奪われ、食べるものがなくなり、身分制度もなくなり、GHQに占領され、あっという間にアメリカ好きになった時代。
昭和30年~昭和50年代・・・「もはや戦後ではない」戦争知らずの子供、学歴偏重主義、一方で反日が闊歩してた。高度成長で、街の姿があっという間に変わり、テレビに洗濯機など、どんどん発展していく
昭和50年代~昭和64年・・・高度経済成長期は終わったものの、今度は日本のモノ作りが世界を席巻。円高も手伝ってバブル時代に突入。貧しい時代に育った親は子供を甘やかし、勉強ばかりさせ、女性も社会進出と言われた時代で、この頃から少子化に。
昭和は長いんです。64年間に繁栄→どん底→繁栄とぼんぼん世の中が変わって来たのです。
純子が生まれた世代は、学校の先生から「日の丸」君が代」への違和感を叩きこまれ、「日本は悪い国だった」と教えられたのです。
まだ、僅かに残っていた戦争経験者からは「もう二度と戦争はしないで」「平和になって」「基本的人権の尊重」と教わって、「戦争はいけない」とばかり認識して、相手から攻められる事を一切考えないお花畑が出来上がったんですよね。
市郎世代に残っていた「昭和天皇への尊敬」これが純子世代は消えます。
昭和をひとくくりにせず、色々学んでみて欲しいですね。