2000年11月19日 妹・礼子氏、池田祐久氏と結婚
2000年12月7日 誕生日記者会見
「最近では地球環境に対する関心も高まっており私達の地球をこれからどう守り、どのように次の世代に引き継いでいくかという事について地球規模で真剣な討議がなされていると思います」
雅子様は誕生日でそのようにおっしゃったのですが、記者会はその意味がさっぱりわかりませんでした。いつも壮大に語る雅子様について「俺達凡人にはわからないよな」と思うばかりでした。
2000年12月9日 37歳の誕生日
2001年1月1日 新年祝賀の儀
2001年1月2日 一般参賀
2001年2月19日 長野冬季国体飯山ジャンプ場で
そのままスキーを楽しむ
2001年3月26日 ノエウェー王国ハラール国王夫妻来日
宮中晩さん会
答礼レセプション
堤医師には至上命題が下されていました。
それは、雅子様を懐妊に導くこと、そして何が何でも男子を誕生させる事です。
海外の意地悪な新聞などは皇太子様を「死んだパンツ」などと揶揄したりという事があり、お子様に恵まれない皇太子夫妻の立場はますます孤立していきました。
3月に堤医師は正式に宮内庁御用掛けに就任。
いよいよ不妊治療、顕微授精も山場を迎えていたのです。
今回は自信がありました。男女産み分けという神への領域への挑戦を医師は堂々と果たそうとしていたのです。
堤医師は東大の医学部教授として日本中の不妊女性の期待の星となっていました。
全国から堤医師の診察を受けようと悩む女性達が押しかけてきます。
しかし、それらを少し後ろに回しても天皇家の世継ぎを産ませるという仕事は極めて重要であり、これが成功すれば堤医師の名声もさらに高まるだろうと思われたのです。
そしてその日はやってきました。
2001年4月6日 雅子様ご懐妊正式発表
何と嬉しい日でしょう。ついに雅子様がご懐妊になったのです。
今回は宮内庁を飛ばしてスクープするマスコミはなく、宮内庁が正式発表しました。
小和田邸には人が集まり、今度こ雅子様の父君は嬉しそうに笑いました。
待ちわびていたその日はやってきました。
あとはぜひ親王殿下が生まれる日を待つだけです。
この日ばかりは雅子様も幸せな気持ちで一杯でした。
やっと・・・やっとこれで見下される事もないのだ。
役割を果たせるのだわ・・・・と。
アジアの歴史では昔から韓国人が王妃になると、国や組織の中枢に自分の利益の為しか考えない無能な半島人が占めるようになり、帝国も王国も崩壊する。
世界最強の帝国だったモンゴル帝国は半島出身の貢女(女奴隷)が皇后になった結果、滅亡していった。今や日本がそうなろうとしている。
在日の南果歩ですが、渡辺謙に豪邸を建てさせ親族を呼び込んだ噂がありましたっけ。
辻仁成との離婚もこんな事由だったとか。
皇居で同様なことになっているらしいですね。
恫喝が得意技の小和田の爺が他国にいればともかく乗り込まれ住みつかれてはナル天のストレスは極限までいってるかもしれません。
目つきの悪い食い意地のはった妃を世界で一番嫌っているのは夫かもしれませんね。
インドネシア行きが嬉しいのはさもしい嫁一族から離れていられるせいかも。
このまま亡命したいかも、とか。
一人公務は案外「ひとりになりたい」から切望したものかも、と「かも」の大安売りしてしまいました。
夫婦仲を保とうとしてもアレがアレですから砂上の楼閣、何一つむくわれないでしょうに。
香淳皇后の折も、雅子さんの御実家のなさりようは記事中でも不遜であると書かれていましたね。今藤原のようとも。
美智子さんのお父さんとの比較もされていたように思います。