私、高校野球には全く興味ありませんで。
夏になるとテレビに映る暑苦しい球児達に「夏真っ盛りだよなあ」と思う程度でございました。
しかし、仙台育英が「8強」に入ったあたりからうちの旦那が騒ぎ出して。
準決勝では福島と対決・・・「東北同士でつぶし合いをさせるなんてっ」とぷんぷんしていたのでございます。
もし、ここで福島が勝っていたら、決勝は間違いなく「リアル戊辰戦争」になっていたと思うのですが、仙台が勝ったので「奥羽列藩同盟」VS「長州」になったのでございます。
いやいや、私達東北に住む者(今は住んでいないけど)甲子園って長い間「南の方」の試合で、東北勢は「参加する事に意義がある」的な感じで見てたんですよ。
仙台から甲子園に出るって言ったら仙台育英か東北高校くらいなもので、この2校がせめぎ合い、何回戦まで行けるかな~~~って考える感じです。
実は今から35年くらい前に、一度だけ仙台育英が決勝まで残った時がありました。
私の勤務先の上司が仙台だったので、その日はラジオ聞きながらみたいな感じ。
私は営業で外に出ていて、タクシーの中で負けを聞いたのですが、職場に戻ったら上司が目を真っ赤にしておりまして。私ももらい泣きしたんです。
ホントに優勝旗が「白河の関」を超えることがどんなに大変で、そして悲願だった事か。
対戦相手が山口というのも因縁めいておりまして。
天誅からす組っ!・・・いやいや。
とにかくおめでとうございます。
この先、あるかどうかわかりませんけど、今は素直に勝利を祝いたい。
両者ともよく頑張りました。
コロナ禍で不安も募ったでしょうし。新幹線とはいえ関西への道は遠かったね。
ゆっくり休んで勝利の美酒に酔って下さい。
仙台の皆さま、本当におめでとうございます。
優勝したその瞬間から仙台駅に人が集まり始めたそうで、号外が多分配られるだろうとの読みでしたが、駅の反対側で配ったので人がぞろぞろ移動して夕方はそうでなくても混むのにゴチャゴチャに成りました。テレビでは太田幸司さんまでインタビュー(準優勝の三沢高校の投手、その後プロに)に出ていて懐かしかったです。
高校野球の甲子園は色々批判も有るけど、地元ですら地方予選の準決勝決勝と三試合は放映するので、否応無く盛り上がります。
夫は「どうせ宮城の子なんていないんだろう」と冷めていたので調べたら、ベンチ入り18人の半数は宮城の中学、7人は東北地方(青森とか)2人が広島と大阪でした。ほぼ東北ということでいいですよね。
一方の下関国際は山口県出身は1人。福岡が多かったです。こちらの方が「長州」ではないかも。
仙台駅の号外配りが大変な人だったそうですね。みなさん待っていたんでしょうね。おめでとうございます。
(選手の中に 私の街出身者もいたそうで・・)
優勝決定後、仙台駅で号外が配られた・・は想像の内でしたが
決勝戦を「白河の関」で見守った人達が結構な数いたのに\(◎o◎)/!
(おそらくは33度前後の気温で高齢者率高し)
そして監督さんが仰った「コロナの影響で色々青春?できなくても頑張った
全国の高校生に拍手してあげて下さい!」が心に染みました。
入場行進も各校一人しか出来なかった中
熱戦を繰り広げてくれた~選手ひとりひとりがヒーローですね。
仙台育英高校の皆さま、宮城県にご縁のある方々、おめでとうございます。
東北の高校の活躍と言えば、4年前の秋田県立金足農業高校の決勝進出が懐かしいです。全員が秋田県の生徒で、校歌斉唱のときの、海老ぞりのような絶唱(笑)久々に身をいれて応援したものです。
今回も実は「東北の学校は、よくて準優勝かな?」と思っていました。他の五つの県も、来年以降頑張って欲しいです。
全ての高校球児たちにお礼を言いたいというコメントも素敵でした。
ところで、女子の高校野球の全国大会は、去年サプライズで甲子園で決勝戦が行われました。
今年もだそうです。それは良いのですが、男女平等厨が「差別だ!」などと騒いだらすべてぶち壊しですね。せっかくの粋なはからいなのに。
当の本人たちは、「甲子園は男子の会場。私たちは甲子園に出たいなど望んでいませんでした。」と言っていました。
当の本人たちが割り切っていることを、部外者のイデオロギーモンスターたちが騒ぐのは、本人たちに気の毒だとおもいました。
最近は超有名校の優勝ばかりで辟易していました。地元出身者ではなく全国から集まった合同チームにまた有名な監督の戦いは、果たして高校野球と言えるのか、いま一度、見直してみるべきではないでしょうか。
久しぶりに高校野球と言えたような気がします。
大阪桐蔭高校や近江高校に勝った下関国際高校に
勝ったのだから本当に日本一の強さですね。
負けて泣いてる選手達に「下を向くな!」と言っていた
下関国際高校の監督の言葉も良いなと思いました。
太田幸司さんのお嬢さんは現役のタカラジェンヌです。
7年前は神奈川県の東海大相模。
山口県の記憶はないです。
白河の関を越えるのは仙台育英と信じて33年。
ようやく悲願が叶いました。