1964年10月10日 東京五輪開会式
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柔道無差別級をオランダのベアトリクス王女と観戦
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表彰式で立ち上がって拍手
1964年10月26日 閉会式
女性自身1964年11月2日号
「アベベが勝った」
1964年10月30日 学習院幼稚園芋ほり遠足
1964年10月園遊会
1964年11月 パラリンピック東京レセプション
1964年11月8日 障害者スポーツ大会開会式
アーチェリーを観戦する皇后陛下と皇太子夫妻
1964年12月14日~21日 タイ訪問
1964年12月15日 国王主催の晩さん会
1964年12月17日 粕谷孝夫日本大使公邸訪問
総天然色皇太子ご夫妻タイ国の旅
1964年12月21日 風船を沢山持って夜までお迎えで待っていた浩宮
まさに東京五輪で「天皇一家」として愛子内親王を真ん中に・・・という写真を撮りたかったんだろうなと思います。
なんせあのナルちゃんがちゃんと出来た事ですしね。
東京五輪の開会式では薄手の夏物みたいな服を着ていたのに、わずか
3週間で毛皮をお召しとは・・・暑くなかったのかな。
でもまあ、目立つことが最大限の目的と思えばしょうがない。
タイから帰国の時に風船を用意したのは誰なんでしょうね?
何の為の演出だったんでしょう?
ナルちゃんより美智子妃の方が嬉しそうですけど・・・・
20代の頃から後ろ髪がかつらを被っていたようですがそんなに髪が薄かったのか。
この髪型が永遠に続くわけですからね。
今日も初めて拝見する写真も沢山有り、楽しませて頂きました。
まあまあ本当にお綺麗です。首回りの毛皮もレフ板効果のように、お肌をより白く美しく見せてます。いやはやお見事。
こんなんで、貧しき民に心を寄せるって…(笑)
でもこの時は地上に降りた女神って言うか、鶏群の一鶴と言うか、オーラピッカピッカで憧れでした…。
本当に沢山の資料見せて頂き有り難うございます。
子どもの頃、親戚のオバサンもやっていたような気がします。
ふぶき様、貴重な色々なお写真を見せて頂きありがとうございます。
歴史を感じます。
美智子さんの人生を見てると、やっぱり因果応報というものはあるのかなって思わせてくれる、ある意味ありがたい存在です。
皇太后様を虐めた報いや皇室を滅茶苦茶にした報いが、今来てますね。
どんどん晩節を汚すがいいです。
人生は良いことも悪いことも同じくらいあるんだから、今後も正直に誠実に生きていけたら良いなと思います。
あこがれの対象になるか、暴動が起きてつるし上げられるかは紙一重ではないかと思いました。
敗戦を経験した国民は、戦前と違うことに意義があると思っていたのですね、皇室も思想も。
内々では実像をご存知の方もおり、苦々しく思われていたかたも相当数いらっしゃったようですが、すぐに皇太孫をお産みになり国民の支持もあり、何をしても許される、昭和天皇でさえ許さざるを得ない状況が、もともと強気で自我を通されるこの方を、さらに傲慢にしたのでしょう。
美智子様の髪型、薄いと言うより、絶壁隠しですね。
確かに当時はボリュームを出して結い上げる髪型が流行っていたのですが(母や叔母の写真にもありました)、美智子様はボリュームがすごいですね。
絶壁に相当のコンプレックスがおありとウワサが…聞いた話です。
残念なのは、この昭和30年代という時代の雰囲気をなかなかお伝えすることが難しいということ。
昭和30年代
日本人の暮らしは貧しくはありましたが、心は今よりもはるかに豊かでした。
「もはや戦後ではない」と言われ、高度経済成長期に入り、映画の中であこがれて見ていた外国の電化製品が、どんどん家庭に入ってきました。
三丁目の夕日の映画で、自宅にテレビが来た日の興奮、あの頃の方にしかおわかりにならないでしょうが、すごいものでしたよ。
心が豊かであれば、心もおおらかにもなります。そして慶事に対しては本当に皆が嬉しくなりました。
そのころの、美智子様は大女優でした。
現代もディズニーランドがお好きな方が多いでしょうが、皇族とは夢の国の住人であり、それを身近に体現してくれたのが美智子様だったのです。
後年、憧れの色は褪せ、なぁんだ、こんなだったのかと幻滅度が増していくのは我ながら残念ですが、夢の中にいる時代というのは、全てが輝いて見えたものです。この当時、美智子様のことを悪く思う「庶民」は、左系の方以外はいなかったと思います。皆が幸せに酔っていた時代でした。