週刊明星 1969年12月28日号
「寒い冬の朝靖国神社にご参拝の皇太子ご夫妻と浩宮さま」
1970年 天皇ご一家
1970年2月13日 マレーシア・シンガポール訪問の記者会見をする
1970年2月 マレーシア・シンガポール訪問へ旅立つ皇太子夫妻を見送る礼宮
1970年2月 マレーシア・シンガポール訪問
1970年2月20日 マレーシア王宮にて晩さん会
1970年2月 10歳の浩宮の誕生日を前に粘土遊びをする兄弟
1970年3月 苗場スキー場で
1970年3月14日 大阪万博開会式に出席
1970年3月 千葉県白浜にて
行川アイランド1泊旅行の皇太子夫妻と礼宮
1970年4月11日 学習院幼稚園入園の礼宮と皇太子夫妻
1970年4月13日 チャールズ皇太子来日
1970年4月17日 オランダベアトリクス王女夫妻来日
1970年4月18日 満1歳を迎えた紀宮と皇太子一家
大阪万博を見学する浩宮と礼宮
1970年5月25日 学習院幼稚園遠足
週刊平凡 1970年6月11日号表紙
1970年7月24日 静岡県浜名湖静養
海水浴に同行しているのは鷹司和子さん
地元の児童から蛍の籠をプレゼントされる浩宮と礼宮
週刊女性 1970年8月22日号
「にわかに騒がしくなった皇太子摂政説を追って天皇ご後位?皇太子が新しい時代を?」
1970年8月31日 軽井沢静養の帰り
美智子様が清子様を片手でお抱きになって怖い写真もありますね。
鷹司和子様も笑顔で良かったです。
こんなに子供らしくて可愛い、皇族の幼少期はないと思います。笑顔や仕草が思わず微笑んでしまいます。福眼です。
写真を見ると、美智子さまは礼宮さまを可愛がっているんですね。
その秋篠宮さまが憂いを含んで、悩まれている。結婚する事に我が子が命を懸けていて、生きる証だと言われたら、親は結婚の阻止は躊躇しますよ。破談について決断出来ませんよ。
言いたくありませんが、眞子さまは親不孝です(言い過ぎですが)
美智子様もそれは同じだったと思います。
ただ、母親としての愛情はそれとして、いくらお小さい頃といっても、礼宮様ばかりお側におく昭和天皇と香淳様に(他にもたくさんお写真がありますね)対し、モヤモヤするものがあったとしても不思議ではありません。
これでは、昭和天皇は礼宮を第一に可愛がってると世間に知らしめ、皇太孫である浩宮をないがしろにされていると内心考えても不思議はないでしょう。
どの子どももかわいいけれど、美智子様にとって一番大事なのは皇太孫である浩宮です。
物事がわかるようになって、同じ兄弟でも浩宮の立場と違うことを強く教えられ、感じ、常に控えるようになって、今の秋篠宮様があるのかと思うと…
私たち庶民からすると、産児制限やら雅子様のワガママ気ままが許されるということなど、おかしいと思うことがまかり通る、すべてそこには身位の壁があるということなのでしょうか。
今や上皇となった方の「裁可」は、私たちが考えるより、遥かに重いものかも知れません。
特に秋篠宮様にとって。
>「にわかに騒がしくなった皇太子摂政説を追って天皇ご後位?皇太子が新しい時代を?」
には、びっくりしました。
単なる噂で終わったのでしょうけれど、当時1901年生まれの昭和天皇は69歳、まだまだお元気で翌1971年にヨーロッパ、75年にアメリカをご夫妻で訪問してらっしゃいます。
いったい何があったのでしょう?
ご存じの方がいらしたら教えてくださいませ。
話は変わりますが、マレーシアの晩餐会での美智子妃のドレスは見るたびヒヤヒヤします。ずり落ちそうだし、イスラム教国家であんなに肌を見せていいものか(?)と。
マレーシアの女性王族は長袖、襟元のあまりあいていないドレスです。
庶民でも外国へ行くときは行く先の習慣を調べます。タイでは子どもの頭を撫でてはいけないとか、イスラム教国家では左手でものを渡してはいけないとか、、、。
当時から宮内庁はあまり役に立っていなかったのか、妃が誰のいうことも聞かなかったのか、、、?
最近ハリ‐王子とメーガンさんは産休で少し静かだったんですが、またまた昨日ぐらいから、ネットではバトル状態の情報が出てきました。もしダイアナさんと結婚しなかったら、平和だったのかもしれません。
この頃のアーヤは本当に可愛いですね。昭和天皇も普通のお祖父様のように可愛がられて微笑ましい。長男はいずれ天皇という事もあり、接し方が違ったのでしょうか。
華子様お綺麗で皆様和やかで、これらの写真からはギスギスした感じは全く感じられませんが、美智子様この頃から窶れていかれますね。
鷹司和子様ともこをなに和やかな時を過ごされていたのですね。
それにしても、こんなに正確な時系列で資料や沢山の写真をまとめられ、ふぶき様には感心するばかりです。また楽しみにしています。