ご日程
両陛下
6月30日・・・天皇陛下 → 大祓の儀
7月1日・・・天皇陛下 → 旬祭
7月3日・・・両陛下 → 日本芸術院授賞式
人事異動者に会釈
7月4日・・・天皇陛下 → 神宮関係者に会う
通常業務
7月6日・・・天皇陛下 → 離任ベルギー大使に会う
7月7日・・・天皇陛下 → 通常業務
7月9日・・・両陛下 → 第22回国際自動制御連盟世界大会」開会式
※ 写真はコラではありません 嘘だと思うなら産経ウイークリーを見て下さい。
天皇:さあ、座ろうか?ま・・え?え?
7月11日・・・天皇陛下 → 認証官任命式
通常業務
7月12日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式
両陛下 → シニア海外協力隊・日系社会シニア海外協力隊と懇談
人事異動者に会う
7月13日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う
皇嗣家
6月30日・・・佳子内親王 → 第31回伝統工芸人形展」および「第29回伝統工芸諸工芸を見る
大祓の儀
両殿下 → 世界水泳2023の説明をうける
7月3日・・・妃殿下 → 国際天文学連合アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議」について説明を受ける
佳子内親王 → 第22回東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」について説明を受ける
両殿下・佳子内親王 → 人事異動者に会釈
7月6日・・・両殿下 → 「第47回全国高等学校総合文化祭」について説明を受ける
まず、文句。
宮内庁は両陛下の予定を2週間以上更新しておりません。
秋篠宮家はちゃんとしているのに何でですか?
自動車・・は皇后陛下、ドタ出だそうです。
写真を見て本当にびっくりしてしまいました。嘘だと思いました。でも嘘じゃなかったんです。こ・・皇后ともあろう人が下着をつけていない?
「暑いからいいわよ。何も着なくて」って感じですか?うそ~~今までの中で一番の大失態ではありませんか?
いくらご優秀でも、外務省出身でもハーバード出身でも下着つけないでスーツを着るってありえないでしょ。それを「はい」で通す女官もどうかしてる。気が狂っているんじゃないですか?皇后も皇后宮職も。
芸術院の授賞式
皇后:(能面をつけるのに)息苦しくないですか?
陶芸はやったことがあります
とか言ったそうな。
天皇陛下はなんと中原中也の「子守歌よ」の一節をそらんじ、「中原中也が好きで読みました」と、そして「サーカス」の解釈を求めたらしい
通常、この後は茶会の筈が、立ちっぱなしでお話でしたね。
さて、西村宮内庁長官が「タイミングが適切でなかった」と発表した後、皇嗣家の側近トップ(恐らく皇嗣大夫)が
「タイミング」については「長官のお考え」
「節目節目で必要な説明をしてきた」
と反論しました。
佳子様一人が分室に残った事について、何でこんなに大事になっているのかとご本人も驚き、憤慨されていると思います。
成年皇族が一人暮らしして何が悪いのかということ。
何度もしつこいけど、三笠宮彬子女王の生活の仕方はかなり税金を食っていると思いますよ。
久子妃の「趣味が公務」であっちこっちの鑑賞公務に税金使って海外まで行くと言うのも贅沢過ぎるのではと思う位です。
それはおいておいて、今回は皇嗣大夫が宮内庁長官に反論した形になりました。
これは何を意味するのでしょうか?
長官の「承知していません」がやたらひっかかったんですね。私。
冷たくて突き放すような言い方で、結果的に燃料投下になってしまった。
皇嗣大夫は「(長官に対し)節目節目に必要な説明はしてきました」と言いました。
つまり
皇嗣邸を完全に壊して立て替えるのではなく、秩父宮邸を残しつつリノベーションすること。
今までの皇嗣邸と違い、今回は「公の皇嗣御所」の役割を入れると敷地的に狭くて家族全員がそれぞれ必要な部屋を持つ事が出来ないこと
ご仮寓所を壊すのではなく、事務棟として残し、その一角に内親王方が住めばよろしいと考えられて来たこと
その点に内親王は同意したこと
さらに必要があれば赤坂東邸も公務の場として使うこと
これらについて節目節目に宮内庁長官に説明したと言っています。
しかし、長官はそれを聞き流したか重要な事ではないと思っていた。
そこにマスコミの「叩き」が入って、皇嗣大夫が発表したら「何で今更。実はもっと裏があるんでしょ」とさらに「叩かれた」
ゆえに宮内庁長官の出番になり、一切を皇嗣大夫のせいにした。
だから「それは違います」と反論した。
内部抗争勃発かなと思います。
皇嗣家に仕える側近は、日々嫌な思いをしていると思います。
ご一家が誹謗中傷される事で、宮内庁内では自分達も同様に見られているのではないかと不信感を抱く者もいるでしょう。
かといって国家公務員である以上、配属されたら逃げられない。
思った以上に皇嗣家は仕事が複雑でその場の機転が必要。
「機転」が最も苦手なのが公務員ですから、そりゃあ「お難場」だろうと思います。
では民間委託すればいいのにと私などは考えますけどね。
ただ、皇嗣大夫も定例会見があるわけですからきちんと、旧秩父宮邸の歴史的価値を発表すべきだったと思います。
戦後、旧皇族、旧華族の屋敷は全てGHQに摂取され、壊されたり姿を変えたりしました。
香淳皇后の実家の一部が聖心女子大学に残った。
そこから嫁が来た・・事について香淳皇后が傷ついたかもしれない事も宮様はご存知だったかもしれません。
私なども、時々「旧宮邸」だったカフェなどに行きますが、ごくごく一部の広間だけが残り、そのまま残す事が出来なかった事を残念に思っています。
旧秋篠宮邸
礼宮殿下と紀子さんの結婚が発表され、華やかな結婚式が行われ、紀子ちゃんブームに沸いた1990年8月29日。その日は本当に寒い日だったのを覚えています。
紀子様はローブの上にコートを羽織っていましたね。
で、オープンカーではなく、乗用車で宮邸に行く道々、手を振られたのですが、その美しさと品格には驚きました。
そして宮邸について・・・びっくり。え?これが宮邸?
バブル時にこのボロ家・・特に池がある処、小さい頃によく見た一軒家の風景で昭和40年代くらいに戻ったんじゃ?と思いました。
この建物は昭和6年に乳母官舎として建てられ、戦後、赤坂御用地に移築。一時、鷹司和子さんが住む。
東宮御所の隣りにあるこのボロボロ家は築59年。
殿下はこの建物の改築等には一切携わらず、紀子様一人で屋根の色とか間取りなどを考えられたそうです。
職員が住むには狭すぎるのでプレハブの事務棟が作られ、紀子様唯一の希望「結婚後も勉強を続けたい」の為に狭い2畳の部屋に向い合せにパソコン置いたら、かがむ事も出来なくなったそうで。
その当時、テレビでも言われていましたが
「兄より先に結婚したこと」
「結婚が早かったこと」を理由に美智子さまが「ここで我慢せよ」と申し渡したと・・・当時はそうなのかなと思い、でも数年で新しい宮邸が作られるかなと思ったのです。
だって・・・その宮邸も驚くほど立派なのに、筆頭宮家がボロボロ家で、ドレス姿で玄関を入る所を映像で観ましたが、あまりにもそぐわなかったです。
秩父宮妃が大層心配されて「私の死後はここを秋篠宮邸に」と遺言なさいました。
秩父宮邸
知らない人もあると思いますので。
秩父宮殿下は昭和天皇の1歳年下の弟宮で、明仁皇太子が生まれるまでは筆頭宮家でした。妃の勢津子さまは会津藩出身。
香淳皇后、高松宮妃とも近しい関係。
ゆえに当初
こんな御殿に住んでいて、さらに御殿場に別邸があったのです。
戦争で燃え、秩父宮両殿下は御殿場で静養していたのですね。
殿下は肺結核になり、戦後、亡くなられるのですが、新しい秩父宮邸が建てられたのが1970年代とすると、元々勢津子妃一人用の御殿だったわけです。
延べ床面積490くらい。
三笠宮、高円宮邸が延床700くらいですので、いかに小さいかわかるでしょう。
旧秋篠宮邸
東宮ご御所の隣りにこんな小さな建物。それが筆頭宮家のお住まい。
雅子妃は笑いが止まらなかったろうなと思います。
宮内庁のHPでは平成9年から住んでいる、雑誌では平成12年から住んでいると書かれていますが、どうなのかな。どちらにせよ、この時点で築30年。
悠仁殿下が生まれて、2階にプレハブを増築して育児室にしたと聞いた時にはもう何だか悲しくて。
こういう事に対し、秋篠宮の両親である天皇皇后は何も思わなかったのかなとつくづく感じます。
他の宮家と比べても各段に狭くて古い。
それを大事に改修しながら暮らしていたのが秋篠宮家です。
ご仮寓所と新秋篠宮邸
この二つが必要になった理由は、秋篠宮殿下が皇嗣になられたからです。
それまでの御屋敷では海外要人を招いたり出来ないので新しくする必要があったのです。
考えても見て下さい。皇太子たる皇嗣が旧秋篠宮邸に住んでいて、そこに他国の王や王妃が来たらどうするのですか?
となりにはやたら立派な東宮御所があって、「ああ、あれは上皇夫妻が住んでいるんです」って言ったら、「え?隠居した人がこっち?」と思うでしょう。
皇嗣の御殿を作るのは国家の威信です。
それでも、秋篠宮殿下はお屋敷を譲って下さった秩父宮妃への最上級の敬意をこめ、出来るだけ文化財的なものを残し後々価値が出るようにされたのです。
ご仮寓所は皇嗣職の為で、東宮御所を使う事が出来たら作る必要がないものでした。
つまり、天皇家3人と上皇夫妻が身の丈に合わない豪華な場所に住んで、空き部屋を独占している為に割を食ったのが秋篠宮家です。
上皇后は平成になった時、吹上御所を改修するのではなく、わざわざ新宮殿を建てさせました。その時に昭和天皇が愛した林がなくなったと言われています。古い吹上には香淳皇后が住み、今は空き家です。
そもそも上皇夫妻は高松宮邸ですら「狭すぎていや」と言ったのです。
高輪はうっそうとしていて、側に泉岳寺がありマンションもあります。
これで狭いと言われたら秋篠宮家の5人はどうすればいいんだ?
佳子様がご仮寓所に残られたのは、「降嫁」を前提としている事もあるけど、宮邸の「公」の部分を広げ、事務をスムーズに行う事を考えると、どうしても1部屋は増やせないとの苦肉の策ではないかと思います。
将来、悠仁親王が天皇陛下になられたとき、この宮邸は文化財として大きな価値を持つ事でしょう。
もしかすると悠仁殿下のお子様が住むかもしれない。
そういう大局を考えてのリノベーションであった。
それなのに金勘定ばかりをマスコミは報道し、予算が変わった、減った増えたとあたかも浪費しているかのような印象操作は目にあまります。
私は許す事が出来ません。