2006年8月18日 オランダ到着
オランダの土を踏んだ雅子様は弾ける笑顔をお見せになりました。
「ようこそオランダへ。アベル・ドールン城はこじんまりとしていい場所よ。きっとあなたの心を癒すと思うわ」
そんな風に女王にいわれた雅子様は、(なんて優しい人なんだろう)と思いました。
(批判ばかりの日本とは大違いよ。考えてみればヨーロッパの王族ってバカンスで外国へ行ったりするのが普通よね。だって王族なんだもの。それに比べて日本は頭硬いったらありゃしない)
ベアトリクス女王は心から雅子様を労わっているように見えましたし、ウィレム・アレキサンダー王太子とマキシマ妃もくったくなく温かく迎えてくれました。
「お世話になります」と皇太子様はおっしゃり、頭を下げます。無論、雅子様も同じ気持ちでした。
オランダ王室メンバーと皇太子ご一家は、宮殿のよこにある馬車庫でマスコミの取材をうけました。
優雅で素敵な馬車を見れば、愛子内親王も喜ぶと思われたからです。
王太子家のアマリア王女達は興味を持って、馬車を見たり触ったりしています。
その前で雅子様は、「弾ける笑顔」でお応えになり、日本から来た取材クルーをびっくりさせました。
「日本では見た事のない笑顔。やっぱり雅子様は海外に出ると元気になられるのだ」
雅子様の笑顔の理由は、海外に来た事というよりも、むしろ「勝利」の笑顔でした。
両陛下の裏をかいて、まんまとオランダ行きを承知させ、そして行動出来たという達成感です。今までの惨めな(何を惨めと思っていたのか)ご自分が急に価値ある者のように思えるようになったのです。
カメラマンたちは勢いよくシャッターを切ります。
フラッシュの光も何度か来ましたが全然平気でした。
「アマリア!」あちらの記者が叫びました。
愛子様の2歳年下のアマリア姫は気づいて手を振りました。
「愛子!」オランダの記者が今度は愛子様に声をかけました。
最初は何がなんだかわからない風だった愛子様は突然、反射的に笑いました。
その様子をみた皇太子様も雅子様も嬉しさのあまり、やっぱり大きな笑顔をお見せになるのでした。
もしかしたら内親王も、ここで正常になるかもしれないと思ったからでした。
しかし、その期待はすぐに終わり、愛子様はその後は笑顔をお見せになる事はありませんでした。
皇太子一家はアベルドールン城に入りました。女官は数人で、あとのスタッフはオランダ王室からだされ、随行した宮内庁職員や大野先生はホテルに待機となり、毎日することもなく、ぼんやりと休暇を過ごす事になりました。
2週間とはいえ、ここが自分のものになるのだと思っただけで雅子様の気持ちはたかぶります。
「すごい。ずっとここで暮らしたい」
「そうだね。でもあくまで借り物なんだから調度品なんかには触らない方がいいよ」
皇太子さまは少しきつい口調でおっしゃいましたが、雅子様は全然動じる事もなく
「なにを貧乏ったらしい事言ってるの?馬鹿みたい」
皇太子様は(何を言っても今は無理)と諦めて、すぐに愛子様がいる部屋へ行ってしまいました。
殿下は、両陛下の表情が頭から消えないのです。
こんな事をしてあとあと大丈夫だろうか。事あるごとに叱られるんじゃないか・・・そんな不安が常に心に残るのでした。
2006年8月22日 ブルへルス動物園へ
いくら城を借り切っての静養とはいっても、何もかも自由気ままにとはいきません。
プライベートなりにゆるりとしたスケジュールが組まれていました。
城に閉じこもっているばかりではつまらないだろうという、王室の配慮からです。
22日は、雅子様が車を運転し皇太子様と愛子様を乗せ、城の庭を回りました。
どこもかしこも緑があふれていて、鳥の声が響き、まるで別世界です。
自然にふれれば愛子様も表情を取り戻すのではないかと思われましたが、内親王は車に乗るのがあまり好きではないらしく、不安そうに顔をしかめています。
しょうがないので早々に切り上げ、午後にはアーネム市のブルヘルス動物園に行きました。
これも、小さな内親王を抱えてのご静養と言う事で王室が予約したもので、近くのレストランで食事も出来るようになっていました。
レストランでは日本の皇太子一家と随行員らの為に立食パーティを企画していました。
その事は、随行員から皇太子様にも伝えられていたのですが、雅子様は
「ビュッフェ?そんなのしたくない。愛子だって落ち着かないじゃない」と言い出したのでした。
実は、雅子様は例え随行員といえども、今、愛子様の様子をそのまま見せたくないと思われたのです。自分達だけならともかく内親王が一緒では落ち着いて食事も出来ない。もし、内親王が口からものを吐き出したりしたら・・・そう考えるとぞっとします。
「でも、雅子、せっかくあちらが良いしてくれたんだから」
「じゃあ、ちょっと寄るだけにすればいいじゃない」
皇太子ご一家は。そのレストランに立ち寄り、恭しく挨拶をされ「今日はごゆるりとお食事をお楽しみください」と言われたのですが
「トイレ、借りれる?」と言って、さっさとトイレを使うと挨拶もなしにレストランを出てしまいました。
唖然とするレストラン関係者に随行員の末綱侍従長は「妃殿下はお加減が悪いので」と英語で話し、日本人はみな、冷や汗をかきながらレストランを出ました。
雅子様は「静養」なんだから何をしてもいい筈だと思い込んでおられました。でも誰もそれは間違っているとは言えないのでした。
「皇太子様の名誉も傷つく」と末綱は考えましたが、もうどうしようもない事でした。
ちょうど、その頃、随行していた大野医師は自分の講演会がある為に帰国しました。
マスコミの取材には「治療のめどがたったので」とだけ答えましたが、何がどう回復したのかは語らず仕舞です。
主治医が先に帰国する事などあるのだろうか。
そして、それでも平気だという雅子様の体調は一体どんなものなのだろうか。
2006年8月23日 小和田夫妻と渋谷夫妻が来る
23日には、オランダ在住の小和田夫妻と、海外赴任していた妹の節子夫妻が城にやってきました。
自称「準皇族」の夫妻と妹君は遠慮なく城にやって来て、あちらの女官らがお茶を出すたり、軽食を用意したりするのを、品定めするように見つめていました。
「どうだ?ここの生活は」
父君は顔色もよく機嫌もよさそうな娘の要するにすっかり安心していました。
「もう最高よ。ありがとうお父様。お父様のお蔭だわ」
「私からもお礼を申し上げます」と皇太子様もおっしゃいました。
「まあ、こんな事が出来るのはお前くらいなものだ。日本の皇族だからっていつもこういうことが出来るわけじゃないぞ」
「ええ、本当に」
「さすが王室よね。この茶器・・ウェッジウッドかしら。年代物だわ。それにしちゃサンドウィッチの中身がしょぼいけど」
と母君は褒めているのかけなしているのかわからないコメントを出します。
「夕食の方がすごいわよ。一緒に食べていって。礼子も。一流ホテル並なの。ワイン飲む?ここのワイン蔵も品ぞろえが豊富よ」
「いいわねえ。お姉さまは。私も病気になりたいわ」
「何を言ってるの。あんたは旦那様のお蔭で海外暮らしじゃないの。そっちの方がずっと羨ましいわ。私なんて・・東宮御所なんか大嫌いよ。私を宇宙人のような目で見るんだから。いいこぶりっこの秋篠宮家も大嫌い」
「その秋篠宮家なんだが・・生まれる子は男じゃないかと言われている」
「それは・・・」皇太子様が口を挟みます。
「噂ではないのですか」
「それはまもなく生まれればわかる事だ。男子が生まれたらお前達はどうする?愛子を天皇にするのを諦めるつもりか」
「いえ。愛子は私の娘です。皇太子の娘であり、将来の天皇の娘です。称号も持っているし宮家の内親王とは格が違う」
「その通りだ。秋篠宮家を追い詰め、臣籍降下に持っていければ、皇室では愛子しかいなくなる」
「しん・・臣籍降下」皇太子様は驚きのあまり少し声が大きくなり、はっとして黙ります。
「馬鹿ね。ここでは日本語は通じないわよ」と雅子様に叱られてしまいました。
「でも、臣籍降下だなんて。陛下がお許しになる筈ないでしょう」
「命が危ないと思えば、臣籍降下するさ。実際に命を奪うわけではない。そう思わせればいいだけの話だ。それもこれも君達を思っての事だ。金がかかる」
「お金の事は心配しないで」と雅子様は胸を張りました。
「そんな事より、ワインをあけましょう」雅子様はすぐにグラスを用意するように命じました。
2006年8月24日 ウィレム・アレキサンダー皇太子一家とサル公園に
24日はかねてからの予定通り、王太子一家と、有名なサル公園に遊びにでかけました。
これも「子供達の交流をかね、次世代の王室と皇室の交流を深める」という名目だったのですが。
愛子様は一生懸命に皇太子様に手をひかれて歩くものの、ついに一度もアマリア王女の方を向く事もなく、笑う事もなく終始無表情でした。
最初は一生懸命に愛子内親王に「ほら、あのおさるさんを見て」などと声をかけていた雅子様ですが、次第に面倒になってきましたし、愛子内親王の無表情さが、ウィレム王太子達の不安を煽っているようで不機嫌になってきました。
アマリア王女を見ていると「これが子供というものか」とつくづく思い知らされます。
金髪がゆれる王女は愛くるしく、活発でよく喋り、よく笑います。
マキシマ王妃の態度も余裕があり、自分の王女だけでなく、愛子様にも気を遣い
「アイコ、楽しい?」と聞いたりします。
そんな普通の態度がより雅子様の神経を逆なでするというか、
(静養に来ているのに何気を遣わせるのよ)と不愉快になってしまうのです。
次第に無口になっていく雅子様の分も元気でいようと、皇太子様はウィレム王太子達に喋りかけてばかりいました。
また王子たちも気まずい雰囲気にさせるまいと、殊更に明るくふるまうのでした。
でも、王太子夫妻には、いわゆる「雅子様の状態」は相当悪いと感じられたのでした。
そして女王の判断は誤りだったのではないかと感じ始めたのです。
2006年8月25日 女王陛下とマウリッツ美術館を見学
25日は愛子内親王を小和田邸に預けて、まずは王太子夫妻と昼食会でした。
どんなにプライベートな静養とはいっても、一方では「皇室外交」を無視する事は出来ません。
実はオランダでは、「どうしてオランダの城を日本の皇太子一家に貸さなければならないのか」
「日本に媚びを売ってどうする」
「税金の無駄遣いではないのか」
などの批判が起きていました。
国民の支持がなければ王室などあっさり潰されてしまいます。
王室は「国際親善」の一環であると主張し、ところどころに「公務」らしいものを入れて形を整えようとしたのです。
ですから、前日のサル公園も、今回の昼食会もその一つです。
皇太子様はその論理はよくおわかりになっていたのですが、雅子様は静養に来ているのにわりと自由が制限され「社交」が求められている事に疑問を覚え始めました。
アベル・ドールンの城を自由に出たり入ったり出来るのかとおもいきや、予想以上に行事が入っていて、時間に縛られてしまうのです。
本当にゆっくり出来たのは最初の数日間だけ。
思えば、縁もゆかりもない王室の城を借りる事がそもそも常識外れという概念が、雅子様には欠けていました。小和田の父君がセッティングしたのだから、自分達は「もてなされて当然」と思っていたのですね。
それでもまあ、気さくな王太子夫妻のおかげで昼食会はなんとかうまくやりすごしたのですが、午後のマウリッツ美術館訪問は女王陛下と一緒で、雅子様としてはかなりハードルが高かったのでしょう。
女王の前では緊張してしまうし、得意の英語もあまり役に立ちません。
話しかけられてもどうしたらいいかわからず、結局、美術館では15分が限度。
「私、体調が悪いので失礼します」というなり、踵を返して玄関の方に歩いて行ってしまったのです。
あまりの事に呆然とする女王陛下。
女王陛下はこの美術館に皇太子夫妻をお連れになるのを大変楽しみにしていたのです。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」をお見せしたいと思われていたのに、雅子様は何の感想もなく帰ってしまいました。
残った皇太子様は、そんな妻に怒るでもなく「いつ体調を崩すかわからなくて」と笑い、
フェルメールの絵に魅了されたように「これは素晴らしいですね」とおっしゃいました。
まるで最初から雅子様がいなかったかのように振舞う皇太子様を見て、女王陛下は人知れず首を横に振りました。
これが病気といえるの? 静養どころじゃないわ。病院に入院した方がいいんじゃない?
夜は、愛子内親王を迎えに行き、小和田邸でディナーです。
ここでやっと雅子様は心からリラックスする事が出来ました。
ご両親が一緒なので緊張せず、安心して内親王を任せる事が出来るし、余計な女官達もいないし。
「何が美術館よ。堅苦しいったら。私、絵なんか嫌いだし、動物園も暫く行きたくない」
「雅子、女王陛下にあの態度はあまりにも・・・」
「私が行きたいと言った?言いましたか?美術館なんてあなたの趣味じゃない。あなただけが行けばよかったのよ。ほんと、ムカツク」
「でも女王陛下はね」
「女王なんてくそくらえよ」雅子様は、少し・・・というか大量に飲んだワインに酔って言いたい放題でした。
「お父様、こんなの静養じゃないわよ。毎日どこかに引っ張りまわされて。昼間からワインも飲めないじゃない。夜は眠れないし」
「その分、今日は飲めばいい」と父君はおっしゃいました。
「そうよ。愛子ちゃんは私が面倒みるから」と母君もおっしゃいます。
雅子様はすぐに笑顔になってグラスを空けました。
お酒が何よりお好きな殿下も、さっそくウイスキーに手を出し、その日は久しぶりにどんちゃん騒ぎが出来たのでした。
2006年8月26日 女王陛下のヨットクルーズをドタキャン
事が起きたのは翌日です。
実はこの日は、女王陛下主催でヨットクルーズの予定でした。
女王陛下は、「緑の竜」という名前の豪華なヨットを所有しており、朝早くから6時間ものクルーズを手配して下さっていたのです。
このヨットはベッドもトイレも装備され、食事も豪華で、オランダを訪れた各地の王族はぜひ、このクルーズに招待されたいと思う程のものです。
陛下としては、ここで王室の威厳を見せたいところでした。
ところが。
朝、姿を見せたのは皇太子様だけだったのです。
「おはようございます。ご招待頂きありがとうございます。今日はよろしくお願いします」と殿下は丁寧にごあいさつされました。
「あら、あなたの奥様とお子さんは?」
「申し訳ありません。二人とも体調が悪くて。本日は失礼させて頂きます」
「二人とも?アイコもなの?何かおかしなものでも食べたの?」
「いいえ、そうではありません」
「体調が悪いならすぐにお医者を呼びましょう」
「それには及びません。眠れば治ります。いつもこうなので。どうぞお気になさらず」
そう言われても、このクルーズは雅子妃の為に計画されたものであり、この静養の目的は雅子妃で・・・それなのに当事者が来ない。医者もいらない。母娘揃って原因不明の体調不良とは。
クルーズ終了後、女王陛下は末綱以下、随行員に事情を聞かれ、宮内庁にも問い合わせ、仰天の顛末をお知りになったのです。
妃殿下は元々朝が弱く、昼夜逆転の生活が当たり前であったこと。内親王はとてもヨットを楽しめる状態ではないことを。
ここにきて、ようやく女王陛下は、この静養計画が失敗だった事がわかりました。
そして心からがっかりされたのです。
裏切られたような、日本政府は雅子妃の状態をよく知らせもせずにこちらに依頼して来たのだ。なんという国だろうか。こんなのと将来的に付き合っていかなくてはならないとは。
こんな重荷は嫌だ・・もう歳なのかもしれないわ。女王陛下はご自分の目の曇りを責めるのでした。
2006年8月28日 女王主催のディナー
そして、いよいよ。
帰国を前にしての女王陛下主催のディナーが開催されました。
やめたかったけど、もうやめるにはいかないものでした。
このディナーには、ウィレム王太子夫妻、ベルギーのフィリップ王太子夫妻、ルクセンブルクのアンリ大公夫妻も招かれていたのです。
フィリップ王太子夫妻は、結婚式にも参加していましたし雅子様とも顔見知りでしたけど、あの「流産」事件があり、ベルギー王室は天皇家にひたすら謝罪されました。
これらの王族を前に、雅子様は
「ヨーロッパの王室は近くていいですね。すぐに遊びにこられて」と言ってしまい、みんな一斉に口をつぐんでしまいました。
確かにその通りではあるのですけど、王室同士が常に遊ぶために交流しているわけではないと、女王陛下は噛んで含めるようにおっしゃいました。
それはヨーロッパの王室の成り立ちから姻戚関係までの説明になってしまったのですが、雅子様は頷いてはいましたが、ほとんど聞いていませんでした。
確かに、ベルギーやルクセンブルクの方々が、「スキーはやっぱりスイスでないと」などと言われると心から羨ましくなるし、しょっちゅう城の外に出ているような印象があり、それに比べて旧弊な皇室…と雅子様は訴えるように「皇室なんか」ととくとくとおっしゃったのです。
フィリップ王太子夫妻は「またか」と思ったのですが、他の方々はこんなに自分がいる所の悪口を言うお妃は初めてという目で見ました。
しかし、その視線にも気づいていませんでした。
2006年8月31日 帰国
そして、長いようで短かったオランダ静養は終わり、8月31日、皇太子一家は帰国したのです。
なぜか、高速を品川で降りて隠れるようにして東宮御所に入りました。
日本では紀子様が出産を前にして、厳しい入院生活を耐えていました。
野村東宮大夫はひそかに「辞意」をもらしていましたし、末綱侍従長も、オランダで胃がキリキリと痛む経験ばかりさせられて、げっそりとして、こちらももう辞めたいと思っていました。
雅子様も、思いのほか自由がなかった静養に、何となく敗北感を感じていました。