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ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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祝!ご成婚30周年 雅子様語録  41

2023-08-08 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

ディズニーランドでの楽しかった思い出は雅子様に達成感と勝利の味をもたらしましました。妹一家も「準皇族」としての役目を果たしてくれて、少なくとも自分には味方がいるのだと少しホッとする事が出来たからです。

「準皇族」という立場は日本にはありません。

しかし、小和田の父君は「我々は準皇族なのだから」と妻や子供に言い聞かせました。

皇族である雅子様の身内なのだから皇族ではないけれど、それに準ずる立場で、そういう扱いをしてくればなければ困るという話です。

さあ、次は鴨川シーワールドへ行こうと日程を決めてホテルも予約して・・・と思った時に思いがけない言葉が皇太子様から。

両陛下と一緒に葉山で静養すべきと思う」

「え?何で、一緒なんて嫌に決まってるじゃないの。それに鴨川はどうするの?」

申し訳ないけど雅子、今回は諦めた方がいいと思う

何で?

ディズニーに行った事がかなり批判を受けているようなんだよ。それに今回は、愛子が幼稚園に入るから、両陛下に今後の事を話さないと」

そういう風に皇太子様がおっしゃる時は、皇后陛下から厳命が来ている時。

雅子様は最後まで抵抗の姿勢を示しましたが、結果的に鴨川をドタキャンして葉山に向かいました。

 

 2006年3月27日 葉山静養

葉山の御用邸は、基本、本邸しか使わないのでまさに両陛下と一緒に宿泊する事になります。

雅子様はすぐに不機嫌になってしまい、ご挨拶をしても、あとは黙り込んでしまいました。愛子様は、どこに連れられて来たのかわからず、ぼやっとしています。

天皇陛下は「愛子は元気なんだね」と確認するようにおっしゃいましたが、言われた本人は無言、雅子様も無言、皇太子様だけが「ええ。元気です」とお答えになりました。

皇后陛下からは「これから学習院幼稚園に通う事になるけれど、大丈夫なのですか?集団行動が出来ますか?」と質問を受けました。

雅子様は「愛子なりにやるんじゃないでしょうか」とお答えになりました。

あの幼稚園は浩宮の為に作ったようなもの。懐かしいわね。制服を着た愛子ちゃんを見るのが。愛子ちゃん、園長先生にお会いしたらちゃんと、ご挨拶をするんですよ

そう言われても内親王は何を言われているのかわからず、無言のままでした。

雅子様は内心、皇后陛下の干渉を疎ましく思っていました。

姑ってこれだから困ると本気で思っています。

皇后陛下が心配しているのは、愛子内親王が幼稚園に入る事で、その「和」を乱してしまわないかという事だったのです。

皇太子夫妻の内親王あまやかしは千代田にも伝わっていますし、例の2時間40分事件で、内親王の障碍は相当重いのだと両陛下も理解しました。

集団行動をきちんと学べるといいですね」と皇后陛下はおっしゃいました。

先日のお遊びはあまりよい事とは思わない」と天皇陛下はおっしゃいました。

どうしてですか」と雅子様は反論しました。

私達は私的な楽しみより、国民を思う立場である事を忘れてはならない。自分のお楽しみの為に国民を犠牲にするような事があってはならないのだ」

愛子は喜んでいましたよ

雅子様はハチの1針のような言葉を投げかけました。

全て愛子の為です。私は、愛子を普通の子のように育てたいんです」

普通って・・・」

普通です。普通の子です。愛子は。回りと違うからって愛子が特別なわけじゃありません。いろんな体験をさせればきっと治ります」

目がキラキラと輝いている雅子さま。いつになく語る雅子さま。そんな雅子様を見て両陛下は少し怖くなりました。

皇后陛下には、またもや皇太子様がが不憫で仕方ありませんでした。

こんな時も嫁のいいなりになっている。

けれど、この嫁を庇っていかないと、今後、皇太子様がどんな目にあうかわからない。

皇后様は何もおっしゃらなくなりました。

結局、天皇皇后両陛下と皇太子一家が共に海岸を散策するという場面は見られることなく、ただ一緒にいたという既成事実を作っただけでした。

 2006年3月30日 帰京

 2006年4月11日 愛子内親王幼稚園入学

さて、いよいよ、愛子様の入園の日がやってきました。

内親王は少し大きめの制服に帽子をかぶり、鞄を持っています。鞄の刺繍はお母さまがすると決まっていいるのですが、雅子様はさっさと外注しました。

これから幼稚園に入れば何とかなる・・・雅子様はそう思っていました。

青山劇場でのリトミックや体操だけでは友達もそんなに出来なかったし。でもこれからは・・・

園長先生の名前は小山とおっしゃいます。

皇太子ご夫妻は「これからよろしく」とお辞儀をしました。

しかし、愛子様はしませんでした。慌てた雅子様が一生懸命に頭を下げさせようとしましたが、かえっておむずかりになるのでやめました。

とりあえず、園の関係者に引き渡したのですが、愛子様はぐずぐずと後ろを振り返ったり、横をむいたり指を振ったりと落ち着きません。

そんな様子を心配そうに見守る雅子様。

大変自然なお子様ですね」と小山園長はマスコミの取材に答えました。

自然な」という言葉の裏には何があるのかと、色々意味深な言葉ではありました。

早速クラス分けされました。

愛子内親王のクラスの前には、常に屈強なSPが護衛に着く事になっており、他お子供達と保護者をびっくりさせました。

実は、愛子様のご入園が済めば、雅子様も地方公務が出来るのではないかと計画を立てていたのですが、雅子様は拒否されました。

理由は「育児で大変だから」というもの。

しかし、学習院の毎日のお弁当は大膳課が作るのであり、制服を着せるのは女官で、雅子様がやる事はほとんどありません。

でも、週刊誌には「入園ストレス」で雅子様は公務が出来ないと書かせました。

16日には早速「オール学習院の集い」が行われ、幼稚園から大学生に至るまで、様々な文化的催しをします。

通常、あまりこれに親子で参加というのは少ないのですが、皇太子一家は、嬉しそうにかけつけました。

雅子様はこの手の遊びが大好きで、ヨーヨー吊りをやってみたり、屋台で買い物をしてみたり宇土存分に楽しんだのですが、愛子様は無表情。

少しも楽しそうではありませんでした。

また、舞台での演技を見る時、幼稚園生はみなまとまってみるのですが、愛子様だけはご両親と皇族席に座りました。

つまり、この時から「ヒエラルキー」をはっきりと示されたのです。

というのは、このオール学習院の時、学習院にやってきたマスコミの連中は、ところかまわずにヨーヨー吊りなどを楽しむ雅子様達を撮影していました。

それを東宮職が一生懸命になって「写真は撮るな!」「誰が取材をしてもいいと言った」と声高に蹴散らしたのです。

学習院側からは誰も出てこない事で東宮職はなおの事、怒りまくり、それがのちに宮内庁と学習院の長くて冷たい戦争に発展していくのでした。

 2006年4月16日 オール学習院の集い

 2005年4月29日 車椅子バスケットボール大会

雅子様は春の園遊会も欠席しましたし、赤十字大会も欠席しました。

しかも赤十字の欠席の翌日には乗馬を楽しむという事をやってのけたので、またも批判にさらされる事になりましたが、「治療の一環」という言葉が雅子様を救います。

つまり「治療の一環」は伝家の宝刀、水戸黄門の印籠と同じ効力を持つのです。

そこまで雅子様が何をやっても平気だったのは小和田家の父君の力が大きいです。

父君は小泉首相に直談判して、オランダ王室からの招待状をとりつけていました。

つまり雅子様を「海外」で静養させようという腹積もりなのです。

それは雅子様の為ではなく、小和田の力がここまで影響するのだぞという事を皇室中に知らしめる為でした。

 

 2006年5月16日 学習院幼稚園遠足

雅子様は雅子様なりに愛子内親王の幼稚園生活を一緒になって楽しんでいました。

愛子様が幼稚園に行ってる間、他のママ友と一緒に園内のラウンジで珈琲を飲みながらおしゃべりする。そんな普通の生活が気に入っていたのです。

勿論、相手方は本当は皇太子妃とお話などしたくありません。

でも逆らったらどんな目に合うかわからいので、自分達のグループに来た時には「ようこそ、ごきげんよう」と受け入れるしかないのです。

それを週刊誌は「雅子様の親衛隊」などと書き立てるので、本当はみんな迷惑していました。

5月には初の遠足があり、雅子様は嬉々として参加しましたが、愛子様はあまりそういうのは好きではないように見えました。

新宿御苑ではシートをしいてお弁当を食べるのですが、あいにくの空模様で突如雨が降ってきました。

みんな慌ててシートを畳み、雨が入ってこない場所まで逃げたのですが、ふと、みると、雅子様と愛子様が雨の中でぼーっと立っているではありませんか、

この日は、女官はついてきていませんでした。

あの人、何をしているの?」と一人が言うと「シートを敷いてもいないわよ」

敷き方が知らないんじゃない?

え、まさかあ」

だって、棒立ちになってるもの」

誰か、行って傘をさしかけてあげたら」

えーーお付きの人いないの?」

仕方なく、いつもラウンジで一緒に珈琲を飲むママ友の一人が傘を持って走り、シートを片付け、雅子様達をつれて木の下まで避難させました。

風邪をひいてしまってよ

ええ・・・どうして誰も来ないのかしら」

え?」雅子様は放心したようにぶつぶつと言っていました。

何で誰も来ないのよ・・・馬鹿にしてるわ」雅子様は自分から女官を遠ざけた事をすっかり忘れているのでした。

けれど、この時の出来事は少し経ってからようやく週刊誌に載りました。

最初に載ったのは愛子様が「(傘が)ふたつあるから、ひとつ貸してあげましょう
「(カメラマンの)みんな寒いところで待っていてくれるから、ワンちゃんの手を振ってあげましょう」

そんな、今時ありえないようなセリフだったのです。

この時も東宮職のSPが何人も取り巻くようにしており、保護者達に写真を撮るなと厳命していました。

保護者達は「なぜいけないのか」と抗議しましたが「許可なく両殿下を撮影することは許さない」の一点張り。

だけど、あっちはマスコミがいい写真をがんがん撮ってるじゃないの。何で私達だけいけないの?」

保護者の不満は募る一方でした。

 

 

一見何事もなく、内親王の幼稚園生活は始まったように見えましたが、実は全くそうではありませんでした。

新学期早々、愛子様はお休みされたのです。

ゴールデンウイークには風邪を引いたので休まれたとか、あるいは溶連菌、あるいは下痢といった症状で幼稚園を休みがちになっていました。

先生に呼ばれても全然気づかに、どこか遠くを見ているようなときもありますし、誰とも仲良くする事なく、教室の中をうろうろ歩き回っては自分の世界に引きこもっているような事もありました。

一番大変なのか「お弁当」の時間です。

学習院幼稚園は子供のしつけに大変厳しい場所で、幼稚園生は全員がお箸を使って食べなくてはなりません。

基本、お弁当はお母さまの手づくりではなくてはなりませんが、愛子様の場合は、大膳が用意したもの。

さらにお箸が使えないので、おにぎりとフォークなどが入っています。

他の園生は「ずるい」「フォークじゃダメなんだよ」と直接内親王にいう子もいましたが、話しかけられるとびくっとなって、叫び出すので、先生が慌てて止めます。

愛子さんはいいんですよ」と。

 

子供からそんな話を聞いた保護者が抗議する事もありましたが、園長は「愛子様は特別」なのだと言ってはばかりませんでした。

いくら皇族が通う場所とは言っても、眞子様や佳子様はきちんとルールに従って来たのに、なぜ愛子様が?とみな不思議がるし、露骨に嫌な顔すらしました。

 

 2006年6月18日 学習院幼稚園父親参観日

 そんな事は意に介さない皇太子様は、嬉々として父親参観の時は、愛子様の手を取って歩きました。

いつもなら玄関口まで車を寄せるのに、この日はわりと遠くまで歩きます。

しかし、内親王は父殿下に一瞥もくれず、どこかあさっての方向を見てぶつぶつ言うだけです。

問題だったのは、この写真が世界に配信されてしまったということ。

皇太子様も雅子様も、それでも世界を騙せていると思っているのでした。

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皇室ウイークリー

2023-08-06 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

ご日程

皇嗣家

7月28日・・・殿下 → 第25回世界スカウトジャンボリー日本派遣団国旗授与式

7月29日~30日・・・殿下・悠仁親王 → 鹿児島県訪問

・「第47回全国高等学校総合文化祭「2023かごしま総文」」総合開会式

・パレードを見る

・県勢概要聴取

・「第47回全国高等学校総合文化祭「2023かごしま総文」」自然科学部門を見る

・昼食会

・「第47回全国高等学校総合文化祭「2023かごしま総文」」美術・工芸部門を見る

・鹿児島県立曽於高等学校視察

7月30日・・・佳子内親王 → 明治天皇例祭の儀

7月31日・・・両殿下・佳子内親王・悠仁親王 → 宮内庁人事異動者に会釈

8月1日・・・佳子内親王 → 「第27回全国高等学校女子硬式野球選手権大会(決勝戦)」観覧

8月2日・・・両殿下 → 在京離任大使夫妻に会う

8月3日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

 週刊誌には「表情喪失」と書かれた悠仁殿下ですが、実は結構笑っているんですよ。

でも女性と違って男性はがはは笑いはしません。個人的にはお辞儀の仕方や立方や笑い方が昭和天皇によく似ているなと思いました。

殿下は「カブトムシ」を研究する生徒達に「私はトンボが好きです」とおっしゃいました。昆虫オタクの彼らはどんなに喜んだ事でしょう。

上皇陛下は悠仁殿下が小さい頃から専門家をつけて、昆虫採集や研究の仕方を勉強させました。それだけではなく、多分、農業についても勉強されたのだと思います。

農業は化学であり科学です。生き物の生態を調べる事もしかり。

まさに悠仁親王は研究者肌なんだと言う事がわかります。

また牛を調教している所でも鋭い質問をされたとか。ここらへんはお父様譲りなんですね。隠してもわかる知性。それが悠仁殿下です。

 皇嗣家の光ともいえる佳子様の笑顔は、マネできるものではありません。

周りを明るく照らす日の光のようです。ファッションリーダーでもあらしゃります。

皇室の未来は佳子内親王殿下と悠仁殿下にかかっているんですね。

 物価高だからティアラを作らないって?

宮内庁は、今年の予算に愛子内親王のティアラの予算を組みませんでした。

理由は「物価高」の為。

でもこの理由はおかしいのです。

ティアラが使われるようになったのは明治の「洋装令」の頃。

最初は外国製のものを使い、それから大正の頃には国産品が出て来ました。

日本が西洋と肩を並べる為には、あちらの文化をしっかりと吸収し、皇室同士のお付き合いの中で「礼儀」としてティアラが使われて来ました。

ところが、愛子内親王はティアラを作らず、黒田清子さんから借り受けたままです。

叔母様のティアラを借りたまま、返さないというのもおかしな話です。

華子様もご親戚のティアラを持っていますけど、それは受け継がれたもので、借り物ではありません。三笠宮家の女王や久子妃も三笠宮家に伝わるティアラを借りますが、自分のはちゃんと持っています。

これをやらないというのは、つまり、今後、正式の場に愛子内親王を出すつもりはないという意思表示だと思います。

また、皇后はティアラが好きではないので、自分達が生きている間はずっとなんだかんだと理由をつけて、ティアラなしの晩さん会などをやっていくつもりではないでしょうか。

ティアラはプラチナの土台にダイヤやパールをあしらって作られています。

確かに貴金属は高いですが、内廷費や皇室財産で買えない筈はない。

買えない理由があるとすれば、両陛下がかなりのお金をどこかに流しているからとしか思えません。

マスコミ買収の為の資金なのか、小和田家へ流れているのかわかりませんけど。

皇后の安っぽい服や、上皇后の着た切り雀など、いかにもお金がありません的なパフォーマンスはマイナスにしかなりませんけどね。

 

 秋の園遊会 

秋の園遊会が11月に開催される予定で

 1000人程度の招待客

 飲食なし

になりました。宮内庁は雷雨対策ばかりに目が行ってますが、「園遊会」というのは、本来、お酒をたしなみつつ、料理を食べておしゃべりするのが楽しいもので、それがない園遊会なんてしない方がましじゃないの?と思います。

新型コロナに配慮って・・・もう5類になっているんですけどね。

しかも屋外ですから、感染リスクは低い筈です。

にも関わらず、全員マスクで両陛下の前に立つなんて、そんな面倒な事したがりますか?辞退者が出てもおかしくないと思います。

両陛下は「園遊会」をさっさと切り上げたいのではないかと思います。

面倒だから。あるいは御料牧場の肉がどこかに横流しされているという噂さえたっているのですけど、宮内庁はどう答えるのでしょうかね。

 

 愛子内親王 東京博物館へ 

 4日午後すぎ、愛子内親王は一人で東京博物館に

 藤原定家の名月記などが展示されている為

 皇室が一番やってはいけない事をやってしまったなと思います。

なぜって、愛子内親王を載せたワゴンには、スモークがかかっていて、中が見えないからです。本人が乗っていると断定できない。

常に親子でしか行動出来ない人が、一人で博物館へ行ける筈ないんです。

遊びに行く時も、御守役の友人たちが数人ついている感じでしたし。

一人で行動できないから、ワゴン車の中はから。

つまり、「行きました」というアリバイ作りにしかならなかったという事です。

本当に外出したら創価婦人部が「愛子さま~来てくれてありがとう」と旗を振って大歓迎する筈ですから。また鑑賞している様子も出てこない。

一体、ここまでの事をやってまで「うちの娘は優秀で正常です」と言わざるをえないのかと思うと情けなくなりますね。

悠仁殿下が立派に公務をこなしているのを見て危機感を覚えた結果でしょう。

 

ティアラの事や園遊会飲食なしなど、全ての儀式が招かれる側を無視してやろうとうしている事が気に入りません。また悠仁殿下の来年の成年式も「物価高の為」行わないなどと言い出しかねない。

本当に令和よ、早く終われと私はいいたいです。

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録40

2023-08-05 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2006年3月13日 東京ディズニーリゾートへ

その日、皇太子ご一家と池田礼子ご一家がディズニーリゾートを訪れるという話は、一般人には知らされていませんでした。

すでに朝の8時すぎから一般の人達がゲートに集まって開園を待っています。

この日の予想来園者数は5万5千人でした。

東宮一家は前日よりミラコスタに宿泊でした。

それも一般人には知らされておらず、朝からものものしい数の警備員とSPが玄関前に立ち、一般客が入ろうとするのを阻止しています。

雅子様は珍しく、朝早くから目が覚め窓から見えるシーの風景を見ると、わくわくしてきました。

今日は自分達が主役、誰よりも特別扱いされて、ディズニーを楽しむ事が出来る日なのだ。

皇太子様や雅子様はご存知でなかったかもしれませんが、この日、千葉県警が警備の担当となり、皇宮警察と一緒になって、ランドやシーの駐車場から門、そしてアトラクションの至る所に配置されて警備を行っていたのです。

皇太子ご一家と池田礼子ご一家は、恭しくミラコスタから出てこられ、そしてシーの中に入りました。

さらに園内を走る車に乗り込まれ、集まった人達にお手ふりをされました。

観客たちはみな、最初こそ「雅子様だ」と言って笑顔で写真を撮ったりしていたのですが、すぐに皇宮警察に抑えられ、「写真は撮らないで」と規制されたり、シーのありとあらゆる場所は「お休み」の札がかかるに従って不信感を抱き始めました。

そんな事はおかまいなく、雅子様は海風が厳しいリゾートの中であっても、薄着でにこにこと笑っていらっしゃいました。

「お姉さま、最高ね」と礼子さんがおっしゃり、雅子様は「私のおかげでしょ」と茶目っ気たっぷりにおっしゃる。すると礼子さんは「はいはい。そうよね。でも私達だって準皇族なんだから、これくらいの待遇は当然かもね」と笑いました。

明らかについてきたくなかった礼子さんの御夫君は妻の不敬な「準皇族」という言葉に首を振り、皇太子様もちょっと苦虫をかみ殺したような表情をされました。

でも。ここはあくまでも皇太子ご一家が主役なのです。

雅子様達は今度はミッキーやジャスミン達の出迎えを受けました。

雅子様はもう嬉しくて満面の笑みを浮かべたのですが、愛子様は怖がって後ずさりされます。それを皇太子様は一生懸命「愛ちゃん、ほら、ミッキーマウスだよ」と言って前に押し出すのですが、どう見ても愛子様はには巨大な怪物にしか見えなかったようです。

 ご一家はさらにエレクトリックレールウエイに乗り換えてマーメイドラグーンへ。

マーメイドラグーンの中には小さい子達が遊べるようなアトラクションがいくつか用意されていました。

子持ちの親にとっては、「ここで少し遊ばせよう」というような場所なのですが、東宮ご一家が入ると、とたんにマーメイドラグーンに入る4つの橋は封鎖され、人々はそこに入れなくなりました。

せっかくアリエルと会うのを楽しみにしていた人達にとっては「え?突然なんで」という事になります。また皇宮警察も千葉県警も、皇太子一家をおいかけて歩く一般客を引き留めるのに必死になっていました。

愛子様はどう見てもシーを楽しんでいるようには見えませんでした。

ほぼ無理やり、「ジャンピンジェリーフィッシュ」「フローフッフュバルーンレース」に乗り、さらにマーメイドラグーンミュージカルを見せられたのですが、世界が全て愛子様の敵のように思われたのでしょう。終始怯えて、怖がって、凍り付いた顔になっています。

それでも雅子様は満足でした。

子供と一緒にアトラクションを次々制覇し、いつかは経験したかった「子供の頃」の字自分にすっかり返る事が出来たからです。

しかしその間も、1時間以上マーメイドラグーンに入れない人達は、だまになってそこらへんの警官たちに「いつになったら入れるの」とくってかかる場面もありました。

お昼になってやっと東宮ご一家はミラコスタに戻って昼食を取られたのですが、今度はホテルのレストランが閉鎖されてしまい、訪れた客が「何で?私達宿泊しているのに」と不満を漏らします。

警備が説得し頭を下げ「とにかくダメです」の一点張り。その向こうで雅子様はフランス料理を楽しみ、愛子様もミッキープレートを召し上がりました。

皇太子様の胸の中は、かすかにざわついていました。

こんな事までして国民から反感を買うのではないかとの疑念です。

それは池田家のご当主も同じようで、妻や子が楽しそうにしているの見ながら、ためいきをんついていました。

ランドの方は緊張が走っていました。

東宮ご一家がいつ登場するかまるっきり情報が入って来ないからです。

シーより狭いランドでは密になる事も多いですし、アトラクションに並ぶ人も多い。

彼らをどのように問題なく移動を止めるかが課題でいした。

やがて満を持したように現れた雅子様達は、

楽しそうに園内を歩きます。

トゥーンタウンは警備の人達で一杯になって閉鎖。

一番人気のぷーさんのハニーハントは、「ぷーさんははちみつを取りに森へ行きました」と閉鎖、あっちもこっちも次々閉鎖になるので、一般客はどのようにうごいたらいいかわかりませんでした。

トゥーンタウンのショップも閉鎖。皇太子家と池田家の貸し切り状態。

ここで沢山のお菓子やおもちゃを見て、さすがの愛子様も無表情を貫き通す事は出来ず、思わず「きゃー」と叫びしました。しかし、その声はショップの外にま聞こえて、側にいた人達は「何事が起きたのか」とびっくりするやら慌てるやら。

午後も大夫すぎると、一般客も増えて来ており、警護の者たちは一掃鋭い視線を向けなければなりませんでした。

パレードを鑑賞し、ミッキーと写真を撮り・・そいうように一家が動けば動くほど、興味本位の観客も動く。とうとう警備員はご一家を取り巻くように人壁を作って阻止しなくてはなりません。

愛子様は怯えつつもぷーさんと握手して写真をとり、ショップに入り、手あたり次第のものを籠に入れていきます。当然、ファンタジーランドに来ていた人達は、店が貸し切りになっているのを見て不満を漏らします。

近くのトイレまでが閉鎖されてしまうので、子供が泣き出すと言う事もありました。

キャスト達は一生懸命おもてなしをしつつ、一般客の事を気にかけています。

案内役のキャストが持っていた予定のコースは全く役に立たず、一行は次から次へと予定を変えて、あっちこっちへ移動するのです。

雅子様は幸せでしょうがありませんでした。

ミラコスタでの豪華な昼食、一般人を後目にアトラクションは最優先で乗る事が出来る。ショップに入って買い物をするのも楽しいし、パレードも最高!

「遊ぶ」という事がこんなに楽しいものとは思いませんでした。

結局、滞在時間が大幅に延びて、一行が退園した時には、多くのキャストや観客はほっとしたことです。

 

皇室の日程にはこの日の事は「千葉県行啓」と書かれてありました。

皇室御用係の記者達は、このお遊びに対して批判しました。

皇太子ご一家だけでなく、なぜ池田礼子一家も一緒だったのか。費用は誰持ちだったのかなどと細かい部分まで追求しようとしましたが。宮内庁は「わかりません」で押し通したのでした。

 

 2006年3月15日 皇太子メキシコ訪問見送り

3月15日には、皇太子様がメキシコへ行かれました。

そのお見送りの時、ちょっとぐずった愛子様は、ディズニーチケットを持たされて何とか泣かずにお見送り出来ました。

(次はどこへいこうかした・・・鴨川市―ワールドがいいわね)などと考える雅子様。

なにもかも忘れて遊び倒す事で、紀子様のご懐妊を忘れようとされていました。

そして、オランダの国際司法裁判所所長となられた小和田の父君は、ある目的をもって小泉首相と面会されたのでした。

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録  39

2023-08-04 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 

年末に起きた一連の事件の後、皇太子一家はますます天皇皇后両陛下と疎遠になっていきました。

新年の旧皇族らの挨拶にも出てこない。

家族としての食事会も欠席。

まるで両陛下の気持ちなど全然あてにしてないようです。

それというのも、あと少しで皇室典範が改正され、「皇位は男系男子」ではなく「皇位は天皇の長子」が継ぐ事になるからです。

そうなったら愛子様は将来の皇太子であり、天皇になります。

無論、雅子様の地位も安泰になります。

だからなのでしょうか、とにかく、ここ最近の雅子様の行動の気まぐれ度は拍車がかかっておりました。

この年の歌会始めもまた雅子様は欠席されました。

講書始の儀も欠席。当然祭祀などは全く行わず、昼夜逆転の生活が続いていました。

この歌会始めの儀で秋篠宮殿下は次のように詠まれました。

人々が笑みを湛えて見送りしこうふのとり今空にはばたく

そして紀子様は以下のように詠まれました。

飛び立ちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる

なんとお二人が同時に「こうのとり」を詠まれたのです。

この時「もしかして」と思った人達はどれ程いたでしょうか。

実際に前年、秋篠宮両殿下はこうのとりの放鳥に立ち会っていたので、それが心にのこったのでしょうと言われていました。

 2006年1月12日 歌会始めの儀

 2006年2月7日 秋篠宮紀子妃殿下 ご懐妊

ところが、突如、NHKが2月7日の朝に「紀子様ご懐妊」のニュースをテロップで流したのです。

これには全国民が驚き、また祝福をしました。

しかし、ご懐妊の事は両殿下はまだ誰にもおっしゃっていませんでした。

ご自分達が知らない所でスクープが流れた事にショックを受けておられました。

しかし、このニュースがスクープとして流れた事は大変大きい事だったのです。

国会中に耳打ちされた小泉首相は「紀子様?雅子さまじゃなくて?」と言いました。

そうです。紀子様が懐妊された事で皇室典範の改正は見送られたのです。

このニュースがあとちょっと遅かったら、愛子天皇誕生は決まってしまう所でした。しれゆえに、懐妊の情報を掴んだ誰かがいち早くスクープしたのではないかという噂まで飛びました。

動揺したのは秋篠宮家だけではありません。

両陛下や皇太子夫妻にも激震が走りました。

天皇陛下はまさに救われる思いだったでしょう。「本当に?よかった」とおっしゃったのですが、皇后陛下の心は複雑でした。

常に皇后陛下の心の中には皇太子殿下のお姿がありました。

大事な内親王を降嫁によって失われ、寂しさが募る時にふと目を移せばそこに、かつて「ナルちゃん憲法」を施した可愛い息子がいるのです。

皇太子殿下の意義は皇統を継ぐ事ですが、その次に繋げて行かなくてはなりません。

その役割を果たせない皇太子様の心情を思うと皇后様はひどく胸が痛くなるのです。

しかし、紀子様がご懐妊になった事で皇室典範改正は棚上げとなり、また一からやり直しになってしまいました。

3人目も内親王だったらどうするのか。

紀子妃はあまりにも考えなさすぎではないか。

歌会始めではこうのとりを詠み、常に物静かに笑みを湛えている妃が、裏でこんな事を考えていようとは。

内親王だったらまた色々言われますわ。可哀想ですよ。紀子ちゃんが

皇后様は無邪気に喜ぶ陛下を諭すようにおっしゃいました。

そして東宮家ではその1報が入ると、皇太子殿下は声を荒げ「何だって!」と叫びました。

最近は主治医の大野裕を迎え、好きなように生きている限り癇癪を起さない事がわかって来た皇太子様でしたが、またこれで雅子様があれると考えられたのです。

 

大野裕とはどんな人か。精神科医です。

雅子様の妹君が見つけて来た「認知療法」の第一人者と言われている人です。

つまり「生きづらさを感じている人は今いる自分を認めてみよう。プラスに解釈してみよう」という考え方です。

その教えに従い、雅子様は私的には外出出来るけれど、公務には出られないことにお墨付きが出ました。

つまり「適応障害」というのは、不本意な事を強制されたら元気がなくなるというもので、好きな事をする時は非常に元気なのです。

それに加えて、雅子様には「人の心を察する」「言葉を選ぶ」という事が出来ません。

学校の成績はよいけれど、奥深さがないのです。

そういう事も大野先生はわかっていました。

わかっていましたけど、小和田家から依頼されているのは

雅子様の好きな事を好きな時にやれるようにサポートしろ」という事だったので、生活改善などには全くタッチしておりませんでした。

無論、愛子内親王の発達障害だって見ればすぐわかるけど、何事もないようにふるまいました。それが仕事だからです。

 

紀子様の懐妊を受け、当然の事ながら雅子様も怒りました。

あいつ・・・いい歳して何してるのよ」と外では言えないような毒も吐きました。

と同時に、それに呼応するかのように社民党や民主党などの女性議員たちが、お祝いどころか「そうまでして男子を産みたいか」とか「喜べません」と公の場で発言しました。

それだけではありません。女性週刊誌が一斉に紀子様の懐妊を「わざとらしい」と非難し始めたのです。

「これは雅子様に対する宣戦布告ではないか」という者もあれば「雅子様がお可哀想」とくどくど申す者もいました。

「そうまでして男子」は世の中の長男の嫁に刺さったかのように報じられ、役割を大切にする紀子様が徹底的に誹謗中傷され始めました。

3月には女性識者らの「今だから雅子様に幸せになって欲しい」などというタイトルの記事が出て、あたかも紀子様の懐妊が迷惑のように報じられました。

皇后様は「それみたことか」と思いましたが、あえて庇い立てはしませんでした。

紀子様は覚悟しておられたのでしょう。

ご懐妊されても変わらずに公務をお続けになりました。

雅子様は紀子様の懐妊など全然気にしていないという風に、2月16日には出席予定のなかった盆栽展に訪れました。

梅の木を見て「実がなるのですか」などとおそろしく場違いな質問をした事にも全然お気づきにはなりませんでした。

また、毎日のように外出して、中華料理やフランス料理を食べ歩いたり、デパートで買い物をしたり。

皇太子様が公務でお出かけでも、雅子様は同行せずに私的な遊びにでかけるといった具合です。

 2006年2月16日 盆栽展

 2006年2月23日 皇太子誕生日

 

雅子はお陰様で少しずつではありますが,順調に回復に向かっていると思います。天皇皇后両陛下を始め多くの国民の皆さんに温かく見守っていただいていることにこの場をお借りして心からお礼を申し上げます。昨年12月に雅子の最近の様子ということで,医師団の見解が発表されたのは,病名と治療方針,現在の病状及び今後の課題について国民の皆さんに理解していただくためで,これはあくまでも医師団の専門的な判断に基づいて行われたものです。私ももちろんこの判断を尊重しています。雅子もお医者様の治療方針に従って,努力していますし,私もこれからも支えていくつもりです。雅子は皇族としての自身の役割と皇室の将来を真剣に考え,これまでも努力してきましたし,現在もそのように考えて行動しており,私もそれに支えられています。環境の改善を勧めた医師団の見解は,こうした私たちの努力を更に実現していくために有意義なものであると考えてのことと思っています。

私自身雅子には今までの経験をいかしたライフワーク的なものが見つかると良いと思っています。私自身が主として,今まで水上交通史を研究しており,そのことが,いわばライフワークになりつつあることが,いろいろなことをする上で,支えになっているように思うからです。また,乗馬やテニスを始めとした運動も治療の一環として行っておりますが,それも良い効果を上げているようで,今後も続けてほしいと思っています。

お陰様で,雅子は順調に回復しておりますが,まだ回復の途上にあることを皆さんにもご理解いただき,静かに温かく見守っていただければと思っております。」

雅子の公務については,今少し,体調が回復し,公私にわたる様々な活動をしていく中で考えていくことになるのではないでしょうか。また,雅子の場合,最近も幾つかの公務を行いましたが,これはあくまでも回復のための足慣らしの意味もありますので,そのあたりのことを皆さんにはお分かりになっていただきたいと思います。」

「宮中で行われている祭祀については,私たちは大切なものと考えていますが,雅子が携わるのは,通常の公務が行えるようになってからということになると思います

とあくまでも雅子様を庇われたのでした。

でも雅子様がご出席になった公務が「足ならし」と言われた側は不快感を覚えました。誰だってそのような気持ちで来てほしくはないですよね。

皇太子様は周りへの配慮が次第に欠けていくようでした。

 

紀子様の懐妊を知った小和田家のご両親はお忍びで帰国する事が増えました。

また電話などで連絡を取る事も増えていました。

国連に部屋を作ってやる」

「海外に静養にいかせる

と一々雅子様のご機嫌を取るご両親。

いうことを間違えてしまうとまた雅子様が癇癪を起こし、「お父様のせい」と言い出すからです。

秋篠宮家にはすでに3人の娘がいる。今回も多分娘だろう。

しかし、万が一男子が生まれた時には・・・・

考える事もはばかられるような事を小和田家では考えていました。

週刊誌の記事で宮家をいくらバッシングしても鬱憤ははれない。

ディズニーランドに行きたいわ。礼子家族と一緒に」

ぽっと雅子様の口から出たのは、夢の国へ行く事でした。

 

 

 2006年3月3日 学習院幼稚園ひな祭り

 2006年3月5日 ワールドベースボールクラシックに

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1789東京公演

2023-08-02 07:00:00 | 宝塚コラム

何度見ても泣いてしまうけど。

それだけ星組が熱いって事ですね。

作品についてはもう何も語る事がないので、今回はちょこっとファン目線で語りたいと思います。

割と前の下手で見る事が出来て、大劇場より色々パワーアップしているなと感じました。

極美慎が礼真琴に対して「ロナン」と語りかける日が来るとはね~~でも大劇場より役柄的に重厚になっている気がします。

なんていうか、喧嘩の時は感情が表に出ちゃったけれど、ロナンが死んだあと、いち早く立ち直って人権宣言をするところが、いかにもロベスピエールっぽい。

ロナンの礼真琴は、大劇場より表情が豊かになって、よりオランプとの相性がよくなったみたい。やっと・・・やっとだよ。ほんとに。ここまで来るのに何年かかった?

全く人見知りの激しいトップさんだわ。

ダントンの天華えまはよりけだるく、「革命なんてこんなもんさ」的な部分が出てきたかなあ。席のお蔭でダントンとソレーヌの濃厚ラブシーンを見る事が出来て眼福。

その代わり、カミーユの方はなかなか見れず。

大劇場ではカミーユに焦点あててみてたので、リュシルの頭を膝枕で撫でているカミーユがかっこいいとか思ってたんですけど、まさに目の前で繰り広げられるダントンとソレーヌの、日常的な会話の中でひたすら明るく革命に向かっていく感じがいいなあ、大人だなあって思いました。

カミーユの何がかっこいいって、一人だけ前髪を固めてないから、動く度にひらひらと飛ぶんですよ。ゆえにダンスが激しければ激しい程前髪が揺れて「かっこいい!」になるんですよね。

大劇場の時はちょっと抑えすぎてて、ロベスピエールに負けそうになっていたんですけど、東京に来たらしっかり革命のリーダーになってました。

それにしてもね。緑の葉を持って歌うカミーユの「武器をとれ」以前の歌に戻してくれないかな。私、実はカチャバージョン好きで、これをありちゃんが歌うんだと思って楽しみにしてたんですよ。

そしたら違っててたでしょ。

今回の歌も悪くはないけど、うーん・・・何だか全体から見て浮いてる。

音楽は詳しくないけど、全体的に短調なのに、この曲だけ長調みたいな?

スザンナさん、ここらへん、教えて欲しいわ。

伸び伸びした声質には合ってるとは思うんだけどね。

天飛華音は相変わらずですけど、大劇場程棒じゃなくなったかなあ。

上級生相手に「恋」を表現するのって難しいのかな。でもこれをクリアしないと、この先は危ないと思うのよ。

フィナーレでは目の前にいて、やっぱりかっこいいなとは思いました。

稀惺かずとは本当に可愛い。可愛すぎてもうなでなでしたくなります。

この子なら「イーハトーブ」出来るんじゃないか?と。

でも、この可愛すぎる顔がコンプレックスになったりするんだろうなと

有沙瞳は、最後を飾るにふさわしい王妃様っぷりですね。

 

よく、私と姫は極美慎と暁千星は「青春駆け巡ってる」と言います。

そんな雰囲気があるんですよ。

幕間に廊下で「極美の笑顔ってほんと、素敵だよね」って話しているのを聞いて

(そーなのよ。今が青春だからね~~)

と言ってます。

ついつい目に入ってしまう鳳真斗愛ですけど、この人、ありとあらゆる場面に出てて、着替えが大変だろうなと思うんです。

トランプの男やってたかと思えば僧侶になり、兵士になり、民衆になり・・・だけど傑作だったのはトランプの男で、どうやら朝水りょうのギヨタン博士が好きらしく、一生懸命に憧れて、おいかけたいわ~~ってやってたところ。

 

横長の大劇場と比べると縦長の東京宝塚劇場は、これはこれでいい所もあるかなと思いつつ。

DVDの発売が楽しみです。

コメント (2)
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