yopikoの、たなばた日記

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玉川上水43km探索5(中流部3) 三鷹~高井戸(3完)蛇行する上水と神田川への放流口

2015-11-23 05:30:00 | 「玉川上水に親しむ会」&水辺探索

11月14日、「玉川上水に親しむ会」第228回例会は、玉川上水探索の5回目
三鷹駅から浅間橋跡、さらに先の放流口までです。

雨が降ったり止んだりの中、写真をあまり撮らなかったので、今回で完了です。

井の頭公園の歴史を見聞きした後は、再び玉川上水の散策路を歩きます。


右岸と左岸で高低さがあるのが分ります。

蛇行する玉川上水、万助橋から長浜衛橋までは谷と丘が入り組んだ地形。
北側は井の頭池、神田川の谷
南側は狭山丘陵をごく小さくしたような丘がふたつ存在しています。



幸橋→新橋(ここで左へ急カーブ)
万助橋から井の頭池の谷をよけて南下してきましたが、行く手にある小高い丘を避ける為大きく左カーブして東に向かいます。
この曲がり角に架かる橋が「新橋」です。
急カーブは入水者の遺体が見つかる事が多く、むらさき橋上流で入水した太宰治と山崎富栄の二人も
一週間後に新橋で遺体が引き上げられました。



松影橋→井の頭橋→若草橋(ここで右へ急カーブ)
「若草橋」で再び右岸は小高い丘になり、丘の中腹に沿ってカーブしています。
丘は三鷹市で一番標高が高く、約65m、玉川上水は約54m、その高さは10m以上の差があります。



「神明社」へ立ち寄り、後ろへ下って上水へ戻ります。
神明社は、高番山と呼ばれ、標高60mの高台。
天文6年(1537)、小田原北条氏の家臣・北条綱種が江戸城守護の為、深大寺城と相対するここに砦を築きました。





宮下橋→東橋(ここで左へほぼ直角に急カーブ)
丘を避けて南下してきた上水路は、東橋で大きくカーブして東に向きを変えます。
万助橋から谷と丘を回避して掘られてきた上水が軌道修正される東端にあたります。

長兵衛橋からはほぼ真っ直ぐに進みます。


旧牟礼橋(どんどん橋)
大正中期に造られた煉瓦のアーチ橋で、土木学会の『日本の近代土木遺産・現存する重要な土木建築物2000選』に選ばれました。
橋の袂に「石橋建立供養塔」と「どんどんはしの石碑」が移築されています。


どんどんはしの石碑の写真は、下見の記事に載せましたが、
下見では撮らなかった石橋建立供養塔を載せます。 石橋建立供養塔は宝暦7年(1758)建立。


人見街道に架かる牟礼橋を渡りましたが、上水路は通行止めです。
迂回して、ブルーシートが見えている先へ向かいます。

牟礼橋から暗渠口までは東京都市計画道路「放射第5号線」建設中です。

兵庫橋上流右岸には「水難者慰霊碑」が建っています。
国語学者・金田一京助氏が、病気を苦に入水自殺した愛娘、並びに上水で命を落とした人たちの慰霊の為に建立。

「人食い川」と呼ばれた玉川上水は、急流の為、一度落ちたら、深い壁面は這い上がれず水難が多発したそうです。
高井戸署の記録によると、昭和33年から5年間に玉川上水で亡くなった人は自殺者も含め90名に上ったそうです。

「岩崎橋」は橋の架け掛け工事でやはり迂回。
岩崎橋の下流右岸に「烏山分水」と「北沢分水」の二つの分水口があります。

烏山分水・・・烏山川(高源院の湧水が源流)の養水として、万治2年(1659)に開削。
烏山村、粕谷村、世田ヶ谷村、三宿村などの10ヵ村の灌漑用水に利用された。
分水口:25坪(5寸四方 15cm×15cm)

北沢分水・・・北沢川(松沢病院周辺の湧水が源流)の養水として万治元年(1658)に開削。
上北沢村、赤堤村、世田谷村、松原村、代田村の5ヵ村の灌漑用水に利用された。
分水口:100寸坪(1尺四方)


これが北沢分水口跡だと思いますが、樹木が邪魔でよく見えません。


すぐ下流に堰は見えました。


暗渠口。開渠の堀は杉並区久我山1丁目で終わり、芥止めの先で地下に吸い込まれていきます。

この先、四谷大木戸までの約13kmの玉川上水は、昭和41年に一部を除いて暗渠化されていまいました。
地下には朝霞浄水場からの送水管と玉川上水の鉄管が埋設され、地上部の跡地は高速道路、緑道、公園などになっています。


少し戻った場所で、2枚目の記念撮影。途中で帰られた方と途中から参加された方がいらっしゃるので。
やはりゴーストのおっとが違和感無く、うまく写っていますよ~


浅間橋跡
暗渠口を「浅間橋跡」というが、実際に「浅間橋」が架かっていたのは、ここより200mほど下流の、富士見ヶ丘小学校の北西角。
暗渠化により撤去されてしまい、高速道路になっています。

ここから左に進み、再生水の放流口を見に行きます。少し抜け道を通って、神田川に来ました。


井の頭公園内の井の頭池を源流とする神田上水は、神田川(自然河川)となって玉川上水とほぼ並行して流れています。
神田上水は、徳川家康が江戸入府時に飲料水の確保の為、造られた日本最古の上水道です。
文京区関口で堰き止め(大洗堰)、その先は水路を開削して小石川後楽園を経て、神田、日本橋方面へ給水。



下流へ向かって歩きます。川幅が狭いので増水時の事を考えてか、堀が深くなっています。


左が高井戸駅です。


京王井の頭線・高井戸駅前の、神田川(佃橋上流)への放流口です!


小平監視所より下流に流されていた再生水は、久我山1丁目の暗渠口から地下の管路になり、
中央高速道路下を進み、中の橋交差点から環状8号線沿いに北上して、ここに放流されています。

私は、暗渠になっても、四谷大木戸まで再生水が流れているものと思っていました。
高井戸駅前で神田川に放流しているとは知りませんでした・・・ひとつ知識が増えました!

これで、玉川上水開渠部分、約30kmを踏破しました~
これから暗渠部分、あと2回で、四谷大木戸に到達です。


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コメント (2)
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