国分寺散策3つ目の記事。最後です。
史跡武蔵国分寺跡を見て、国分寺崖線の道路を西国分寺駅へ向かって歩いていたら、崖の途中に階段がありました。
鬱蒼としていて、一人だったらちょっと寂しい階段を上がります。
さらに、その奥にも階段があります。
崖を階段で上がる感じ。
雨の中、ひっそりと静まりかえった場所に出ました。
国分寺薬師堂でした。
裏に回ったら道路に出ました。
武蔵国分寺公園
道路を渡ると、
東山道武蔵路跡
第四小学校の跡地
現在、小学校は大きな道路を挟んで東側に。新しくて大きな校舎です。
ちょうど下校時間で、可愛い傘が並んで沢山出てきました~
交差点を北に渡りますと、
東山道武蔵路の碑
来た道を振り返ります。
この歩道は広く、武蔵路の跡だと分かります。
案内板
左から拡大して載せます。
道路跡を発掘後、空き地の地下に埋没保存してあるようです。
国分寺市は遺跡を大切にしている事がよく分かりました。
散策マップを利用して、また違う場所を歩こうと思います~
(CANON PowerShot S120)
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つづきで~す
さらに歩いて行くと・・・
こんな場所に出ます。
「武蔵國国分寺」
楼門
奈良時代に聖武天皇の詔により、諸国に国分寺が建立されました。
武蔵国分寺はその中でも最大級を誇るものでしたが、1333年、新田義貞の鎌倉攻めの際、惜しくも焼失。
現在の国分寺はその法灯を継ぐものです。
焼け残った薬師如来(国指定重要文化財)を祀る為に、新田義貞の寄進により金堂跡に薬師堂が建立されました。
それが江戸時代に現在地に移築されたといわれています。
ここから南に歩いて行くと、広い原っぱがあります。
こんな案内板が。
(文字部分を拡大)
(右上地図の拡大)
(右下の拡大)
せっかく来たのだからと原っぱの中を南に歩いて、
南から振り返ります。
原っぱにポツンと「金堂址」の石塔
この広さにビックリです~
南の道路際に国分寺址の石碑
ここの道路は何度も通った記憶があります~
調査の案内板
さらに、
戻ってきて、西側。
ルートマップには「国分寺崖線遠望」地点とあります。
木が生茂っている森のような場所が崖です。
余談ですが・・・日野市などでは、遺跡があったら発掘調査後は、建設計画が遅れるものの地上部には建物が出来ています。
国分寺市はこの広大な武蔵国分寺跡を史跡としてしっかり残しているのがすごいと思います。
(現時点では、たて看板があるだけで広い原っぱのままですが・・・)
仕事をしていた時は、史跡調査の最中だったような気がしますが、
湧水や史跡があって住宅もあまり無く、静かな場所だったと記憶しています。
こんな風に散策するとは思ってもいませんでしたが、これも縁あって「玉川上水に親しむ会」に入会したお陰と感謝でいっぱいです。
つづく~
(CANON PowerShot S120)
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平成22年9月に策定された「国分寺市景観まちづくり指針」を受けて、
推進の一環として市民が誇りと愛着を持てる景観を、
平成24年6月、国分寺市まちづくりセンターが『国分寺百景』として選定しました。
その散策マップを入手出来たので、雨でしたが早速散策開始!
今回は「お鷹の道・史跡武蔵国分寺跡」を歩いてみます。
平成10年~12年にかけて私の職場は国分寺でした。
市の南側が私の担当エリアだったので、お鷹の道や史跡は何度も通ったことがありました。
懐かしい場所を再散策です。
駅の南側、坂を下ると知念医院の裏側、東急住宅脇に湧水があるとのこと。
地図の表示のみで説明は特に無く、たぶんこれがその湧水だと思います。
さらに南に進み、西へ曲がると
真福寺公園前に案内板があり。
ここがお鷹の道スタート地点。
狭い路地なので見落とし注意。でも昔通った記憶が甦ります。
さらに歩いて行くと、こんな場所に出ます。
右がメインの湧水群
懐かしい~ 奥へ進みます。
国分寺崖線の下
ここが湧水源
真姿の池
ここを見たのは18年も前。
いまだに枯れずに湧いている水。感慨深いです~
さらに先へ進みます。
紫陽花と
ドクダミが群生しています~
(CANON PowerShot S120)
つづく~
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