
こんな状態が一ケ月半も放置されて手付かず。
雨が降らなかったから良いけれど、今回の台風により強い雨になったら、
大幅に崩れて、完全に交通不可能になるのは目に見えています。

アスファルト舗装の下がえぐり取られるようになっていて恐ろしい。

先日はこのほかにも要請したいことが沢山あって、市に掛け合いに行ってきた。
「山の入り口に交通止めの看板は立ててあるけれど、何か事故が有ったら規制を無視したというの、
農家は、生活の糧を得るために毎日通わなければならない、いわば生活道路ですよ」

十五日に村の役員五人で出かけたのだが、副市長のみと思っていたのに、何人もの課長も列席。
その場で、私が代表して、思いのたけを述べさせていただいたのだった。
東北大震災にしても、今回の水害、そして、近畿地方の豪雨災害。
全てに国、県、自治体の動きが遅い。
国難とも言うべき、大震災で国家の体制が変わらなければ、本当の復興は無理だと思った。
しかし、行政のシステムも政治のシステムも何一つ変わらなかった。
こんな国家はもう国家ではない。そんな風にさえ思えてしまう。
霞が関も永田町も我が田舎町よりも、まだまだ古くて因習に凝り固まり先行きの見えない田舎だ。

十五日の夕方近く、四時半に畑の散水にタンクに水を満たし、軽トラで登った時は前のまま何一つ変わっていなかった。
散水を終え、ライトをつけて農道を下っていて驚いた。なんと現場にはセィフティーコーンがずらりと。
おいおい、これで応急処置かよ、参っちゃったなー。
今日現在未だに応急手当も復旧工事も未着工です。