本当に久しぶり、そう10何年ぶりかに山古志を訪れました。
あの、忌まわしい中越地震から12年半余り。ようやく行く気持ちになったのでした。
観光気分、物見遊山で行くのは失礼に思う気持ちが強く、訪れる勇気が無かったのです。
畑仕事も落ち着いた日曜日、「父の日」にスベルべママとオートバイで山古志を走ったのでした。
地震により川が堰き止められてダム状態になり水没した家屋が震災遺構として残されています。
何回もニュースなどでは見ていましたが、初めて見て複雑な思いが胸をよぎる。
水没した家は二軒だったことは初めて知りました。
いえ、もっと有ったのかも知れませんが、震災遺構として保存されていたのはこの二軒。
ここは旧山古志村の「木籠(こごも)」地区で市町村合併により今は長岡市になっています。
切ないお話ではあります。スベルべママの友人にこの村出身の美人ママがいらっしゃいます。
写真処理が上手くなかったですね。
その遺構として残された家の上に、こんなお店が。地元の人たちも承知で観光施設としているのですね。
座席シートの後ろのヘルメットはスベルべのもので、スベルべママは髪型を気にしてヘルメットは脱がず。
ここまで来るのにも、話に聞いていた通り立派な道路やトンネルが出来ていて驚きました。
「何十年分の公共投資を一気にしたようだ」とか、言われていたけれどオートバイで走って実感。
でも、懐かしい家を捨て、村を捨て出ていかざるを得なかった人々の気持ちも思い、複雑な気分でした。
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