長年連れ添ってきた「ロシナンテ」。
いつも、思い出し頭に浮かぶのは「ドナドナ」の歌詞です。
ある晴れた昼下がり子牛が売られていく~♪。
東北を一周した際の一枚(再掲)。
東北オートバイ紀行(再掲)
東北は近くて遠い。なぜならまだ高速道路網もまだまだで、新設の余地が大きく残っているからだ。特に日本海沿岸にその傾向が顕著と思われる。
その東北に行くのが、当時のツーリング仲間の夢だった。同じ会社の仲間だが職場が違い中々一致した休日が取れない。そんな中、なんとかみんなの休みを調整して出掛けたのは初秋の有る日だった。
当時の記録、リーダーから届いたツーリング計画を見ると、平成14年9月20日~22日となっている。9月20日の新潟港発午後11時50分のフェリーで秋田土崎港まで渡り、そこから東北地方を回ると言う壮大なツーリングだった。
新潟港新日本フェリー乗り場集合は午後10時30分。夜間ツーリングの経験は少なく、ましてや新潟港フェリー乗り場など始めて行くコースで、小出から行くリーダーに我が家に立ち寄ってもらって行く事になった。
予定時刻前に着いたが、既に5人のメンバーは集まっていて、私たち2人を入れて合計7名の参加メンバーが揃った。みんなの愛車は250のスクータータイプから、750の大型まで多様な車種だった。フェリーは予定時刻に港を出て夜の日本海を進む。土崎港には予定通りの6時30分に着いたが、秋の日は短く、まだ夜明けを迎えたばかりであった。
下船し、走るメンバー順を決めて早速走り出す。二日目の最終目的地は乳頭温泉。
しかし、そこまでの間に最大の楽しみの十和田湖、奥入瀬渓谷、八幡平などの名勝地が待っているのだ。オートバイツーリングなんて興味の無い人が見たら、呆れそして馬鹿にするようなもので、たたひたすら目的地を目指して走るのみ。燃料の補給時と昼食だけが休憩時間の様なものだ。
しかし、今回のツーリングはそんな方針も変えざるを得ない。何しろ大半のメンバーが十和田湖も奥入瀬渓谷も初めてなのだから。奥入瀬渓谷をゆっくり見物し、十和田湖休屋で昼食を摂った。そこから十和田ICに行き、今回の行程中唯一の高速道「東北自動車道」に入り、松尾八幡平ICで降り、八幡平アスピーテラインと言う名前の高原コースに入った。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」の舞台でも有り、アオモリトドマツの枯れ木などが目立つ、ただ広い高原は冬の厳しさを十分に感じさせるものだった。しかし、初秋の高原は標高が高いとは言え、着ている皮ジャンパーの暖かさで快適な高原ツーリングとなったのだ。
バイクを手放す時がきましたね。私もツーリングの楽しさが忘れられません。ホンダドリームCB450エクスポートのブルーでした。ソロツーリングで、下北半島の薬研温泉で一泊しました。もう半世紀前の想い出になってしまいました。
先日出掛けようとした時、バッテリーが上がっている事に気付き、JAFさんの手を借りてディーラーさんに運びました。今度の車検で21年になります。
「21年物のこの車、もう走っていませんよ。大事に乗って下さいね」と言われました。走行距離は、80,000キロ弱。エンジンも快調ですが、そろそろ別れも考えねばと思っている所です。
愛車は親友の様な間柄、出掛け先での楽しい想い出沢山ありますね。
ソロツーリングで下北半島までって素晴らしい行動力です。
マスツーリングがほとんどでしたが、故障などのアクシデントへの対応は楽ですからね。
幸い、長い間事故は起こさずに済みました。いわゆる立ちごけは何回かありましたが。
あまり好きな言葉ではありませんが、断捨離なんてフレーズもちらつくようなこの頃です。
いといとさんのあの愛車も21年ですか。確かにモデルチェンジで今は生産されていませんから貴重。
オートバイを止めたら、いつかはフルオープンの自動車も良いな、なんて思ったりします。
まだまだ乗れることでしょうから、大切にされてください。
今回も地下から引っ張り出し、古布で埃をぬぐい取ってお別れ。
古くなるほど手入れをしないとみっともないだけになってしまいますからね。
ドン・キホーテを気取って、ロシナンテなんて名付けましたが、長い旅も終わりに近づいたようです。