日本の蘭は生息地が限られるとか、生育条件の厳しいものが多いけど、このシャガは逞しい。樹木の下生え見たいな場所が好きらしい。
この絵は上野公園の桜の根本に群生しているのをスケッチしました。
前のお宅の白椿、三っの花が連なっていたので早速スケッチしました。
ボッテリした感じの花びらが三つ連なっていて豪華な感じです。
椿の花期は二月頃から四月まで長い期間楽しめるから、桜などの短期決戦型のものより良いと思うけど、何故か日本の造園家達は、どこもかしこも桜で埋め尽くすつもりのようで、残念です。
物の考え方とか、食べ物とか、何事も全て多様性があってこそ、それぞれの存在価値が高まると思うのですが、画一的な価値観が幅を利かせているようで、恐ろしい気もします。
君が代を強制的に歌わせるとか、スカートの丈を何センチと決めるとか、学校教育の場でも、空恐ろしい事が進行しているのは、黙視出来ません。教育基本法の改正で国を愛することを教え込むことを義務づけるとかを織り込むとの事ですが、先ず愛して止まないような国造りをすることが政治家達の使命だと思います。国民が失望するようなことばかりやっておいて、国を愛せよ、と言われてもねぇ~・・・・
花を愛せよ!なんて言われなくても、誰だって花は好きだもんね!
谷川岳遠望の第三作です。何のことはない、段々山に近づいて描いている、これ以上近づくと近景に谷川岳が蹴られてしまい見えなくなります。
未だ近づける? そうなんですが、谷川岳が山頂だけ頭を出していては、題名に谷川と付けるには具合が悪い。山里を描くとかなら、もっと寄れますけど、、、、
道路の雪が溶けて、木々は芽吹きを目前にして枯れた乾いた茶色から、赤みを帯びた、色っぽい感じになってきます。
田んぼ脇の日だまりを探すと、蕗の薹が顔を出したりしていて、辺り一面が春本番に向かって準備完了と言った趣です。都会にいては感じ取れない生き物たちの息吹が感じられます。
谷川岳を見られる場所はかなり限定されています。 勿論、麓に行けば山頂は見えますが、絵にするには物足りない構図になりますから、ある程度山から離れていて、山の全容が見え、近景・中景が程良く無いと、、、、と言うような条件を満たす場所が少ないと言うことです。
富士山とか、浅間山とか広い裾野を持つ山はこうゆう条件が満たしやすいですが、谷川岳は周囲も山また山ですから遠望出来る場所、つまり、山並みが途切れて居るところがほとんど無いという訳です。
そんな訳で、前出の谷川岳遠望と、この谷川岳遠望Bとは、谷川に向かう方向はほぼ同じです。少しだけ場所が変わっているから中景が変わっていますが。
谷川岳は天候の変化が激しい山ですから、このように全容が見えることは少ないです。
今回の写生行は天気に恵まれラッキーでしたが、次の日は吹雪模様となり、視界は100mも無い状態で写生は出来ませんでした。
前に、立ち壺菫の時にちょっと触れましたが、今が花韮の最盛期です。
花韮の花はヒマワリみたいな向日性があるらしく、花達が一斉にこちらを向いていて圧巻です。
葉に触ったりすると、ちゃんと韮の臭いがします。
繁殖力が旺盛で、水元の友人宅に有ったのを一株貰ってきたら、3~4年で我が家の庭に蔓延しています。
余り増えすぎたので、先日草取りの時に大分抜いて処分しました。
その時の手触りが柔らかかったし、臭いも韮特有の強烈なものだったから、多分食用にもなると思うのです。
でも、毒草に中るのは怖いから、試食はしていません。どなたかご存じではないですか?
この花は、正月頃店頭を飾る葉ボタンの花です。植えてそのままにしておくと薹が立ち、こんな花が咲きます。
キャベツの仲間だから、花も似ています。
アブラナ科の植物はみな菜の花にいた花を付けますね。
「長生きな椿」 絵の題名にしては変ですよね? まあ、ブログの表題だと思えば、それなりかな?
裏のお宅で3輪だけ戴いてきたのが、一日目に一輪落ち、二日目にもう一輪、残ったのがこの椿、健気で可愛いから葉書サイズで描きました。そんな訳で同じ椿が二日続いた訳です。
椿の花は、ポトリと首を落とすから、昔、お侍は椿を縁起の悪い花として、庭には植えなかったという話があります。
黒澤明の椿三十郎なんて映画が有るから、全部の侍が忌み嫌ったと言うことではないのかも知れませんが、、、
そうだとすると、今は勤め人が椿を植えるのも拙いという事になりますね。
同じ「首が飛ぶ」でもお侍は、本当に打ち首だし、今の勤め人は、首切り、つまり解雇ですから、ちょっと首の重みが違いますけどね。
同じ発想で武家の家で赤飯を炊く時には、小豆は使わずにササゲを使ったという。
小豆は茹でると腹が切れるから、と言うのが理由で、腹切りもやっぱり武士だってやりたくはないだろうからね。
でも、腹切りは何かの責めを負って自刃する訳だけど、この死に方は、名誉のある死に方で、前述の打ち首は、罪人としての処刑だから、非常に不名誉な死に方であったという。
蛇足になるけど、切腹では簡単には死ねないから、自分で腑(はらわた)を掴みだした、なんて言う豪傑もいたと言うが、一般には介添人が後ろに待ちかまえていて、脇差しの切っ先が腹の皮を突いた時点で一刀のもとにばさりと首を打ち落としたようだ。
切腹をした本人はチクリとした痛みだけで昇天できたというわけだ。
三島由紀夫は、かなり苦しんだんだろうなぁ?
わが家の裏のお宅には色んな種類の椿が植えられています。
敷地境に生け垣状に植えられているので、この時期には、毎年戴いて描いています。
この椿は中心のおしべが大きいのが特徴で、豪華な感じがします。
私の花粉症は椿の花粉にも反応するので、おそるおそると言った感じで描いています。
椿の花粉は杉や檜のような強烈なアレルギー反応をする訳では有りません。
何となく鼻がむずむずする程度です。
檜の花粉は五月の連休あたりで終焉します。
私の所属している光陽会の展覧会が来月上野の都立美術館で開催されます。
5月9日(火)~19日(金)
もし、興味がおありでしたら、ご来場下さい。
入場料は700円ですが、ご連絡下されば、上記の招待葉書をお送り致します。
あるいは私の在館時なら、会場入り口のもぎりの係員に私の所在を聞いてお目に掛かれれば、その場で入場券を差し上げます。(上記のものをプリントアウトしても通用しません。)
コデマリは、見ての通り、小さなボール型の花の固まりが連続して枝を飾ります。
葉も小振りで、愛らしい印象です。
オオデマリと言う花木もあります。正にコデマリを大振りにした感じですが、葉まで大きいのでアバウトな感じがします。
私の好みから言えばコデマリの方が好ましいのですが、オオデマリもそれなりに気品のある佇まいですから、オオデマリの方に軍配をあげる方もおいででしょうね。
人間のカップルでも、蚤の夫婦とか、提灯に釣り鐘だね、なんて言われるペアもいるし、割れ鍋に綴じ蓋、なんて酷い言い方も有ります。
おしどり夫婦というのは褒めている訳ですが、おしどりのカップルは毎年お相手が違うんだそうで、実態は浮気者のカップルということになってしまいます。
オオデマリとコデマリの話から蚤の夫婦にもってくるのは、話の展開に無理が有りますね?ごめんなさい! m(__)m
春本番ともなると、パンジーも一段と元気旺盛になってきます。
画材用に、色とりどりに寄せ植えしておいたパンジィーも花が折り重なって場所取りをしている有様です。
花が終わって萎れているのは見つけ次第折り取るようにしています。
種が出来有ると、栄養がそちらに取られて、花勢が衰えるからです。
以前UPした白椿とは別の品種です。4月に入ってから開いたもので、前出のものよりは、大振りの花です。
道路を挟んで前のお宅に有る木で、毎年戴いて描かせて貰っています。
F2サイズとなっている画用紙は、発色も色の吸い込みも良くて描きやすいのですが、紙質が薄いので、バックを塗った時に紙が波打って仕舞います。
この絵の右の部分がフイルムの穴のように見えるのは画用紙が波打ってしまったからです。
肉眼では気にならないのですが、スキャナーで取り込むと凹凸が強調されてしまうのです。
お見苦しくて申し訳ありません。
カメラで写した方が肉眼の感じに近いかも知れません。今度試してみます。
前掲の「塩谷岬」よりもっと写生地点を近くにしたものです。
漁港の岸壁から描きました。岬の灯台がはっきり見える位置ですが、周囲に色んな雑物があって、それを避けて描く場所探しに手間取りました。
要らない物は描かなければいいようなものですが、私は不器用だから、なかなかそうゆう訳にもいかないのです。
20年ほど前には、ここには廃船があったり、廃屋があったり、葭(あし)が生えていたりと、どこから描いてもそのまま絵になると言う、得難い写生ポイントだったのです。
列島改造の波に呑まれて、漁港が整備され、コンクリートで固められたり、船は新品のグラスファイバー製になってしまっては、絵心を掻き立てられるという気持ちは萎えてしまいました。
折角ここまで来たんだから頑張って描くぞ!と、自分の気持ちを鼓舞しないと、スケッチブックに向かう気力が湧きません。
嫌々描いたのでは見て下さる方に申し訳ないですから、土俵に上がった力士が、仕切りを続ける間に闘争心を掻き立てて行く、あの心境に似て気持ちを高揚させて描き始めます。
好きな仕事ですから、一旦描き始めれば、キャンバスに気持ちを集中出来、気が付くと思わぬ時間が過ぎていたりします。