遊行寺境内にある大型の五輪塔です。
側の掲示によると酒井忠重の墓と記されていました。
掲示を読むと、わざわざ説明するほどの内容でもないのですが、
気になったので、ウイキペディアで調べました。
慶長3年(1598年) 酒井家次の3男として生れる。
慶長7年(1602年) 既に亡き祖父・酒井忠次の養子となる。
元和元年(1615年) 徳川家康、秀忠に拝謁し、小姓に召出される。
元和3年(1617年) 従五位下長門守に叙任。
元和8年(1622年) 出羽国村山郡白岩4000石領主となる(のちに8000石に加増される)。
寛永10年(1633年) 1000人余りの餓死者を出すなどの苛政をしいたため、白岩領の農民が一揆を起こして江戸奉行所に訴える(白岩一揆)。
寛永15年(1638年) 江戸奉行所の判決により白岩領主を改易となり庄内藩主・酒井忠勝に預けられる。
寛永19年(1642年) 忠勝の娘と長男九八郎(忠広)を結婚させて、庄内藩主家の後嗣にしようとする、お家乗っ取り計画が発覚。
承応元年(1652年) 忠勝の遺言分配金に自分の名前が無かったため幕府に提訴し、庄内藩主・酒井忠当より金二万両を贈られて義絶される。
寛文5年(1665年) 息女の結婚の件で相手と論争したこと等が、幕府の知ることとなり、改易される。
寛文6年(1666年)9月24日、夜中、何者かに襲われて死亡する。享年71。
なんとも激しい一生です。
五輪塔の左手にある六地蔵です。
酒井忠重が寄進したと伝わっていますが、寄進者の心境は分かりません。
藤沢周平の「長門守の陰謀」という作品があるようです。