不法係留船撤去最終段階 2015-04-15 | 藤沢 境川弁天橋から上流を眺めたところです。 不法係留船で混み合っていた場所がすっかり綺麗になっていました。 まだ左岸の漁船近くに、プレジャーボートが少しありましたが、間もなく解消でしょう。 右岸の桜並木の辺りの水面には、不法係留防止ブイが並んでいました。 こんなに境川の水面が幅広く見えたのは初めてです。
春の片瀬漁港 2015-04-14 | 藤沢 春の片瀬漁港です。 漁港西側のプムナードから漁港内側の水面と片瀬東浜のビル群を眺めたところです。 漁港内側に係留中の漁船が見えますが、今日は出漁しなかったようです。 白灯台を目指して漁から戻って来た船です。 港には入らず、境川の方に消えました。 プロムナード中央からから江の島を見上げました。 手前にのんびり釣りを楽しんでいる人がいます。 帰り際に眺めた片瀬西浜の波模様です。 「春の海ひねもすのたりのたりかな」でした。
春の江の島 2015-04-13 | 藤沢 春の鵠沼海岸から少しずつ近づきながら江の島を眺めました。 砂防の竹垣に囲まれた砂丘の上から眺めた江の島です。 潮風のテラスから眺めた江の島です。 砂浜に下りてから眺めた江の島です。 水際まで近づき、足元に気をつけながら眺めた江の島です。
烏森公園のサクラ 2015-04-12 | 藤沢 鵠沼皇大神宮の裏手にある烏森公園のサクラです。 ここのサクラが好きで、毎年のようにやって来ます。 この日は日照に恵まれ、最高の花盛りを見ることが出来ました。 ここは花影で静かに語り合う場所です。
遊行寺のサクラ 2015-04-11 | 藤沢 初めてサクラの季節に遊行寺を訪れました。 遊行寺坂の入口から入りましたが、境内はなかなかのサクラ模様で満足しました。 思い思いに季節を楽しむ人が、境内を歩き回っていました。 ここは近隣の人々には、頼りになる公園です。
裁判所のサクラ満開 2015-04-10 | 藤沢 藤沢駅北口近くの郵便局前交差点からNTTの電波塔を見上げました。 裁判所のサクラが満開だったので、歩道橋を渡って近づきました。 今まで1度も中に入ったことはなかったのですが、サクラに誘われて構内に入りました。 日差しに耀くサクラに、思わずバンザイの人がいます。 裁判所でバンザイは如何なものでしょうか?
サクラサク引地川親水公園 2015-04-09 | 藤沢 大庭鷹匠橋を渡って、引地川親水公園の右岸のサクラ並木に入りました。 満開に近い状況ですが、近寄って調べると、これから咲く花芽も残っていました。 左岸の藤棚の辺りでは、小さな子供たちが楽しそうに遊んでいました。 天神橋まで来たところで、右手の遊水地の木道に入りました。 木道で見かけたヤナギの新緑です。 木道を抜けて、多目的広場に入ると、花盛りのモクレンが迎えてくれました。 モクレンの向う側が、大庭城址公園です。
石川の山辺を歩く 2015-04-08 | 藤沢 日大自然資源科学部のサクラ見物の後、石川地区の山辺に沿って引地川まで下りました。 これは、道の左手の柵の向うに見えたのどかな野山の自然です。 地図情報によると、ここは日大の生物資源生産実習センターのある場所です。 引地川の秋本橋まで近づき、そこから左岸の山辺の耕作地の中を南に進みました。 所々にサクラが顔をのぞかせていました。 道沿いで見掛けたキブシの花です。 最近はこの花を見かけるチャンスが少なくなりました。 新石川橋近くの左岸の土手から菜の花越しに眺めた山辺の集落です。 間もなく本格的な耕作が始まる時期です。
日大生物資源科学部のサクラ 2015-04-07 | 藤沢 六会の日大生物資源科学部のサクラ見物に出掛けました。 受付で挨拶するだけで、キャンパスのサクラを楽しむことが出来ます。 入口を入ったすぐ右手のサクラです。 ソメイヨシノと違いますが、風格のある立派な枝振りに足を止めて眺めました。 校内を南北に抜ける通りに沿って桜並木が続いています。 近隣の人々や、小学生の一団が、満開のサクラを楽しんでいました。 緑が輝くグランドでは、学生がソフトボールの練習に励んでいました。 奥に見える観覧席の向う側も桜並木になっています。 校内をゆっくり回ってから、西側の桜並木を抜けて、石川方面に向かいました。
四谷社寺めぐり・陽明寺とお岩稲荷 2015-04-06 | 東京 今回の四谷社寺めぐりの終点は、「四谷怪談」ゆかりのお岩稲荷でした。 本性寺の先を右折すると、道の両側に赤い幟がはためいていました。 右手にあったのは、お岩霊堂のある陽明寺でした。 この寺は現在は縁結びの寺として繁盛しているようです。 少し先の左手がお岩稲荷田宮神社でした。 この神社も、現在は商売繁盛や都合の悪い縁を切り良縁を願う神社として、陽運寺とセットで参詣者を集めているようです。 田宮神社の掲示によると、主人公田宮伊右衛門とお岩は夫婦円満であり、お岩稲荷はその屋敷内にあった社のようです。 「四谷怪談」はあくまで後世のフィクションですが、そのフィクションの力があまりにも絶大なので、 現在に至るもこうして赤い幟がはためいているのでしょう。
四谷社寺めぐり・本性寺 2015-04-05 | 東京 暗闇坂を眺めた後、更に西へ進むと、本性寺の北向毘沙門天堂に着きました。 この堂は、五代将軍綱吉の側室春慶院の発願により、尊像と堂と一緒に本性寺へ寄付されたと伝わっています。 堂は、切組造り手斧削りで、釘は一切使われていないようです。 本性寺の入口にあった史跡資料によると、ここには萩原宗固の墓があります。 江戸中期の国学者で歌人のようですが、残念ながら知識がありませんでした。
四谷社寺めぐり・暗闇坂 2015-04-04 | 東京 戒行寺から西へ進むと、左手に下る細道がありました。 入口に「暗闇坂」の標識がありました。 その昔この道の両側に木々が生い茂り、暗闇のようだったのでしょう。 「暗闇坂」はここだけでなく、あちこちにあったようです。
四谷社寺めぐり・戒行寺 2015-04-03 | 東京 西応寺から少し東に行くと、戒行寺の門前でした。 境内に入ると、すぐ右手に長谷川平蔵宣以の供養塔が建っていました。 池波正太郎の「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵です。 この供養塔は平成7年6月に平蔵の200回忌に建てられたようですが、ここに墓はないようです。
四谷社寺めぐり・西応寺 2015-04-02 | 東京 勝興寺の向かいにある西応寺です。 境内に入ると、満開の枝垂桜が迎えてくれました。 本堂左手奥にある墓地を覗くと、墓石が斜面に並んでいました。 四谷を実感する眺めでした。 境内にあった史跡資料により、ここには榊原健吉の墓があることを知りました。 資料によると、榊原健吉は幕末随一の剣豪で、最後の剣客とも言われた人物のようです。 全く知りませんでした。
四谷社寺めぐり・勝興寺 2015-04-01 | 東京 須賀神社の鳥居から南に進むと、勝興寺の門前に着きました。 勝興寺は天正10年(1582)に麹町清水谷に創建され、寛永11年(1634)に現在地に移転したようです。 本堂左手入口に「首切り浅右衛門」の墓がありました。 山田浅右衛門は代々将軍家の刀のお試し御用(試し切り)の家柄で明治14年の斬首刑廃止まで務めたようです。 ここに墓のある7代目浅右衛門吉年は吉田松陰、橋本左内等の勤王志士の首を刎ねたと伝わっています。